「起きろ。おい、起きろ」

 ギルは男の声で起こされた。目を擦りながら体を起こし、欠伸を一つした。

 部屋の中は静けさを除いて、寝る前と大きな変化はなかった。


「隣の奴も起こせ。起こしたら、向こうの扉から出ろ」

 男は裏戸を指さし、手短に告げると、足音を立てず、風のように寝ている兵士たちの間を通り抜けた。


 ギルは理解するまでにしばらく時間を要した。首をまわして周囲を見ると、横たわる兵士たちによる平坦な床から、ピョコッと頭を出している兵士たちが数人いた。もう幾人かは裏戸から外へ移動し始めている。

 ギルはひと伸びすると、隣で頭まで毛布を被って寝ているユーグを揺さぶった。ユーグは半分も目が開かないうちに、ギルに引っ張られ、されるがまま裏戸へ向かった。

 

 裏戸を抜けると教会堂と信者の居住地を繋ぐ渡り廊下がある。あまりの暗さに辟易しつつも手探りで前進した。半ばにある開口部から空を見上げると、満天の星空が両脇の建物に切り取られ、細長く伸びていた。廊下の先へ視線を戻すと、奥の方で遥か彼方の星々よりも弱弱しく光る明かりがあることに気がついた。

 その光へ向かって行くとかつては物置だったと思われる小さな部屋にたどり着いた。部屋の中央には三つのランタンが置かれ、その中に小さな胞子が一つずつ入れられていた。そのランタンを取り囲むように十人ほどの兵士たちが集っていた。誰もが眠そうに目を擦り、頭を叩いて、無理やり起こそうと奮闘していた。


 ギルたちが部屋に入ると、部屋の隅の暗闇にいた男が灯りの中に一歩踏み出してきた。ランプが彼の胸元にある黄金の王家の紋章を照らし出す。それは王都の兵団に属していることを示していた。

 その瞬間、ギルとユーグを含めた兵士たちは示し合わせたように整列し、気怠そうにしていた自らを恥じるように、これでもかと背筋を伸ばした。


「お前たちには、これから、任務に当たってもらう。戦況を左右するほどの重要な任務だ。失敗は許されない」

 王都の男は、ランプを一つ手に取った。そして、黙って着いて来いというだけで、これから何をするのか一切教えてくれなかった。それでも、誰も不平不満を漏らさないばかりか、指示された通り一言も、ため息すらつくものはいなかった。それだけ、王都の兵団は尊敬と恐怖を集めているのだった。

 ギルはこれから何をさせられるのだろうかとユーグの顔を窺った。ユーグはギルが余計なことをしでかすのではないかと不安に駆られたのか、咄嗟に首を振り、顎をしゃくって前の出来事に集中させるかのよう促した。ギルはその意味を理解しつつも、ただついて行くだけの現状に釈然としない思いだった。


 ギルたちは途中で手と口が結ばれた捕虜を二十人連れ出し、乱暴に引っ張りながら、時に押したり、蹴飛ばしたりしながら、建物の外へ出た。この日は月が無く、青白い星々だけが不気味に夜空を埋め尽くしていた。捕虜たちは外に出るなり、一様に顔を上げ、まるで催眠術にでもかかったかのように静かになった。光を崇拝する彼らにとって、夜空に浮かぶ無数の光はまさに導きであり、心の平安を保つ安定剤のような役割なのだろう。彼らの恍惚そうな表情がそれを物語っている。


 ギルはそんな彼らと、星空、漆黒の古代都市に同じ種類の異様な恐怖を感じつつ、班長に従った。その男は、ついこの前までこの都市の住人であったかのように、この暗闇の中、一度も立ち止まることなく進み続けた。その淀みない足取りから、実はてきとうに進んでいるのではないかと心配になるほどだった。


 三十分ほど進み、最早自分たちがどこにいるのか分からなくなった頃、ついに目的地にたどり着いた。そこは、家々の間に聳え立つ尖塔下の小広場で、比較的大きな通りから家一つ分奥に入った場所にあった。

 ギルとユーグたちは、命令されるままに捕虜たちを、塔を囲むように座らせ、彼らを連結していたロープをその塔にきつく巻き付けた。そして、彼らの口に噛ませてあったロープも外すよう指示された。

 兵士たちは捕虜の反発を予期していたが、意外にもおとなしいまま、ただ空を見上げ続けていた。中には悪態をつくものもいたにはいたが、すぐにまた星々の光の魔に魅入られてしまった。


 全てを終えると、班長の男がおもむろにポケットから何かを取り出した。そして、下を照らすよう指示し、そのときちょうどランプを持っていたギルは、班長の指さす塔の真下を照らし出した。すると、そこには黒い石畳の一部が剥がされ、地面がむき出しになっている箇所があった。それは明らかに最近掘り起こされたものだった。

 班長は手にしていたものをそこに置いた。それは種だった。種は豆粒ほどの大きさで、赤く熟れた柘榴のような色をしていた。班長はさらにポケットから小瓶と、小型のナイフを取り出した。ギルはこれから黒魔術の儀式が行われるのではないかという気がしてならなかった。

 捕虜は儀式の生贄で、彼らの血肉を吸って、地獄の悪魔が召される。当然、そんなことが現実にあるはずはないと分かってはいたのだが、それでもこの、星空を断ち切る禍々しい塔の下、それを囲む黒服の二十人の捕虜、血生臭さを発する種子に、小瓶とナイフ。その魔導書の挿絵のような光景は、ギルたちにこの世ならざるものの存在を強く意識させた。


 班長は小瓶のコルク栓を開け、中の液体で種を湿らせた。次に、手近にいた捕虜の女の頬に、背後からナイフをあてがい、脅しの文句も何もなく、スッと刃を引いた。女はうっと唸りはしたが、それでも夜空を見上げ続けていた。班長はナイフについた血を光の元に晒した。血はヌラヌラと揺らめき、行くべき場所に行きたがっているように見えた。


 ギルは我慢の限界に達した。もうどうなってもいいから、疑問を投げかけたくてたまらなかった。ギルは班長が血濡れたナイフを、種にかざしたタイミングでついに、口を開いた。

「それは……」


 班長の動きはピタリと止まった。ギルの鼓動は早くなる。しかし、ギルの不安を他所に顔を上げた班長はにやりと笑っていた。その表情は、これから面白いものが見られぞと語りかけているように見えた。


「すぐに分かる」

 班長はそう言うと、ナイフの背をトンと軽く叩き、捕虜から採った鮮血を種に落とした。小瓶の液体によって数倍に膨張していた種は、中央に出来損ないの口のようなものを開き始めていた。そして、血はその口へ落ち、じわりじわりと、さながら血の味を嗜んでいるかのように広がった。


 ギルだけでなく、他の兵士たちもその光景を固唾を飲んで見守っていた。いったいこれから何が起こるのだろうか。すぐに離れるべきだと、ギルの直感はそう告げていたが、それでも見てみたいという欲望には打ち勝てなかった。しかし、ギルたちの思いに反して、班長は引き上げの命令を下した。

 ギルは嬉しいような、腹立たしいような気持ちで命令に従った。


 小広場を抜け、通りに出てしばらく進むと、悲鳴が夜風に乗って背を追ってきた。ギルは振り返ろうとした反射を無理やり押さえつけた。兵士たちはほんのひと時、立ち止まった。それでも、歩を緩めない班長に気がつくと、すぐにまた何事もなかったかのように歩き始めた。

 しかし、ユーグだけは動かなかった。背後を振り返り、体の正面から風を受け止めている。


 ギルはユーグの腕を引いた。ユーグはしばらく風の行方でも探すかのように遠くを見つめた後、再び歩き始めた。

 

 ギルはユーグの背に小さなため息を漏らした。

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