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 それから後のことはあまり覚えていなかった。


 螺旋階段を下り、頭に花を咲かせた人型の植物から死に物狂いで逃げ、兵士たちが押し寄せパニックになっていた狭い城門からなんとか抜け出した。

 その足で教会堂まで走り、しばらくはそこでの待機を強いられた。兵士の数は元の半数にも満たず、そこにはユーグの姿もなかった。


 数日後、撤退命令が出された。理由は外に出れば明らかだった。オズノルド兵が城で見つけた植物が、次々に人間を取り込んで増殖し、街中を我が物顔で闊歩しだしたからだった。

 さらに悪いことに、オズノルド兵へ仕掛けたあのたくさんの触手を持つ植物も人間に種を植え付けて増殖し、中にはその二つの植物が同居してしまっている例もあった。


 双子の塔へ行く途中、何度もその怪物に襲われた。それらの拳は壁に大きな穴を開け、蹴りは尖塔を折り、頭頂部の花は奇っ怪な叫び声とともに人の頭部を丸ごと食らった。

 唯一の対抗策である火炎放射器で彼らを退かせながら、それでもそれらの速さに、何人もが犠牲になりながら、ようやく黒の古代都市から逃げ出した。怪物たちはこの都市から出るつもりはないらしく、街の黒い石畳を抜けると、それきり追いかけてくることはなかった。


 そのことに安心した兵士たちは、塔の立つ高台の後ろに陣を構え直した。それは敵も同様で、まさかこの古代都市に新たな住人──遙か昔からの住人かもしれない──を誕生させることになるとは思ってもみなかったらしい。


 幸いなことに、両軍ともこれ以上戦う気にはならなかった。両者の代表者が話し合い、翌日には僅かに軍を残して撤退する運びになった。それはきっと、どちらもこの地には残りたくないという思いがあったのだろう。


 その日の夜、盛大な焚き火で勝利──情報操作で敵に奥の手を使わせ、自滅に追い込んだということになっていた──を祝い、その影で死者を偲んだ。ある者は勝利の神ラヴィトリアへ感謝を捧げ、ある者は冥府の神々へ自らの正義を説き、またある者は刑罰の神シャティマ、恐怖の神プファ、死の神アモルトに敵を苦しめるよう懇願した。


 ギルはそんな彼らから離れた場所でユーグと、そしてミラと再開した。ミラはギルに抱きつき、ユーグでさえ目に涙をためていた。ギルはその再開を純粋に喜ぶことが出来なかった。

 三人は高台へ上り、胸壁のそばで古代都市を見下ろした。都市は月光をその影の中に閉じ込めていた。


 ミラは大きな安堵のためか、再開してからずっと話続けていた。ユーグはそれに相槌を打ち続け、ギルは何一つ聞いていなかった。


 ユーグはギルのそんな様子をこれ以上放っておけず、ミラの話を遮って、ギルに話しかけた。

「ギル。どうしたんだ? 再開してからずっと変だぞ」


 ギルは胸壁に肘をつき、都市を見下ろしたまま何も答えなかった。あのことをどう切り出すべきか、正解が見つからなかった。


「おい、ギル」

「ギル……?」

 二人はギルの松明に照らされた横顔を、心配そうに見つめた。


「──おまえらに、話しておくことがある」

 ギルは振り返り、言った。


 その神妙さに、二人は一層不安に駆られたようだった。二人はギルが話し出すのを息も殺すように黙って待っていると、ギルは突然、小さくあっと言った。


 二人が何事かとギルの視線を追うと、塔の方から金髪の小柄な青年が走ってくるのが見えた。


「あ、シャルー!」

 ミラは途端に緊張から解放され、ぴょんと飛んで、シャルに手を振った。

 シャルも手を振り返し、夜でも分かるほど満面の笑みを浮かべている。


「みんな生き残ったんだね。良かったよ」

「うん! すごく大変だったけどね」

 ミラがシャルに対し、キラキラと目を輝かせながら言った。


「話は聞いてるよ。ほんとに大変だったね」

「まあな」

 ユーグは苦笑いしながら答えた。

 笑顔を見せていたシャルだが、すぐに異変を察知した。

 ギルは三人が再開を喜び合っている間、黙って地面を見つめていた。


「──ギル?」

 シャルは一変して眉根を寄せ、答えを求めるようにユーグとミラを見た。

 しかし、ミラは目を伏せてしまい、ユーグは首を傾げた。


 シャルが尋ねようとしたとき、ギルが先に口を開いた。


「ちょうどよかった。シャルにも聞いてもらいたい」

 ギル以外の三人は顔を見合わせた。

 そして、シャルが聞く。


「何かあったの?」

「ああ」

 その声は重く、呻き声にも似て消え入りそうだった。

 ギルの脳裏にはその言葉だけがしつこく、あの植物のようにこびりついていた。まるで乗っ取られているかのように、そのこと以外、何も考えられない。


 何分経っただろうか。


 ギルが口を開きかけて数十回目。

 ようやくその言葉が形となって、空気を震わせた。


「──」


 三人の表情が驚愕と絶望に変わる。ミラは口元を押さえ、ユーグは驚きの声とともに固まり、シャルはその場に立ち尽くした。


 ようやく三人がその言葉を飲み込んだとき、ギルは立っていられずに胸壁を背に座り込んでしまった。


「詳しく、話してもらえる?」

 シャルが聞くと、ギルはうなずき、あの日のことを事細かに話した。

 その話を聞いた後、ミラは嗚咽していた。ユーグは頭を抱え、シャルでさえ返すべき言葉を失っているようだった。


「なあ、シャル」

 ギルの呼びかけに、シャルは顔を向ける。


「悪魔ってなんなんだろうな……」


 その問いかけに答える声はなかった。

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