4 アレッサ

 眼下にはファーラルの城下町が広がっている。緩やかな三角屋根は炎を思わせるオレンジ色で、壁は黄色味がかった白色をしている。城壁の上から見ると、その街並みは、溶けて短くなった太い蝋燭が並べられているように見える。

 城からは大通りが真っすぐに、町の中央に位置する広場まで少し下りながら伸びていた。広場からは他に二つの大通りが伸び、一つは南門まで通じる道、もう一つは丘の上にそびえる大神殿までの道。

 大神殿はファーラル城よりも高台にあって、丘の頂上を覆い隠してしまうほどに大きい。神殿は外装にも内部にも大きな柱が立ち並んでいて、全て合わせると数十本はあるらしい。こちらは街の建物とは違って、溶ける前の蝋燭が並んでいる感じだった。その大量の蝋燭の上に平らな屋根が乗り、中では絶えず火が灯され、夜になると丘の上だけが後光のようにぼんやりと照らされる。


 何でもこの神殿はこのジュードヴェル王国で現存する最古の建物の一つなのだとか。起源は詳しく知らないけれど、遥か昔にあの丘の上に巨大な火の玉が落ちてきたらしい。それを神と見立てて信仰するなんて、この国の人たちは面白いことを考えるよね。でも火は嫌いじゃない。見ていて心がほっとするもの。


「今月末には火祭りがあるな」

 ユーグが隣で城壁に寄り掛かりながら言った。

 私が神殿を見ていることに気が付いたのだと思う。


「そうね。そう言えば、今年からは街に見に行っていいんだよね?」

 私はそのことを思い出して少し興奮した。

 去年までは訓練兵で、訓練の時以外は城から外に出てはいけなかった。それに、消灯時間もあったせいで祭りが一番盛り上がる時間には部屋にほとんど監禁されていた。ベッドの中で聞く何百発の花火をどれほど憎らしく思ったことか。


「そうそう。ようやくだよ。ようやく祭りを見に行ける」

 ユーグは嬉しさを噛み締めるように言った。

 きっと私と同じ気持ちなのだと思う。今年はみんなで祭りに……、いいえ二人で祭りに行ける。私はユーグの横顔を見た。


 大きくなったなあ。出会ったときは私より小さかったのに……。

 いつだったかな、ユーグが私に告白したのは。訓練兵になった次の、次の年くらいだから、十二歳のときか。もう六年も経つのね。今でもあの時のことは、はっきり覚えている。


 あれはちょうど今ぐらいの季節だった。話したこともないのに城壁の、人目につかない所まで呼び出された。ユーグは壁の方ばかりをチラチラと見て震えてたな。しばらくしても何も話さないから、私はイライラして思いっきり怒鳴った。そしたら、涙目になってようやく口を開いた。


「ぼくは! 一目ぼれ、しました、あなたに。だから、ぼくとつきあってください」

 何となくそんな気はしていたけど実際言われてみるとすごく驚いた。

 その後、ユーグはいくつも私の好きな所を並べ上げた。私の意識していない細かな仕草とか、直したいと思っている行動の癖とか、嫌いな話し方とか。正直、最初は気持ちが悪かった。見ず知らずの男にずっと観察されていたんだと思うとゾッとした。


 だけど……。

 これまで私のことを見てくれる人なんていなかった。親もいなかったし、友達もいなかった。私は影のような存在だった。ただ、言われたことを言われた通りにこなす。ただ、それだけの存在だった。だから、それを聞いているうちに心にぽっかりと開いた穴が満たされていくような気がした。でも、私にはそんな資格はないと思った。だから、断ろうと思った。

 だけど、思わず口をついて出た言葉は正反対だった。


「まずは友達からなら、なってやってもいいわよ」


 そう言ったときのユーグの表情。あんなにも嬉しそうにして。

 私は喜ぶまだ小さなユーグを思い出し、声を漏らしてふふっと笑っていた。


「どうした急に? なんか面白いことでもあった?」

 ユーグが眉根を寄せてのぞき込んできた。

 あんなに丸くぷっくりしていた顔が、今やシュッとして細長く、エラも男らしく張っている。私にはそれが途方もなく愛おしかった。


「ふふっ。ちょっとね。昔のことを思い出して」

「昔のこと?」

「そう。あなたが初めて告白してきた日のことよ。覚えてる?」

「ああ……、その日のことか。できれば思い出したくない」

 ユーグは少しだけ頬を赤らめて、外壁の方にチラチラと視線を向ける。この仕草はあのときと何一つ変わっていない。


「私はよーく覚えているわ。散々待たされたあげく、初対面なのに告白されて、いくつも私のこういう所が好きだって並べ立てられて。あの時はさすがに引いたわ」

「やめてくれよ。あのときの俺はほんとにどうかしてたんだ。とにかく、アレッサの気を引こうと必死で」

 ユーグが頭を抱えて情けない声を出す。


「でも、でまかせじゃなかったでしょ?」

「それはもちろん。気持ち悪いと思うかもしれないけど、君のことはずっと見てたから、思ってたことがそのまま口に出ちゃったんだよ。今考えても、よく友達からでも、オッケーしてくれたと思うよ。本当だったら、逃げられてもおかしくなかった」

「たしかに気持ち悪かったわ」

 私は腕組みをして、わざとらしくうなずいて見せた。


「だよね」

 ユーグは露骨にショックを受けて肩を落とし、胸壁の上に上半身を投げ出した。


「でもさ、アレッサはどうしてオッケーしてくれたの?」

 ユーグが胸壁に顎をつけたまま、私の方を目だけが見上げた。


「んー、内緒」

 私は口元に指を当てて悩んだふりをした後、そう言った。


「えーなんでよ」

「そんなこと別にいいじゃない。今は恋人なんだし」

 私はユーグの頭をポンポンと撫でながら言った。

 ユーグはしばらく「うー」と唸った後、まあいいかと言って起き上がった。その表情は呆れるくらい晴れ晴れとしていた。


 ユーグに本当のことはまだ言えない。私が断らなかった理由。

 最初はただ、他人から向けられた初めての好意をはねつけることができなかった。ただそれだけだった。でも、その後、私があなたを好きになったのは、私のあんなにも強がった、格好悪い言葉でも、あなたがあんなにも喜んでくれたから。


 だからあのときから私はあなたのことを愛してる。

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