王国軍の前線部隊はジュメル遺跡中心部にある教会堂跡地にいた。教会堂は一つの大きな尖塔と、その周囲を取り巻くように大小様々な尖塔が無数に生え、針山に針を無造作に突き刺したような外形をしていた。

 教会堂の周囲には信徒たちの居住区であったと思われる箱型の住居が南北と東にあり、西側には入り口と小広場、その先には遺跡の中央を南北に走る大通りがあった。大通りと言っても、道幅は五人が横並びで歩くのがやっとなほど狭く、それ以外のほとんどの道も人一人が歩けるほどしかなかった。

 住居に目を向けると、宗教施設や城など特別なものを除き、そのほとんどが黒い石レンガが四角く積み上げられただけのもので、二階以上のものはなかった。それらの住居の合間には倍以上の高さを誇る尖塔が聳えており、どうやらそれがこの町のシンボルであり、教会堂の造形からも分かるように、それらの塔、もしくは天に向けて伸びる突起自体を信仰していたことは間違いない。


 道の狭さと黒で統一された建造物の連続は、来訪者たちに亡者の迷宮都市を彷彿とさせた。等間隔で並ぶ尖塔も、この世ならぬものからの視線を感じさせ、また、生贄として塔の先端に串刺しにされるのではないかとも思わせた。

 救いがあるとすれば、この都市はかなり計画的に建設されたようで、通路は碁盤の目のように均整がとれていたことだった。それでも、百年以上放置された都市では、至る所で壁に亀裂が走って崩壊し、折れた尖塔はいくつもの家々を押しつぶし、瓦礫によって道は塞がれていた。

 おかげで、先に進むのに大きく迂回するか、瓦礫の山をどけるか、壁に穴を開けて先へ進むかする必要があった。ギルたちは敵の襲撃に気を張りながら、そうやって道を切り開き、何とか二つの高台のちょうど中間地点まで来ていた。

 さらに、この地域では一番背の高い教会堂を押さえ、拠点化にも成功し、周囲にバリケードを配し、複数の補給路の確保も行った。また、近くに居た敵の部隊と接敵し、大きな被害を出すこともなく抑え込み、捕虜も手にした。戦いの初期段階としては十分な成果と言えた。しかし、敵は教会堂から五キロほど南に位置する城を制圧しており、戦況は依然として五分のままだった。


 現在はこの教会堂の防御と前線の維持、敵の動きの監視に徹し、斥候を通常以上に大量に放ち、敵側の町の様子も探っていた。両陣営ともに大きな動きも戦いもなく、戦況が膠着したまま十日が立とうとしていた。


 ギルは教会堂内の、かつては数百人の人々が祈りを捧げていたと思われる大部屋にいた。その部屋には窓が無く、出入り口は真四角の暗青色の正面扉と、左右と奥の壁に一つずつある墨色の裏戸の四つだった。奥の扉は壁に隠され、その壁には円柱状の黒い突起が伸びていたが、兵士たちによって根元から折られると、教会の外に放り出され、二つに割れた。他にも玄武岩の重い長椅子も当時のまま綺麗に並べられていたが、同様に全て撤去され、バリケード代わりとして使われていた。

 壁や天井から吊るされた太い紐の先にはガラス瓶が取り付けられ、その中には塵埃の塊のようなものが入っていた。その塊は真っ先に瓶から取り出されると、水でよく洗われ、雲一ない高空の元、天日干しされた。すると、無数の突起を持った白く巨大な胞子のような本来の姿を取り戻し、室内へ持っていくと白く発光し、灯りとほんわりとした温かさを供してくれた。

 そうして無作法に踏み荒らされた結果、現在は異教徒たちの生活拠点に取って代わられ、調理器具や寝床、武器や食糧を入れた木箱、種の入った麻袋、水や油など液体を貯める性質を持つ植物などが運びこまれていた。


 今は夕飯を終えた後だった。


 この都市の夜は、異様なまでに暗く静かだった。例え満月の明かりや、松明の炎があろうと、それらの光を全て影のような地面と壁が吸い取ってしまっているようだった。

 ギルたちジュードヴェルの兵士たちが日差しのある昼間に行動することでさえ躊躇われるほどなのだから、夜を恐れるオズノルドの兵士たちにとっては拷問にも等しいと思われた。これまで通りその性質を利用して夜間に攻め込むことになるのだろうと多くのジュードヴェル兵は予想し、肩を落としていたのだが、それに反して夜間に進軍するようなことはなかった。これには、神経質になっていた兵士たちも胸を撫でおろした。


 そんな兵士たちの多くはこちらから攻めない限り、夜に攻められることもないだろうと高を括り、さらには、教会の防御の優位さからも攻められたとしても何とかなるだろうという思いがあった。そのため、夕食を終えると、最前線にいるにも関わらず、緊張の糸を緩めて談笑し、昼間の極度の緊張から解放されるためか、酒を飲んでいないにも関わらず、大勢の前で裸になっておどける者もいた。周囲もそれを見て大笑いし、上官でさえその輪に入る始末だった。


 ギルは火柱を上げる花の周囲で起きている馬鹿騒ぎを横目に見ながら部屋の中央を横切り、壁沿いに置かれた台車の上に並べられている蕾状の植物の元に歩いて行った。それはリキューバと言って、腰ほどの高さがあり、表面はゼラチン質で弾力があり、黄緑色をしている。根元には先の尖った細長い濃緑色の葉が六つ生えて、上部には開口部があり、先端は六つに分かれ、それぞれが唇のようにぷっくりと膨らみ、開くまいとがっちり閉じている。

 ギルは台車の前に置かれた木箱に登ると、リキューバの表面をツンツンと数回突いた。すると、その植物は口を開き、六つの唇が裏返しになった。内部は、表面と同じく黄緑色で白い斑点があった。そして、中には大量の水が蓄えてあった。

 リキューバは雨水を蓄える性質があり、表面を突くと雨が降ったと勘違いして口を開いてしまうのだ。それを人間に発見されてしまったときから、大量に水を入れられては取られてを繰り返される生活をもう数百年も──幸か不幸か水が無くならない限り寿命がない──過ごしている。さらに、人間たちにとって魅力的だったのが、浄化作用もあったことだった。このおかげで、毒があろうが菌があろうが数時間もすれば真水に変えてくれる。

 今では品種改良で水だけじゃなく、お湯にしてくれたりもする。こんな植物を人間が手放すはずはなかったし、そしてこれからも手放さないだろう。


 ギルは持っていたコップをリキューバの口の中に突っ込むと、水を満杯にすくって、こぼさないよう口を尖らせ、すすった。そして、木箱を降りると、再び部屋を横切り、元居た反対側の壁に移動した。

 その壁には、騒ぐ気になれない兵士たちが壁に寄り掛かって、軽蔑の、もしくは羨望の眼差しで騒ぎを見つめていた。

 今は、一人の兵士が机の上に登り、四枚の皿を宙に投げ続けていた。


「いつまでここにいればいいんだろうな?」

 ギルは壁に座り込みながら言った。

 隣にはユーグがいて、両膝を立てながら、宙を舞う皿を目で追っていた。頬にはうっすらと赤い傷ができている。


 ギルは大きなため息をついた。


「シャルがいればなあ。今何やってるのかとか、作戦の裏の意味とか教えてくれたろうになあ。せめて、ミラがいればよかったんだけどなあ」

 ギルはわざとらしく、ちらりとユーグを見た。

 ユーグも一瞬だけ皿から視線を外すと、ギルを横目に見て息を漏らした。


「俺もそう思ってるよ」

 二人はにやりとし、鼻を鳴らした。


 しばらく無言が続いた後、ギルは部屋の片隅に築かれた簡易的な格子の向こう側に押し込まれているオズノルド兵たちが目に留まった。彼らは黒のトレンチコートの上にベルト──ボタンやバックルは銀──をし、黒のブーツに、黒の手袋、黒の耳当て付きの起毛した帽子を被っていた。帽子の中央には、彼らのシンボルである、銀の十字が慎ましくも堂々と威厳を発していた。


「にしてもよ、あんなに捕虜を集めてどうすんだろうな」


 ユーグは彼らを一瞥すると、すぐに視線を落とした。

「さあな……」


 ギルはしまったと思った。

 ユーグにアレッサを思い出させるようなことを言うのは禁句だったのだ。しかし、オズノルドと戦争をしているのだから、その話題に触れないわけにはいかなかった。けれどもギルは、可能な限り、休んでいるときくらいは、アレッサのことを思い出させないよう、本人なりに精一杯努めていた。

 それでも、気を使い続けるのはギルにとって簡単なことではなく、ついつい口走っては、自らの言動に対する散漫さを呪った。そして、こういう時に何と言って話題を変えるべきか、励ますべきか、何度頭をひねったところで見当もつかず、結局は押し黙ってしまった。

 ギルはこれほどまでにシャルに隣にいて欲しいと願ったことはなかった。


「元の姿のままでは国には帰れないんだろうな」

 ユーグがぼそりと口に出した。

 ユーグの暗く落ち窪んだ瞳の奥には、城の地下牢が映し出されているに違いなかった。壁の隅でウネウネト這いまわる苔や地衣類、罪人の怒りの叫び声と、懇願しむせび泣く声、錆びた拷問器具の数々……。


 ギルはひどい悪寒に背をのけぞらす。壁の後ろから異界の何かが手を伸ばしてきているかのような幻覚を覚えた。ギルは避けるようにさっと立ち上がると、火に近づかなくては、あの騒いでいる輪に入らなくてはと、急き立ててくる情動には抗えなかった。


「たまには行こう。戦場にはああいうのも必要だと思うぜ」

 ギルはその場しのぎでそう言ったが、それは本心でもあった。


 ギルは迷いながらもユーグへ手を差し出した。ギルにとってはその行動は恥ずかしいものであり、罪の意識から来る最大限の譲歩であった。

 しかし、ユーグは目もくれず、ただ首を振って断ると、尻の下に敷いてあった毛布を強引に引っ張り出すと、体を口元まですっぽりと覆い隠してしまった。


 ギルはしばらくその姿を見下ろした後、ゆっくりと手を引っ込めた。


「わかったよ……」


 ギルはユーグに背を向け、火柱の周りでおどける兵士たちの輪へ向かっていった。

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