3
遥か昔からこの世界は、中央にあるとされる湖と、南北の山々から流出した川によって、東西に分断されていた。明確には、湖と川ではなく、その岸辺に生えた植物たちによって、つまり樹海によって分断されていた。
北は湖から北東に伸びる北方樹海線、南は川に沿って伸びる南方大樹海線が、人々の移動を妨げていた。
北方は寒冷地のため、植物そのものの絶対数は少ない。しかし、その厳しい環境に適応した植物たちはより狡猾に獲物を狩る。地面の下、雪の中、空の上、どこにでも息を潜め、その時を待っている。北に住む人々は、何もない場所ほど気をつけろと口酸っぱく言う。
一方の南は、名前にある通り湖岸に次いで巨大な樹海が広がっている。南は温暖で植物たちの楽園だった。そして、その脅威は圧倒的な種類の多さにあった。北では、種類の少なさからある程度テリトリーが確立されてしまっているが、南では毎日のように熾烈な闘争が繰り広げられている。闘争の度に植物の種類が代わり、その場その場での対処が迫られる。それは、多種多様な特性を持つ植物たちに対しては、ほぼ不可能に近かった。植物にとって最も一般的な攻撃手段である毒を一つとってみても、治療薬が開発されるまで早くて一年もかかる。そして、そのころにはもう、その植物は、権力の座から転げ落ち細々と復権を狙っているか、絶滅していることだろう。
東西にも川は流れ、樹海も存在するが、この樹海は北や南に比べれば、大した脅威ではなかった。基本的に待ちを戦術として、その場から動くことは滅多になかったからだ。さらに、川岸が見える地点もあり、科学技術が未発達だった数百年前の人類でも、川を往来していた記録が残っている。
そのような環境から、東に生きる人々は西の存在を、西の人々は東の存在を認知すらしていなかった。世界はそういうものだと思い込んでいた。
しかし、約二百年前、その状況が一変する出来事が起きる。
それが樹路の開通だった。
ギルは顔を引きつらせ、浅い呼吸で窓の外を見つめている。そして、いち早くこの路から抜け出せることを切に願っていた。
コンクリートに舗装された路の両脇には木々が壁のように林立していた。窓を挟んで僅か数メートルの場所にあり、その木の葉はギザギザとした形をした赤紫色で、暗緑色の斑模様があった。そして、地面から木の幹を覆い隠し空高くまで聳えていた。
「これが防樹林だよ」
シャルは小刻みに震える指で窓の外を指さした。
「ぼうじゅりん?」
「樹海からわたしたちを守ってくれる木よ」
ギルの問いには、シャルではなくミラが答えた。
ミラはシャルと座席を交代していて、今は窓にへばりつくようにして植物を観察している。
「彼らにはアレロパシーって言って周囲の植物の生育を阻害し、他植物を近寄らせない物質を、常に体全体から放出してる。毒や酸にも強いし、無数の口を持っているから捕食スピードも速くて、何でも消化吸収して栄養に変換できる。成長速度も早い。さらに、人間を襲わず、植物のみを捕食対象とするように品種改良もされてる」
「すげえな」
ユーグが感心したように漏らした。
「じゃあこいつを量産して、ばらまけば他の植物いなくなるんじゃないのか」
ギルは目の前の木に対して見る目が変わったが、それでも無数の斑模様がまるで目のようにこちらを覗いてくる薄気味悪さを覆せるほどではなかった。
「そうはいかないの」
ミラは残念そうに首を振りながら言った。
「彼らは自分たちの周りに植物を寄せ付けない。それはつまり、不用意に増やしすぎると、逃れてきた植物がわたしたちの生活圏までやってくる危険性があるということなの。そもそもアレロパシーが機能するのも樹海の端の方だけ。皆も知っての通り、湖に近づけば近づくほど危険な植物が
それにね、ここでも適応されるのは時間の問題だとも言われてる。もって数十年、だけど運が悪ければ今にでも破られるかもしれない。そんな危険を常に孕んでいるのがこの路なの」
ミラは早口で全てを言い終えると、満足げにギルたちを見た。
一方のシャルとユーグは時が止まったかのようにミラを見つめたまま固まっていた。
ギルは窓の外を眺めている。
「それ、今言わなくても……」
シャルが言い、ユーグもそれに同意した。ミラは自分が口走ってしまったことに気がついて、顔を赤くしながら謝った。
「ほら見ろ、ギルなんて何も話さなくなった」
ユーグはギルの方に手を置きながら言った。
ユーグのからかいに対し、ギルは反応しなかった。ユーグは窓の外をぼうっと眺めるギルの横顔を眺めた後、気まずそうに手をどけた。
三人は互いに目配せし、不穏な空気が流れ始めた。
ユーグはしばらくしかめ面をした後、意を決したように口を開いた。
「いや、あの、何か悪かったな。いつもみたいに、ちょっとからかっただけで──」
「湖の近くにいる植物ってどんなんだろうなあ」
ギルは妄想を膨らませる小さな男の子のように、空を見上げていた。その表情はワクワクしてしょうがないと言っているようだった。
それを見た三人はぽかんとしてギルを見つめ。シャルが噴き出し、ミラもクスクス笑いだした。
「オマエなっ……!」
ユーグは片方の眉を吊り上げ、ギルに迫った。
「なんだよ。俺がビビッてると思ったのか。お前じゃあるまいし」
ギルはユーグに向かってさらりと言った。
「な、ん、だ、とこのやろう。人が心配したっていうのに」
ユーグは怒りのあまり、拳をプルプルと震わせた。
「だってよ、怖がったってしょうがないだろ。もう入っちまったんだ。それに、俺たちはこれからもっと恐ろしい所に行くんだ。こんなところでビビッてる場合じゃない。そうだろ、シャル」
ギルは自信に満ちた笑みを浮かべてシャルを見た。
「あ、ああ。そうだね」
シャルは戸惑いながらも、その目の奥は嬉しそうだった。
「ったく」
ユーグも今の言葉で怒りが収まったのか、拳を下ろし、表情を和らげた。
その時、車両がガタンと音を立て段差を越えた。そして、窓には石の塔が現れ、右から左へ流れて消え、次には川が姿を現した。川の左半分は見渡す限り、輝く虹色の蓮のような植物に覆われ、右側の茶色く濁った川はまるで沸騰しているかのようにボコボコと何かが湧きあがってきていた。
防樹林の終わる川岸では、巨大な青い唇を持つ植物が無数の蔓を川に垂らし、さながら釣りでもしているかのようにじっとしていた。その植物は一瞬こちらを見ると、気にも止めずに再び川面を見つめ続けた。
「あと半分だ」
シャルが誰にともなく言った。
「ああ」
ギルは釣りをしていた植物が、川の中から巨大なドングリのようなものを吊り上げ、その口で噛み砕き、真っ黄色の体液を辺りに巻き散らすのを見ながら答えた。
「お前、ビビッてないだろうな」
ユーグが車窓の景色から目を離さずに聞いた。
辺りには、巨大な口がバリバリと音を立てながら咀嚼する音が響いていた。
ギルは大きく唾を飲み込んだ。そして、震える声で言った。
「──あたり前だろ」
ギルたちの車両は川を越え、もう半分の道のりを進み始めた。
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