「本当に君たちは何にも覚えてないんだな。あんなに教えたのに」

 シャルは身を乗り出して言った。


「そんなこと言われてもな」

「ああ。そんな果てまで行くとは思わないから」

 ギルとユーグは悪びれることも、恥じらうこともせずに言った。


「まったく……」

 シャルは額を手で覆い、背もたれに倒れるように寄り掛かった。


「しょうがないよ。南部の人にとって北部は秘境みたいなところだから」

 ミラは呆れ果てるシャルに対し、二人を庇った。


「そうなんだよ。俺たちは雪も見たことがないから」

 ギルはミラに便乗して言った。


「君たちはただの勉強不足だろ」

「すいません」

 ギルとユーグの二人はそろって後頭部に手を当てるポーズをした。二人は学生のときから、シャルに注意されるとこうやって誤魔化していた。


「しょうがない。説明してあげよう」

 シャルは言葉とは裏腹に嬉しそうに、内ポケットから四つに折りたたまれた紙と鉛筆を取り出した。

 ギルとユーグはお願いしますと、頭を軽く下げて見せた。これも、学生時代から何一つ変わらない伝統だった。


「僕らが暮らすこの世界は、大きな山に囲まれているのは知ってるだろ」

 シャルは言いながら、膝の上に乗せた紙一杯の横に長い大きな楕円を描いた。

 ギルとユーグはその紙を覗き込み、頷いた。


 シャルは続けて、その楕円の中心に小さな円を描いて黒く塗りつぶし、外側の円から内側の円の中心を通るように三本の線を引いた。二本は横と縦で、もう一本は左上から右下にかけて引かれていた。紙には円と線によって計六つのエリアが生まれていた。

 シャルは書き終えると、真ん中の円を鉛筆で指した。


「これが湖。で、この線が川。僕らの町、ファーラルは大体ここら辺」

 シャルはそう言って、西に真っすぐ伸びた川の少し上、川の中央からやや湖よりの場所に丸を描いた。


「今、俺らが向かっているのはここか?」

 ギルはシャルの地図の、北と北西に伸びる川の間のエリアを指さした。


「いいや、もっと先だよ。少し待ってて」

 シャルは湖と川を囲うように点線を描き始め、点線の内側に射線を引いた。南側にある四つの川は完全に射線に覆われ、北にある二つの川も湖側の中央あたりまで、射線が引かれていた。そして、川とは別に、湖から北東に向けて細長く伸びた射線に囲まれた地域があった。


「この射線は樹海。この北東に伸びるのが北方樹海線と呼ばれる地域で、僕らが目指すのは、このノール川(北に伸びる川)と樹海線の間の地域、アヴィサル。ここは長らくオズノルド領だったけど、十年前にオズノルドの食糧難を期に、この樹海線まで一気に攻め込んだ。本当は、さらにその先まで攻めてたんだけど、あの植物大氾濫のせいで、前線を下げざるを得なかった」

「そして、今攻められているのがここってことだな」

 ユーグが言い、シャルはうなずいた。


「それって、樹路が突破されたってことだよね?」

 ミラが尋ねた。


「ううん。どうやらそうじゃないみたい。聞いた話だと、新しい樹路が開拓されて、僕らは背後を突かれた形になってるらしい」

「なるほどな。それを俺たちがさらに背後から攻めて、救援に向かうというわけか」

「だと思う」


 シャル、ユーグ、ミラは地図を眺めて戦場について思案しているようだった。しかし、ギルは一人話について行けてなかった。


「なあ、樹路ってなんだ?」

 三人の驚愕する表情が一斉にギルに向けられた。


「お前ってホントに何も知らないな。それは俺でも知ってたぞ」

「うるさいな。いいだろ別に」

「馬鹿もここまで来ると、天才かもしれないなあ」

「おい。こいつを窓から放り出してもいいか」

 ギルは親指でユーグを指さしながら、シャルに聞いた。


「まあ、いいんじゃないかな」

 シャルは明らか適当に答えた。


「よし」

 そう言うとギルはユーグを掴み、二人は狭い座席の中で取っ組み合った。

 ミラは二人の前であたふたしながら、やめなよと止めたが、全く効果はなかった。

 シャルはその様子を微笑ましそうに見つめながら、ふと窓の外に目を止めた。


「ギル。ユーグを外に放り出すのは少し待った方がよさそうだよ」

 ギルとユーグは取っ組み合いを止め、シャルの方を向いた。


「何でだ」

 二人は同時に言い、顔を見合わせ、すぐに顔を前に戻した。


「っていうかシャル。俺を放り出すなよ」

「何か見えるのか」

 ギルはユーグの言うことを無視して、シャルの見ている方向を見ようと立ち上がった。


「樹海が見えてきたよ」

 そのときちょうど、車が曲がり、窓から地平線を埋め尽くす鬱蒼とした樹海が見えた。

 木々の間や地面には隙間がないほどの植物が生え、概ね緑色をしていた。そして、樹海は時々刻々と動き続けていた。さっきまで、頭一つ飛びぬけていた巨木が突然倒れたかと思うと、太い棘に覆われた蔓が空へ向けて伸び上がり、その蔓もすぐに黒く変色し、ドロドロに溶けてなくなり、今度は木々の葉から青いキノコが大量に生え出し、ピンク色の胞子を辺り一帯にまき散らした。それが樹海のほんの一角で、たった数分の内に起きたことだった。


 ギルたちは窓に張り付き、その異様な光景に声が出なかった。他の座席でも同様で、窓側にいてその光景を目にしている兵士たちは悄然として声が出せず、反対側の座席にいた兵士たちの見せてくれとせがむ声だけが聞こえる。


「ギル、樹路っていうのはね。そのままの意味だよ」


 ギルは車が曲がり、見えなくなりつつある樹海を眺めながら、シャルの次の言葉をできれば聞きたくないと思った。

 しかし、シャルは続けてその言葉を口にした。


「樹路は樹海の中を通る路だよ」

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