6 ミラ

「ねえみんな。オズノルドはどうやって橋を奪い取ったと思う?」

 わたしの左隣に座っていたシャルが突然そう聞いてきた。

 わたしたちはちょうど夕食を食べていて、もう少しで食べ終わるくらいの時間だった。


 シャルは夕食の間中、浮かない顔をしていて、食が進んでいないみたいだった。わたしはそのことがすごく気にかかっていたけれど、どうやらあの日のことをずっと考えていたみたい。

 でもどうして? もうあれから一週間以上たったのに。今になってどうしてそんなことを聞くんだろう? いいえ、時間がたった今だからこそ? あの戦いの後、少しは話したけど、結局諦めたはず。


 わたしはシャルの顔をそっとのぞき見た。

 この顔は何か企んでいる。わたしはそう思った。シャルは頭がいいから、わたしたちの何倍も物事を考えている。だけど、頭が良すぎるからか、どこまでも自分の考えを追及してしまう癖がある。

 いつだったか、何か歴史のことで仮説を立てて、それを確かめるために図書館の史料室に朝早くから夜遅くまで籠っていたことがあった。心配になったわたしとリックで史料室に入ると、目を見開いて史料を読み漁っていたシャルがいた。

 今、そのときと似た空気を隣から感じた。目は見開かれていないけれど、その鋭い眼光で何かを見定めようとしていることは間違いなかった。

 でもいったい何を?


「そんなこと急に聞いてどうした? それに可能性はいくらでもあるから、考えても仕方ないって言ったのはお前だぞ」

 ギルがシャルの正面でグラスを仰ぎながら聞いた。中身は多分、フルーツジュースの甘いやつ。

 ギルは甘いのが好きだからね。まったくいつまでたっても子供っぽいんだから。でも、こういうときに何も考えずに質問できるのは便利よね。


「そうだけど、やっぱりおかしいと思うんだ」

「おかしいって何がだ?」

 ユーグが肘をテーブルについて、シャルの方に体を向けながら言った。

 私の正面にいるユーグの左に座っているアレッサはうつむいたまま、スープをすすっている。


「リック。あの時は早朝に突然現れたんだよね?」

 リックはわたしの右に座っていて、いつもみたいに皿の位置を微調整していた。

 指の腹を使ってテーブルと皿の位置を合わせる。その仕草がいつも以上に慎重そうで時間をかけているように見えた。それに心なしか、指が震えている。

 あの時のことを思い出しているのかな。自分だけが生き残ってしまったのだから、思い出したくないに違いないのに。シャルも意外と無遠慮なところがあるんだから。


 私はリックの無表情な顔と、シャルの探偵のような探究心丸出しの顔を見比べた。まるで聞き込みしているみたいだ。


「──そうだ、のはずだ。なんせ俺はその時間、仮眠をとっていて、気づいたときにはもう塔の中は大騒ぎになってたからな。俺はそれを聞いて飛び起きたんだが、仲間が次々に殺されて行って、それで、俺は……」

 リックはパンくずがほんの僅かだけこぼれている皿を見下ろしながら言葉に詰まった。

 わたしはいたたまれない思いでリックの皿を見た。

 その真っ白な皿の上に、リックは何を投影しているのかな。仲間が殺されていく様子? 恐怖に慄きながら息を殺して隠れたベッドの下? 川に流されていく仲間の死体? いずれにしても思い出したくないに違いない。忘れたいに決まってる。


「どうやって侵入してきたか見てないってことでいいんだよね」

 わたしはシャルを見つめた。もうやめてあげて。これ以上何も聞かないで。


「──ああ。見てない」

 シャルの表情が明らかに勢いを失ったのが分かった。

 わたしはほっとした。もうこれ以上追及することはなさそう。


「でも突然てよ、そんなことあんのかな。あの塔に入るにしてもよ、一気には無理だよな。それに朝ならすぐばれるだろ。橋を奪うなんてやっぱ無理だよな」

 ギルがリックに視線を向けながら言った。

 わたしはギルをにらみつけた。こいつはほんとうに感情が読めないな。そんなこと聞いたってリックに分かるわけないでしょうに。


「そんなこと言われても、俺は経験したことを話しただけで、本当のところはよく分からない」

 リックはテーブルに両肘をつき、手を顔の前で組みながら下唇を噛み、答えた。


「それでもお前しか生き残ってないんだから、お前が何か思い出さないとずっと謎のままだぞ。ほら、シャルも前に言ってたろ、相手がどんな手を使ってたのか知れれば、今後の役に立つってよ」

「そう言われてもな」

 リックは頭をかいた。


「シャル、さっきおかしいって言ったのはギルが言ったことか?」

 ユーグが話に割り込んだ。さすがユーグ。うまくリックから話を逸らしてくれた。

 こういう細やかな気遣いがモテる所以だぞ、ギルバートくん。


「そう。オズノルド軍は、基本的に夜は動かない。動くときは大体、こちらが攻撃を仕掛けて仕方なくの場合だけだ。それだと、常に明るい時間に行動するしかない。それはつまり隠密しにくいってことにもなる。橋は周りが開けていて隠れる場所なんてないし、あれだけの人数が動けば、見落とすなんてことは絶対にないはず。空から来たとしても、こっちに利があることには変わらないから、奪うには至らなないと思う。それに、何か兵器を使った様子もなかったし、これは僕の感覚だけど、明らかに争った形跡が少なかったように思えた」

「それはつまり、突然、橋に現れて、ろくに戦う間もなく殺されて、奪われたってことか」

「そうなるね」

 シャルの話を聞いて私も頭をひねった。


 確かにおかしいし、不可能だ。どうやってばれずに近づいてさらに、塔に登ったのだろう。わたしたちもあれだけ苦労して登ったのに。あれはたまたまギルが塔をよじ登るっていう、あり得ない強硬に出て成功できたけど、普通はあんなことできない。それに、敵が登ってこられることを想定していなかったから、守りが薄かったのと、敵が私たちと同じ格好をしていたから、少数でも入り込めたっていう条件がそろっていたおかげもある。平時でそんな都合のいい条件がそろうことなんかあるはずがない。いったいどうやって……。


「うーん。考えても俺の頭じゃ何も浮かばねーな。やっぱ、リック、お前が何か思い出すしかないんじゃねーか」

 わたしはギクッとして、ギルを見る。

 ギルは何の悪気もなく、そこにはただ少年のような真っすぐな目で見つめる姿があった。こいつはまた……。

 ユーグもそう思ったに違いない、私と同じように呆れた表情をしている。


「いや、だからな、そう言われても見てないもんは、見てないんだ。分かるか、ギル」

「でもよ──」

「でもじゃなくて。俺は何一つ見てないんだ。あいつらが橋まで来る姿も、あの出入り口から登ってくる姿も、何一つ見てないんだ。いくら考えたって思い出せるわけがないだろ」

 リックは語気を強めて言った。わたしは少し縮こまってシャルの方に寄った。

 リックは鼻息を荒くしている。

 そうなるのも仕方ない。ギルがあまりにもしつこいんだから。ギルを恐る恐る見てみると、いまいち響いている感じがしない。


「そう怒るなって。何か気づくことがあるかもしれないかなと思ってよ──」

「もういいじゃない。終わったことよ」

 アレッサはそう言い放つと口元を拭きながら立ち上がった。その声はやけに冷たく感じられた。


「それにそれは私たちが考えることじゃないわ。偉い人が考えること。わたしたちが考え出せることなんてたかが知れてるわ」

 アレッサはそう言うと、食堂の扉の方へ進んでいった。いつもならユーグと一緒に行動するのに、今日は一人でどんどん歩いて行く。

 ユーグは困惑したように、わたしたちの顔を見ると、おやすみと言ってアレッサの後を追いかけた。リックもすぐに立ち上がると、何も言わずに食堂を後にした。残されたのはわたしとシャルとギル。


「なんだよ、なんであんなにキレてたんだ。俺そんなに悪いこと言ったかな」

 ギルも少しは反省しているようだった。少なくともわたしにはそう見えた。


「もうその話はしない方がいいのよ。リックの前でも、アレッサの前でも」

 わたしは悩ましそうにするギルに向けて言った。


「リックは分かるけどよ。なんでアレッサまで」

「それは……」

 それは私にも分からなかった。だけど、ギルの鈍感ぶりに腹が立つのは分からないではない。わたしも少し腹が立ったから。でもアレッサがあんなに怒るのはあまり想像できない。いつもなら真っ先に止めて、「あんたは馬鹿ね」と言うはずなのに、今日はどうしたと言うのだろう。


「なあシャルなんでだと思う?」

 ギルが尋ねてもシャルは答えなかった。

 わたしは不思議に思って見てみると、シャルは顎に手を当てて何かを真剣に考えていた。

 何を考えているんだろう。


「おい、シャル。おーい」

 ギルがシャルの顔の前で手を振って見せる。シャルも流石に気が付いてはっとする。


「──なに? どうしたの?」

「どうしたのじゃなくてよ。アレッサがよ、まあいいかなんでも。そんな日もあるよな。明日謝るか二人に」

 ギルは面倒くさそうにしながら立ち上がった。

 ギルは致命的に空気を読めないけど、なんだかんだ言ってちゃんと謝れるのはすごいと思う。だからこそ、わたしたちはギルのことを好きでいる。


「うん。そうした方がいいと思うよ」

「だよな。もう行こうぜ」

「うん」

 わたしは立ち上がった。

 シャルはまだ何かを考えこんでいる様子だった。何がそんなに引っ掛かったのかな。でも今聞いても多分何も答えてくれない。いつもそう。納得のできる結論に至るまでは絶対に何も教えてくれない。これはギルでさえも聞くことを諦めているほどのこと。だから、誰が聞いても答えてはくれない。


「また、何か考えてるぜ」

 ギルはため息交じりに言って、わたしの方を向きながら、シャルの頭を指さした。


「先、行ってるぞ」

 ギルはそう言いながら、指でシャルの額をポンと押した。

 シャルは頭をのけぞらせながらも、まだ思考に熱中しているようで、生返事をするだけだった。


「ったく。ほら、行こうぜミラ」

「うん。おやすみシャル」

「あ、うん。また」

 シャルは振り返ると、笑みを浮かべて手を振ってくれた。わたしも嬉しくなって手を振り返す。


 わたしはスキップするような気分でギルの背中を追いかけた。

 わたしには手を振ってくれた。考え始めたら止まらないシャルが、わたしのために、一瞬でも考えるのを止めて手を振ってくれた。もう今日は眠れないかも。この興奮を抑えるには、図書館に行くしかない。図書館に行って気持ちを落ち着かせよう。うん。そうしよう。


 食堂の扉を閉める直前、その隙間からシャルの姿を見る。そこでは未だに一人、大きなテーブルに座ったまま、何かを考え続けるシャルの後ろ姿があった。

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