15 ユーグ
「それで見つかったのか?」
「いいや、見つからなかったみたい。少なくとも過去の例みたく、暴れたり、発狂したりする人は一人もいなかった」
「なら、いなかったってことだよな?」
俺はベッドの上に寝転がり、天井を見上げながら言った。
シャルは二段ベッドの下にいる。
「どうかな。僕はいたと思ってるんだけどね」
俺は何を言ってるんだと思いながら、体を起こし、ベッドの柵から乗り出し、下にいるシャルを覗き込んだ。
シャルはベッドに腰掛け、手元で何かをいじっているようだったが、頭で隠れてそれが何かは見えなかった。金属的な音がしているので、鍵かアクセサリーのようなものなのだろう。
「いなかったから、見つからなかったんだろ。もちろん全兵士を試したんだよな?」
「もちろん。見張りだった兵士も交代で試したし、要塞にいる兵士たちにもしたらしい」
「だったら、いなかったんだろ。ただの思い過ごしだったじゃダメなのか」
シャルは手を止め、持っていたものをポケットにしまった。
「スパイがいたと仮定すれば大体のことは説明できる。それに、唯一解決できなかった問題も彼らが夜にも行動できたとなれば全て辻褄が合う」
「でも、そんなことあるのか? あいつらは国民全員が太陽を信仰していて、たしか、心の支え? みたいな感じなんだろ」
俺は授業で習ったはずのことを思い出そうとしたが、寝ていたこととギルと遊んでいたことしか思い出せなかった。結局思い出せたのは黒板の白い文字じゃなく、シャルがまとめてくれたノートの黒い文字だけがパッと浮かんだ。
もっとまじめにやっておくべきだったなと今更少し後悔している。もう遅いけどな。
「太陽っていうのは彼らの文化の根底にあるものだからね。数百年も昔から受け継がれ、作り上げられてきた精神的支柱そのものなんだよ。だから、太陽ってものを抜きに彼らのことを考えることはできない。僕らが思っている以上に彼らは正反対の闇というものを恐れているんだ。これまでは、あの僕らでさえも恐怖を感じる暗室に耐えられるとは到底思えなかったんだけど……」
「だけど?」
シャルは思わせぶりに間を開けると、顔を上げた。
「リックの話だと、橋はいとも簡単に
俺は数日前の夕飯でシャルが言っていた話を思い出した。その話では、見晴らしがいいあの場所でばれずに橋に近づくのは無理だってことだった……。
「彼らがもし夜に行動していたとしたら、ばれなかった可能性は高い」
シャルは立ち上がって俺の方を見上げ、俺も柵に両手をつけてシャルを見た。鼓動が少し早くなっているのが分かる。
「僕らは初めから彼らが夜に行動することはないと決めつけていた。それは彼らとの争いが始まった二百年以上前から変わらず、ずっとそうだったからだ。それに夜は植物の襲撃率も格段に低くて、昼間と比べれば一割にも満たない。だから、そもそも、夜の見張りも大して真剣にやられてなかった。そんな中、彼らがこっそり闇夜に紛れて近づいてきたらどうだろう。いくら見晴らしがよくて、月明かりがあったとしても、気づいただろうか」
俺はシャルの推理に聞き入っていた。
実際、訓練兵時代に橋に行ったときは、兵士たちのほとんどが見張りそっちのけで、酒を飲んだり、カードゲームをしたりしてた。俺たちは絶対にやつらが夜に行動しないって決めつけて作戦の全てを組んでる。もしこれが覆るようなことがあれば、作戦を一から考え直さなければならない。
俺の柵を掴む手が震えている。とてつもなく大きな物に圧迫されて内臓が押しつぶされているみたいだった。あの日からどんどん大きくなる不安に、いよいよ耐え切れそうにない。
冗談じゃない……! スパイが見つからなくて少しは安心したのに、まだおびえなきゃいけないのか。こんなんでどうやって生き残ればいいんだ。
「それは、話したのか、城主様に」
俺の声は震えていた。それに、俺の声じゃないみたいに小さかった。
「──話してないよ。でも、気づいていると思う」
「おもうって。そんなんでいいのかよ。ここで何もしなかったら、もっとひどいことになるんだぞ。もっと人が死ぬんだぞ」
俺は無性に腹が立った。自分とは反対で、あまりに冷静なシャルに怒りが湧いてきた。
どうしてそんなに落ち着いていられる。お前はこの城のどこに敵がいて、いつどこで何が起こるか分からないのに、また大勢の人間が死ぬかもしれないのに、『気づいていると思う』だと。悠長にもほどがあるんじゃないか。
「分かってるよ。でも──」
「お前は貴族だもんな」
驚いた。一度だってそう思ったことのない言葉が口から飛び出した。
シャルのショックを受けた薄い緑色の瞳が俺を見上げている。
「──ああ僕は貴族さ。でもそれがどうしたって言うのさ」
俺は鼻を鳴らした。そして、言いたくもない言葉が止まることなく、するすると出てくる。
「もし次、戦争になったって自分が死ぬことがないって分かってるだろ。あの戦争のときは、橋の要塞があると思われてたから比較的安全な戦だと考えられてた。だから、お前は前線に出ることを許された。だけど、次はそうはいかないだろ。あんなことがあったんだ。お前は絶対前線には立たされない。そんなことはお前が一番分かってるんじゃないか?」
シャルは黙ったまま俺を見上げている。その顔は、衝撃と悲しみが入り混じり、言い返そうとするのを抑えつけているようだった。
言い返すつもりがないならいいさ、何か言うつもりになるまで言ってやる。
「お前は安全だもんな。そりゃあ、そんな悠長でいられるだろうよ。戦争になって、大勢死ぬことになろうが、自分には関係ないもんな。お前が死ぬのは、何千人の兵士と市民が死んだ後だもんな。お前は守られてる。当然さ、城主の息子だからな。生まれながらに、俺らとお前らの命の価値は違うもんな!」
シャルはまだじっと俺を見つめたままだ。
俺は焦っていた。その目に怒りの感情が全くなかったからだ。
どうして。どうして言い返さない。どうして怒らない。
額を伝って落ちた汗が手の甲に落ちる。
「俺たち使い捨ての兵士がどれだけ不安な思いで過ごしてるかなんてお前には分からないよな‼ いつまたあの戦場に駆り出されるか、いつ死ぬことになるのか、そんな恐怖を押し殺して、それでも兵士を続けてる俺たちの気持ちなんか分かるはずがない‼ 分かるはずがないんだ……‼」
俺はシャルを見下ろし続けた。
それでも気分は最悪だった。全てを吐き切ると、部屋の中があの暗室みたいに暗く、寒く感じた。そして、終わったと思った。俺は暗闇に耐えきれずに叫んでしまった。これから兵士に連れ出され、拷問部屋に連れていかれてしまう。そんな気がした。
俺は目をそらした。上に居ても、一方的に怒鳴りつけても、シャルには何一つ及ばなかった。
シャルは初めから分かってたんだ。俺がただ自分の弱さを他人のせいにして、ぶつけてるだけだって。そうでもしないと、自分を保っていられないような弱いやつだって。
惨めだよなあ。何で俺みたいな奴が生き残っちまったんだろうなあ。あの時、死んじまえばよかったのに。何で生き残ろうなんてしたのかなあ。
「言いたいことは全部言ったかい?」
シャルの声は俺に怒鳴られた後とは思えないほどいつも通りだった。
残っていた最後の力が抜け、おれはその場に座り込んだ。もう口もきけなかった。
「上にいないで降りて来なよ」
シャルの言うままに体が動いていた。感覚は無かったけれど、梯子に足をかけ、一段ずつゆっくりと降りた。そしてシャルの前に立った。
シャルが口を開けて、息を吸い込んだ。
おれは怯えた。
何を言われるのか。あれだけひどい言葉をぶつけておいて、自分については何も言われたくない。おれは本当にみっともない。あの親父と同じじゃないか。
死んだ母親の顔が浮かんだ。笑っている。いつも元気でパワフルな人だった。酒を飲むと、おれが物心つく前に分かれた親父の愚痴をよくこぼしていた。
親父はどこかの町で売れない劇作家をしていたらしい。母さんが兵士相手に日夜働いて日銭を稼ぎ、親父を支えていた。親父は暴力的で、少し注意されただけでも暴れ回るような男だったらしい。だけど、母さんはどんなに貶されても、手を上げられても、親父が成功することを信じて疑わなかった。
『あんなに面白い話をかけるのに、誰にも認めてもらえないあの人の方がもっと辛いに決まってる。あの人は苦しんでるのよ。だから私はどんなことがあってもあの人の側で支え続ける。だから、ごめんね。私はまだ帰れない』
ばあちゃんから見せてもらった手紙にそう書いてあった。売れて裕福な暮らしができるようになればきっと変わってくれるとそう信じていたらしい。
手紙の一年後、親父が書いた脚本の舞台が大成功した。満員御礼で会場の外にまで人が溢れていたらしい。当然母さんは最前列でその舞台を見守った。俺も一緒にいたらしい。舞台が終わり、母さんは舞台小屋の外で親父を待った。親父が笑顔で駆け寄ってきて、これまでのことを謝り、新しい生活が始まることを期待して。
だけど、現実はそうならなかった。待っても出てこない親父に痺れを切らした母さんが、中に入ると、そこには親父とその舞台の主演女優がいた。若い綺麗な女優だったらしい。何をしていたのか、母さんは絶対に言わなかったけど、今は想像がつく。
母さんは親父が受け取った金をふんだくると、俺を連れてその日の内に故郷のミュルズに向かった。親父は最後まで、暴言を吐き続けた。
母さんはしばらくの間、金を持ってきたことで捕まるのではないかと怯えたが、それきり何もなかったらしい。その数年後、親父は有名になり王都でも公演をしたと風の噂で聞いた。でも、母さんは微塵も後悔していなかった。そして、口癖のように俺に言った。
『ユーグ、あんな男には絶対になるな。受けた愛を愛で返せるような、そんな優しい男になるんだ』
母さんの伸ばされた手が俺の頭を撫でている。そうやって大きな口で笑った母さんの顔が誰よりも美しかった。
なのに……。
今の俺は親父だ。自分の弱さを人のせいにして親友を怒鳴りつけて、傷つけた。
「アレッサが……」
シャルが言ったその言葉でおれの背はさらに曲がった。顔が地面に吸い寄せられるようだった。
「アレッサが心配してた。どこに行ってもいなかったって。会ってくれないのは自分が嫌われたからじゃないかって不安がってた」
おれは両手で顔を覆う。
おれは何やってるんだ。恋人まで不安にさせて、やったことが、親友二人を傷つけることか。
シャルがおれの手首をつかみ、顔を上げさせた。そして顔から手を剥がされる。シャルは笑顔だった。この状況を楽しんでいるわけでもなく、嫌味でもなく、純粋な、母さんと同じような笑みだった。
「だから言っておいた。ユーグほどアレッサを愛している人はいないって。嫌いになるわけがないから安心しろって。そう言っておいた」
体の奥が熱い。何かが湧きあがってくる。ずっと我慢していた想いがすぐそこまで迫ってきている。
「──アレッサは、なんて?」
「顔を赤くしてやめてくれって。でも、嬉しそうだった」
涙が溢れて止まらなかった。人前で泣くのは恥ずかしかった。それでも、もう止まらなかった。シャルが俺の肩を叩き、引っ張って座らせた。
しばらく泣き続けた。こんなに泣いたのは、母さんを無くした時以来だ。その数年分の涙が全部吐き出されたようだった。
泣いた後は不安の全てが解消されたように気分が軽かった。だけど、まだ心の奥深くにしつこく残り続けるしこりがあった。
俺は横でじっと待ってくれているシャルを見た。
「──ごめん。さっき言った言葉。全部本心じゃない。本当はあんなことこれっぽっちも思ってない」
俺はベッドの縁に頭がつきそうなほど頭を下げた。
「そんなこと初めから分かってたよ。僕ら長い付き合いだろ。気にしてないよ」
「それでも、許されないことだ」
俺が顔を上げると、シャルは難しい顔をしていた。
「──俺は弱い人間だから、お前やギルみたいに強い人がずっと羨ましかった。目の前で母さんを亡くした時、強くならないとって思ったんだ。強くないと大事な人を守れないから。だからずっと自分を偽って、みんなの前では何にも動じない強い男を演じてきた。
だけど、根が弱いからさ、戦争みたいなことになったら、もうそんなこと言ってられなくて。色んなこと考えて押しつぶされそうで。もう自分でも何が何だか……」
今の俺は驚くほど情けなかった。これまで誰にも見せたことがない姿だし、一度だって話したことがないことだった。絶対に誰にも知られたくないと思っていたことなのに、今は不思議とすっきりしている自分がいる。
もう見栄を張らなくていいからかな。みんなが俺のことをその程度人間だと思っていてくれたほうが、気が楽なのかもしれない。
「ユーグ。君は弱い人間じゃないよ」
俺は顔を上げた。
シャルならそう言ってくれると思った。でももういいんだ。
「弱いよ。実際俺はこの戦争から逃げようとしている。今朝ギルに言ったんだ。俺は任期が終わればこの城を出て行くつもりだって。断られるかもしれないけど、アレッサにも聞いてみるつもり」
シャルは何も言わなかった。
もしかしたら気づいていたのかもしれない。シャルはギルと違って人のことをよく見てる。
「それは弱さかな。僕には君が強い人に見える」
俺の胸が激しく音を立てた。
「君は優しすぎるから、自分だけじゃなくて他人の分まで背負い込んで一緒に悩んでいる。君が城を出て行きたいのは自分のためじゃないだろ。アレッサがそれを望んでいると分かっているからだろ」
「違う……。違うよ。俺は俺だけが助かりたくてそう言ってるんだ。アレッサにもついてきてくれればいいなって思ってるだけで……。自分勝手だろ」
何をむきになってるんだ。もういいだろ。
「自分だけが助かりたい人間がそんなに苦しむかな。そんなこと、僕にもギルにも言う必要なかっただろ。時期が来たら何も言わずにこの城を出て行けばよかった。そうだろ?」
そうさ、そうしようと思ったさ。だけど……。
「君は僕らを裏切ることになるって考えたんだろ。もし君が黙ったまま兵士を辞めて、その後に僕らの内の誰かが死んだら、自分のせいだと後悔するかもしれないと思ってる」
薄暗い部屋の中でシャルの緑の目だけが蛍光植物のように光っている。
「アレッサの想いと僕やギルの想いと、その狭間で苦しんでいたんだろ。どっちも裏切りたくなかったから。
僕やギルはね、強いんじゃない。どんなに悩んでも結局は他人よりも自分の決断を優先する。追い詰められれば、平気で他人を裏切ることができる。そういう人間なだけだよ。残念だけど大多数の人間はそんなものだよ。だけど君は違う」
シャルが俺の肩を強くつかんだ。
「君は追い詰められても最後まで、自分を犠牲にして他人の意思を尊重しようと奮闘する。それは普通の人にはできないことだ。そんな君の優しさが弱さなわけがない。誰にも引けを取らない、唯一無二の強さだよ」
俺はまた熱い血が体を巡り始めたのを感じた。さっき出し切ったはずの涙がこみあげてくるのを感じた。
シャルがそんな風に思っていたなんてまったく知らなかった。弱いと勝手に思っていたのは自分だけで、みんなはそんなこと全く思っていなかったんだ。
「だけどね、ユーグ。そうやって一人で悩み続けても、今みたいに爆発してしまうだけだよ。そんなことを繰り返していたら、他人に翻弄されて君の人生を歩めなくなってしまう。だから、これからはもっと自分の想いを尊重するべきだ。アレッサがどうしたいとか、僕やギルがどうして欲しいとかじゃなく、今自分がどうしたいか。それをしっかり考えなよ。
君が悩むべきは他人が望む自分の未来じゃなく、自分の望む自分の未来だよ」
シャルの言葉で、自然と母さんの顔が浮かんだ。頭を撫でて、笑顔であの言葉を言っている……。
俺はずっと母さんが話してくれた理想に憧れてた。
そう言えば、母さんは微笑みながら、その目には寂しさのようなものがいつも浮かんでいた。もう自分の夢が二度と叶うことがないと理解している目だった。俺はそれを分かっていても何も言わなかった。母さんが目の前で殺されて、その目の光が消えていくときに後悔した。そんなことないって、今からでも遅くないって言ってあげられなかったことを。
アレッサを初めて見たとき、不思議と同じだと思った。ぎこちなく笑う彼女の目には母さんと同じ寂しさが浮かんでいるように見えた。だからだろう。その時から彼女のことが気になってしょうがなかった。アレッサと母さんを重ねて、今度はそうじゃないって言いたかったんだと思う。接するうちにアレッサの目の寂しさは消えつつあった。俺はそれだけで嬉しかった。
だけど、戦争を機にまた元に戻ってしまった。
「ユーグ。君はどうしたい?」
シャルの言葉がはっきりと俺の耳に届いた。もう決まってる。
「──アレッサと二人で生きていきたい。ここじゃなくて、もっと平穏な場所がいい。不便でも何でもいい。誰にも縛られず二人だけで自由に生きたい」
シャルは飛び切りの笑顔で笑っていた。
俺もその笑顔につられた。きっと俺の目には、かつて夢に想いを馳せていた母さんと同じ、希望が浮かんでいるに違いない。
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