27 バルドリック

 広場は狂ったように盛り上がっている。さながら溶鉱炉の近くにいるような熱気が渦巻いている。

 特に、あの炎を噴き出す巨大な祭壇が見え始めたときの歓声は引くほど狂気じみていた。まるで密林の中に放り込まれ、植物たちが不気味で不快な音を立てながら争っている様子を呆然と眺めているかのようだった。


 広場の中央ではこの日のために建てられた三つの櫓あり、その上からは真っ赤に熱せられた鉄が打ちつけられ、そこから飛び散った火花を浴びようとする人の群れがあった。

 群衆は腕を上げて叫び、煌びやかなアクセサリーをジャラジャラと着けた観光客たちは遠巻きからその狂乱を楽しんでいた。まるで見世物小屋の檻の外から下等な獣でも見るかのように。


 俺たち四人ももちろん檻の外にいた。それもかなりの外側で、広場全体が見下ろせる屋根の上にいた。ここは知る人ぞ知る場所で、裏道に入り十回ほど正しい道を選び続ければ来ることができる。もちろん屋根に上がったのは見下すためではなく、ただ遠くから景色を眺めたかったのと、この町ではかなりの変わり者で、火花を浴びたくなかったからだ。


 ──ウォォォ‼


 また一段と大きな歓声が上がった。それと同時に、大通りからあの祭壇が煙を噴き上げてやってきた。広場に居た人々は、まるで地面が割れたかのように道を開けた。そして、たちまち通り道が完成し、道は広場の中心で鋭角に曲がると、城へと続く大通りまで伸びていった。

 その光景は圧巻だった。さっきまで無秩序に暴れ回っていた集団が、あの祭壇の登場で知性を取り戻し、一瞬で自らの取るべき行動を理解して、実行した。まるで、どこか無意識下で繋がっているかのような、一つの生命体であるかのような動きだった。


「すごいわよね、これ。普段もこれくらいの連携を見せて欲しい」

 ミラが俺の耳元で大きめの声を出しながら言った。

 俺はミラの声を聞いて、自分が口を開けたまま、阿呆顔をしていたことに気が付いて、すぐに口を閉じた。口を開けすぎたせいか、煤煙や塵の苦い味がする。


「これだけでも来たかいはあったよ」

 俺は本心からそう言った。

 きっとあの観光客たちも腰を抜かしているに違いない。


「すごい炎ね。真っ赤よ」

 アレッサが祭壇の炎を見下ろしながら言った。

 アレッサの肩にはユーグの腕が乗せられ、アレッサはその手を掴んでいる。そして、今気が付いたが、二人の指には金色に光るお揃いの指輪がはめられている。


 成功したみたいだな、ユーグ。


 俺は二週間ほど前に、俺の部屋を訪ねてきたユーグを思い出した。あの時の覚悟を決めた表情。俺なんかには頼みたくなかっただろうに、それほど成功させたかったということだろう。

 ガキの頃、俺とアレッサが話しているのをよく見かけると嫉妬された──あの時はひやひやさせられたよ、まったく──もんだが、なよなよしさを取り繕うのも止めて、今は一段と男らしくなったな。


 ユーグは俺が見ていることに気が付いたのか、アレッサの肩ごしにウィンクをしてきた。

 俺は微笑んで見せ、うまくやったなと、視線を指輪に向け、健闘を讃えた。

 ユーグは照れたように鼻を掻いて、アレッサと同じように祭壇を見下ろした。


 俺は二人の並ぶ横顔を見つめ、唐突に羨ましく思った。

 これまで一度だってこの二人にそんな感情を抱いたことはなかったのに。二人を見ていると、何かしらの拠り所や救いが欲しくてたまらなくなった。そんなものはいらないと、散々言い聞かせ、捨て去ったはずなのに。アレッサにもそう言ったはずなのに。

 激しく燃える炎の光に当てられ、影が長く長く伸びていく。


 そんなことを想像しながら、自然と自らの影を目で追っていた。長く引き伸ばされた影は、背後の人一人がやっと通れるほどの壁と壁の隙間に飲み込まれていった。


 俺としたことが、感傷的にそれを見つめていると、その影が動いた。俺は驚きのあまり声すら出なかった。だが、そのおかげで周囲にはばれずに済んだ。

 影が動いて怖かっただなんて、恥ずかしくて言えたもんじゃない。だが、実際動いたような……。いや、疲れてるんだ。それか、塵とか煙のせいで目がおかしくなっているのかもしれない。

 俺は目を擦って、もう一度よくその隙間を確認した。


「オラーッ‼ ここはどうだ‼」

「うわっ‼」

 突然隙間から、一人の男が飛び出してきた。

 俺は咄嗟に跳び上がって身構えた。剣を装備していないにも変わらず、腰に手がいった。


「お、着いたぞ、シャル! ついにだ」

 よく見ると飛び出してきたのはギルだった。

 俺たち四人はぽかんと、腰に手を当て達成感に満ち溢れているギルを見た。ギルは体中が煤や灰みたいなもので薄汚れ、服には緑や紫の染みや何かに引っ掛かれた痕、それに髪の毛には真っ黒な棒状の葉が絡みついていた。


「あれ? お前ら、こんなとこで何やってんだ」

 それは俺らのセリフだろ。

 そう思ったが、まだ驚きのあまり口が動かなかった。


「──そ、それはこっちのセリフよ。あんたこそ何やってんのよ?」

 アレッサが最初につっこんだ。


「何って広場の盛り上がりをよ、見に来たんだよ。おー、やっぱ盛り上がってるね。すげー、道ができてるよ。ってここ屋根の上か」


 こいつ、来て早々うるさいな。


「おまえ……」

 ユーグも戸惑っているようで、何から言っていいのやら迷っているようだった。

 俺も同じ気持ちだ。つっこみたいことはたくさんあるが、そもそもどうやってここまで来たんだ。この場所はこの町で生まれ育ったミラだからこそ知ってる場所なのに。


「さっきシャルって言った?」

 ミラが壁の隙間とギルを見比べながら聞いた。


「ああ、シャルと来たんだ。もう来るよ。あ、ほら。シャル早く来いよ」

 そう言われて、再び壁の方を見ると、隙間からブロンドの頭がキノコのように生え出してきていた。


「君はどこまで元気なんだよ。僕はもうヘトヘトだ。ほんとに着いたんだろうね」

 シャルが完全に姿を現すと、ギルと同じように体中、傷と汚れまみれで、顔が疲れ切っている分、余計悲惨に見えた。

 今のシャルを貴族だと言い張っても誰も信じないだろう。


「お、みんな、どうしてここに?」

 シャルはほんの少し元気を取り戻したようで、僅かに表情を明るくし、こっちまで来た。


「だいじょうぶ、シャル? 傷だらけ、だけど……」

 ミラは思わず駆け寄ったはいいが、途中で恥ずかしくなったのか尻つぼみになって、最後の方は何を言っているのか聞こえなかった。

 きっと図書館でのことを思い出したのだろう。余計なことを言ってしまったな。


「大丈夫だよ。それにしても、すごい絶景だ。こんな場所があっただなんて」

 シャルは放心状態で火祭りの様子を眺めていた。

 目にはうっすらと涙が浮かんでいるようにすら見える。

 いったいどれほど大変な思いをさせられたんだろうか。そう思ってギルを見ると少し不満げだった。


「確かにここもいいけどよ、下に行かないと祭りって感じがしないよな。ここじゃあ盛り上がりをいまいち感じられない。戻って他の道を探そう」

 ギルはシャルの腕を引っ張ったが、シャルはお構いなくその場に座り込んだ。そして後ろに手をつき、気怠そうに顔を上げた。


「なんだよシャル。行かないのか」

「いかない。ここでいいよ。いや、むしろここがいいよ。落ち着く」

「なんだよ。せっかくここまで来たって言うのによ。俺は行くぞ。ラストスパートだ」

「行ってらっしゃい」

 いつもはギルの暴走を真っ先に止めるはずなのに、シャルはだらんと垂れた腕を上げて見送った。

 ギルはそれを見て、すぐに来た道を引き返し始めた。


「おいちょっと待て。道知ってるのかよ」

 ユーグが一泊遅れて、ギルを追いかけた。

 ギルは既に隙間に体を入れている。


「知らない。だけど、ここまでこれたんだ。もう行けたも同然だよ」

 ギルは最後に顔だけを出して、そう言い残すと消えた。


「待ってよギル。危険よ!」

 ミラが言ったが、ギルは全く聞き入れなかった。

 俺たちはまた呆気にとられ、シャルだけが安堵のため息をつきながら大の字に寝転がった。


「どういうことだ、シャル?」

 俺はシャルの伸ばされた足に触れながら言った。


「裏道を通って来たんだよ。神殿からここまで」

「え⁉」

 俺たち四人は同時に驚きの声を上げた。

 そして、すぐに合点がいった。それなら、汚れているのも、衣服が傷だらけなのも、シャルの疲労と、ギルの言葉の全てに納得がいく。


「なんでそんなことを? 聞くまでもないと思うけど」

 アレッサがシャルを覗き込み、顔にかかった髪を払ってあげながら言った。


「まあ、みんなの予想通りだよ。今は後悔してる。あのときもっと必死にギルを止めておけばよかたってね。正直、裏道を舐めてた」

「ほ、ほんとうに神殿から、きたの? 裏道を、通って?」

 ミラが目を見開いて聞く。

 そんなに大きな目をして、煙が沁みないのだろうか。


「本当だよ。あそこはまさに迷宮だね。魔王を倒しに行く勇者の気分だった。数々のトラップに分かれ道。魔物との遭遇。はあ、出てこれたのは奇跡だよ。しかもそこで君たちに会えるなんて。今日一番の加護を得られたのは、今日一番火の粉を浴びていない僕らなんじゃないかな」

 シャルは目を閉じ、生を実感しているようだった。

 ユーグは戻ってきて、シャルの頭の側に立つと、シャルのおでこ──アレッサに髪を払われた場所──を羨ましそうに眺めている、ように見える。

 自分も行けばよかったと思ってるな。ばかだな。


 俺は思わず鼻を鳴らしながらにやりとした。その時ふとユーグと目が合うと、ユーグは咄嗟に目をそらした。そして、気まずそうにポケットに手を入れ、片膝に重心をかけた。

 この反応は当たりだな。


「ギルはほうっておいて大丈夫なのか?」

 ユーグが尋ねた。


「大丈夫じゃない? ここまで来れたんだし。あと少しくらいなら」

 アレッサがユーグを見上げ、手を取って優しく引っ張り、座らせた。


「無理よ。みんなもここに来るまでに見たでしょ。正しい道順が分からないと、どんどん変な方向に行っちゃう」

 ミラだけは落ち着かない様子で壁の隙間を見つめた。


「でも、野生の勘はあるからいけるんじゃないか。実際ここまで来たんだし」

「そうね。鼻だけは誰よりもききそう」

 ユーグが言い、アレッサが同意した。そして、互いに見つめ合って笑った。

 幸せそうなことで。


「いいや、無理だよ。ギルの野生の勘は、どこが危ないかしか察知できないから。方角まではむり。むしろ、音痴まであるよ。ギルが選んだ道はとことんだめで、僕が道を選んでここまで来たんだ。だから、きっと今頃つけずにさまよってるよ」

「じゃあ、今すぐ行かないと。まだそんなに遠くには行ってないはずだから」

 ミラは一人立ったまま訴えた。

 確かに少し心配にはなってきたが、ギルなら何とかなりそうな気がして切迫感がない。見た感じ、アレッサもユーグも同じことを感じてそうだし、シャルに至っては大丈夫だと確信している節さえある。


「ほらみんな、行こうよ」

 ミラの心配を他所に、俺たちはあまりやる気が出ない。

 だけど、ギルよりミラが可哀想だ。

 探してやるか。手間のかかる奴だ。


「──じゃあ行くか」

 俺はのそりと──自分でもどうしてここまで気怠いのか分からないほど、腰が重い──立ち上がり、つられてアレッサとユーグも立つ。シャルは目を開けるだけだった。


「大丈夫だよ。ギルは絶対にたどり着けないから」

 シャルは意味の分からないことを言い出したかと思うと起き上がった。

 その言い方はまるでギルに裏町から出てきて欲しくないようだ。

 だけど、そんなはずはないよな……。それとも、それほどまでにギルからひどい目に合わされたのか。

 俺は改めてシャルの装いを見て、それも仕方がないなと一人納得してしまった。


「何言ってんだよ、シャル。だから迎えに行くんだろ」

 ユーグがシャルの頭をパシッと叩いた。


「そうよ、全然大丈夫じゃないじゃない」

「行こう。こんなところで話してる場合じゃないよ」

 ミラは俺らを促すと、真っ先に駆け出した。


「大丈夫だってミラ。ここで待っていれば──」

「そんなこと言ってられないでしょ! 裏道を通ってきてその危険を味わったんでしょ。ここまで来れたのは本当に奇跡中の奇跡よ。さっき言ったように加護が無ければ来れなかったほどに。だけど、その加護がこの後も続くかなんて分からない。それなのに、そんな悠長に構えていられない。いくらひどい目に合わされたからって、それはひどすぎるわよ」

 ミラはシャルを睨みつけた。

 初めてのことだった。ミラがシャルを睨みつけるのも、こうやって自らの主張を、声を張って伝えるのも、そのどちらも初めてのことだった。

 俺は面倒くさそうにしていたさっきまでの自分が恥ずかしく思えてきた。

 ギルのことを真面目に心配していたのはミラだけだったな。俺たちは仲間なのに。


「すまない、ミラ。行こう。まだ間に合うはずだ」

「そうよね、ごめん。きっとあいつのことだから騒いでいるはずよ」

「その声を追って行けば見つけられる」

 俺たちは互いにうなずき合った。


「いや、みんな、僕が言いたかったのは──」

「シャルは疲れているだろうからそこにいて。後で迎えに来るから」

 ミラはまるで人が変わったようだった。ついさっきまで、シャルと話すことさえ照れて、躊躇っていたのに。

 俺はその変化に驚いたと同時に、嬉しいような感じがした。子の成長を喜ぶ親ではないが、それに近しいものなのかもしれない。そもそも親がどういうものか知らないからこの感情はよく分からないが、言葉で言い表すのならそれが一番近いのだろう。


 ミラは俺が知る限り──ひょっとすると人生で──初めて先陣を切って進んで行った。

 振り返ると、シャルは呆気に取られて固まっていた。後ろ手について座っているので、腰が抜けてしまったように見える。それを抜きにしても、今日ばかりはシャルが情けなく見えた。


 ミラが進み、その後に俺が続いた。左右の壁は狭く、前を歩くミラの肩幅とちょうどで、俺は体を斜めにしなければならなかった。入ってすぐに広場の灯りが届かなくなり、ミラの姿さえ曖昧になった。シャルの待つように言う声が背後から聞こえてくる。俺たちはそれを無視して進み続けた。


 ──きゃっ‼


 突然ミラがか細い悲鳴を上げた。


「どうした⁉」

 この時、すぐ先に僅かな青白い光が見えていた。俺は斜めになった体を急がせ、服が壁を擦ることも気にしなかった。数秒後、隙間を抜け、肩を正面に向けた瞬間、俺は何かを蹴ってしまった。そして、その拍子につまずき、前のめりになる。俺はしまったと思った。ミラが倒れていることを考えなかった。

 しかし、俺が蹴ったのはミラではないようだった。なぜなら返ってきた声が男のものだったからだ。


「イタッ! 誰だよ、蹴るな」


 俺は一瞬思考が止まったが、その声の主がギルであることにすぐに気が付いた。そして、下にはうずくまるミラと隣にしゃがみこむギルの姿があった。

 俺は安堵と共に、二人の上を辛うじて飛び越え、ぶつからずには済んだが、頭から地面に飛び込むことになった。咄嗟に腕で顔を守りながら前転し、着地した。


「うおっ! 危ないな」

「何があった⁉」

「どうしたの⁉」

 ユーグとアレッサの心配する声が聞こえてきた。俺はすぐに声を上げる。


「二人とも止まれ。何でもないから安心しろ」

 俺がそう言うと、二人の困惑した声が聞こえ、そしてすぐにアレッサが顔を出し、ユーグも出てきた。


「あれギル。あんた、何でこんなところにいるのよ」

「俺たちは今からお前を探しに行こうとしてたんだぞ」

「何で俺を探しに──」

「いてて……」

 うずくまっていたミラがおでこを押さえながら体を起こした。


「どうしたのミラ。ギルにひどいことされたの?」

 アレッサはミラの脇に屈みこむと、背後から守るように覆いかぶさった。まるでギルから守るかのように、わざとらしく。


「ちげーよ。俺が戻ろうとしたら、たまたま腕がおでこにぶつかっちまったんだよ。悪かったなミラ」

「うん。だいじょうぶ。わたしの方こそごめん。驚いてつい」

 ミラは、はにかみながら答えた。


「いたいた。やっぱり戻って来たね、ギル」

 シャルが少し遅れてやってきた。


「だってしょうがないだろ、道が分からなかったから、戻ってくるしかなかったんだ」

 ギルのその一言でシャルが言おうとしていたことが分かった。

 シャルのあの態度は、そういうことだったのか。


「大丈夫ってのは、どうせすぐに戻ってくるから大丈夫ってことか」

「そう、そう言うことだったんだけど言葉足らず過ぎたよね。ごめん」

 シャルは立っている男たちを見回し、その後ミラの前に回って片膝をつけてしゃがんだ。


「ごめん、ミラ。確かにさっきの僕の態度はひどいと言われてしかるべきだったと思う。君が本気で心配していたのに、僕はそれをあまり気にしなかった。もっと、君の気持ちを考えるべきだったよ」

 ミラはおろおろとして視線を下げ、小さく首を振る。


「わたしの方こそごめん。怒鳴ったりして……」

 アレッサはそっと静かにミラから離れた。

 ミラは目の前のシャルに注目するあまり気づいていないようだった。


「なあ、何の話だ? ミラが怒鳴ったってほんとか」

 ギルが無遠慮に聞いてきた。

 空気を読めよ。やっぱりこいつは裏道に残しておくべきだな。


 俺は黙ったままギルの頭をはたき、それと同時にアレッサも背後から足を蹴った。


「ちょっと黙ってなさい」

「ちぇ。なんだよ二人して」

 ギルはあからさまに不貞腐れたが、それでも何かを察しはしたのか、それ以上何も言わなかった。


「ミラがあんなに声を張り上げるのは初めて見たよ」

「やめてよ、はずかしい。ほんとにはずかしい」

 ミラは顔を手で覆った。


「そんなことないよ。怒鳴ってるミラはかっこよかった」

 ミラは少しずつ顔を上げていった。


「図書館以外で初めて本当の君を見た気がしたよ」

「──いや、そんな。わたしなんか。べつに。かっこよくなんかない……。本当のわたしは勘違いで怒鳴っちゃうんだから、ひどいよね」

 ミラはまた自分を責め始めた。

 自分に自信がないせいか、ミラはすぐに「自分なんか」と口にする。そして、全ての失敗の原因は自分にあるのだと責め、内に籠ろうとする。俺たちは誰一人だってそんなことを思っていない。本当のミラを嫌うことも、嘲笑うこともないのに。それでもミラは自分を出そうとしない。

 俺にもそれが理解できるから、最後まで言ってやることができなかった。それに言ったところで聞き入れてくれるかどうか分からない。でもシャルなら。ミラが好いているシャルなら、それができるかもしれない。


 俺はシャルが何というのか、息を呑んで見守った。


「──本当のミラが怒鳴ったのなら、ミラは心の底から優しいってことだ」

「そんなことない」

「いいや、友達のために自分のプライドや恥ずかしさを押しのけたんだ。それが簡単なことじゃないってのは、ミラが一番よく分かってると思う。でも、他人のためにやってのけた。しかも無意識に。それを優しさ以外になんて言う?」

「それは……」

 ミラは反論しようと声を発したが、すぐに言いよどんでしまった。


「勇敢だった」

 ユーグが言い、ミラは首だけを後ろに向けた。


「ええ、とっても」

 アレッサはうなずき、俺も目が合ってうなずいて見せた。


 ミラの目は暗がりの中でも僅かな光を反射し、川面に浮かぶ月のように揺らめいていた。


「わたし……。ううん、ありがとう」

 ミラは目を腕で擦った。


「立てるかい」

「──うん」

 シャルが手を差し出し、ミラは一瞬、躊躇した後、その手を取った。


 その横顔は自分を出せずに照れてもじもじしていたミラではなかった。恥ずかしそうにしながらも自らの思いを素直に認め、自分を受け入れ、それが表情に現れていた。


 今は他人の瞳に映った姿を気にせず、心の底から笑っていた。

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