14 ミラ

 僅かな光り一つない完全な闇が広がっている。


 本当に何も見えない。目を閉じても開けても何も見えない。もはや開けているのか、閉じているのかもよく分からなくなる。

 耳がボワボワして音が異常に大きく聞こえる。たぶん目が見えない代わりに、他の器官がそれを補おうとしている。周りにいるみんなの呼吸音から、みんなの感情が伝わってくる。そのせいでわたしも余計に緊張してしまう。

 触覚もおかしくなったのか、ずっと何か水みたいな物体に体中を抑えつけられているような感覚がある。


 暗闇の中で青っぽい灰色の霧が、雲みたいに形を変えて渦巻いている。目が光りを求めようと必死になってる。その雲が人や植物や色んなものに姿を変える。

 人型が見えたときには、体が内側からビクッと反応した。人型はすぐに霧消して、またとりとめもない形に戻る。


 そして、次の瞬間、この地下にいるのは自分一人ではないのかという想像が浮かんで、またドキリとした。

 首を動かしても当然何も見えないし、本当に首を動かしたのかも分からない。

 鋭敏になった耳を澄ますと、呼吸の音が絶え間なく聞こえてくる。それにほっと安心したのも束の間、次には自分の周りにいるのはゾンビみたいな集団で、健全な人間は自分一人なのではないかという恐怖に駆られた。

 そう思うと、みんなの呼吸が唸り声にも聞こえてくる。

 そして、目に映る渦がいくつもの人型に変わっていく。遠くからヨタヨタと歩き、腕を前に伸ばして揺れ、裂けた口を大きく開け噛みつこうとする。


 ダメダメ……! 


 こんなんだと気が持たない。他のことを考えないと。他のこと、他のこと、他のこと……。ああ、何にも思いつかない。ゾンビが消えない。こんなのに耐えられる人はいるのかな? 国柄とか関係なくこんな所に三十分も閉じ込められたら、誰だって気が触れる。ああ、叫びたい。悲鳴を上げたい。倒れ込みたい。だけど駄目よ。そんなことしたら、一発アウト。大公が関知しないとか言ってやがったわ。こんなんで殺されたら、たまらないわよ。大公め、あんな脅しつけやがって。それにしても、怖すぎるわ、あの大公。血が大好きってのは本当ね。絶対人を殺して楽しんでる口だわ。絶対にそう。あの目が何よりもそれを物語ってる。そうね、うん。そう……。ああ、またゾンビのやつが。折角消えたと思ったのに。今度は目玉が取れてる。


 もうー、いや。


 突然、わたしの太腿に何かが触れるのを感じた。瞬間、私の毛が逆立って、皮膚がジーンとする。


「うえっ」

 私は思わず声を漏らしてしまった。

 途端に不安に襲われ、恐怖に慄きながら、聞き耳を立てた。聞こえるのは変わらず、ゾンビが唸る声だけだった。

 私はほんの少しだけ、胸を撫でおろす。誰にもばれていなかったみたい。たぶんだけど。


 すると、また私の太腿に冷たい何かが触れている。私は身動きが取れなくなった。またあらぬ妄想が浮かんでくる。腐った腕が暗闇から伸びてきて──。


 ちがう、ちがう! 違うわ。右に座ってたのはアレッサ。だから、アレッサの手。そう、そうよね。そう。


 わたしは恐る恐る、感覚だけを頼りに腕を伸ばした。ゆっくりと近づけ、触った瞬間ベチョッとなる感触を想像して吐き気を催した。その手がわたしのすぐ近くの太腿にあるはずなのに、数百メートルも先に手を伸ばしているような感覚だった。

 あともう少しかなと思ったところで、冷たい皮膚に触れた。

 私は驚いて、すぐに手を引っ込めてしまった。その手も驚いて僅かに震えたのが太腿ごしに伝わってきた。私はそれに安心して、今度こそ手を伸ばして触れた。それは間違いなくアレッサの手だった。細くてスラッとした指。私のムチムチと膨れた手とは大違い。そして何よりも冷たい。


 だけどわたしはその冷たさにほっとした。

 アレッサも不安だよね。それはそうよね。わたしだけじゃない。アレッサが手を伸ばしてくれてよかった。このままだったら、完全におかしくなりそうだったから。今、誰かを近くに感じられることほど、心強いものはないわ。


 もうゾンビとはおさらばよ。


 だけど、アレッサの手はいつでも本当に冷たいな。冷え性なのかな? 冷え性に効く植物は結構ある。用法を間違わなければだけどね。入れすぎると、胃を発火させるようなやつもある。今度お茶をブレンドしてあげようかな。どの植物がいいかな。アレッサは甘いのは嫌いだから……。

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