12

「ようし、いっちょ上がりだ。大丈夫か?」

 ギルはリックの顔を覗き込んで言った。


「勝ったのに死にそうな顔してるぞ」

「ああ……。ああ」

 リックは曖昧な返事をし、今なお目の前の死体を見下ろしていた。


 シャルはリックに激しく同情した。

 初めて人を殺したんだ。それも目の前で、最後まで死にゆく男の憎悪に満ちた目を見ていた。死の間際、自らが殺した男から向けられる怨念は、いかほどのものだったろうか。分からない。分からないけれど、それは想像に絶するものなのだと思う。それは今のリックの、あの表情を見れば明らかだ。

 すぐにギルを止めないと。


「ギル。父さんを連れてこよう」

「おお、そうだな」

 シャルは少しふらつく体を根性で起こし、ギルを連れてファーラル公の元へ向かった。シャルはちらりとリックを見ると、未だ死体の前に立ち尽くしていた。シャルはそれを見て、顔を歪めながら、ギルを先へ促した。


 廊下へ戻ると、ちょうど爆弾を投げに行っていた兵士も戻ってきていて、肩を貸している所だった。


「おお。よくやったぞ。シャルル。ギルバート君」

 そう言うとファーラル公は心の底から誇らしそうにシャルの肩を力強く撫でた。

 シャルは作り笑いをした。いつもなら喜ばしく思うはずなのだが、今はそんな気分にはなれなかった。


「シャルル……」

 ファーラル公は息子の変化を察知したのか、途端に気遣わし気に見上げる。


「──さあ、行こうか。もうここに用はない」

 シャルはそう言ってファーラル公の肩を一緒になって支え、二階へ降りた。

 その部屋へ戻ると、リックが死体を川の字に並べていた。シャルはそれを見てまた、胸が締め付けられる思いだった。そして、これから自分がすることにひどく抵抗感を覚えた。


 それでも、やらなくては……。せめてその光景を見て欲しくない。


「リック。梯子を下ろして、父さんを下まで連れて行ってくれないか。下にはたぶんユーグたちがいると思うから手伝ってもらって」

「ああ……、わかった」

 リックはすぐに梯子を下ろし、シャルに変わってファーラル公を支えた。リックがゆっくりとファーラル公を下ろそうとしていると、下からユーグの声が聞こえてきた。


「成功したのか! すげえなお前ら。あ、ファーラル公。よくぞ御無事で」

「ああ。君たちのおかげだよ。君たちもよく生き残ったね」

 ファーラル公は微笑みながら、リックに支えられ穴の下へと降りて行った。しばらくして、ユーグやミラの、リックが生きていたことに対する安堵の声が漏れ聞こえてきた。


 シャルはリックが完全に下へ降りたのを確認すると、あの毒の瓶を見つけ出した女兵士からそれを受け取り、南側の塔でしたことと全く同じことを繰り返した。矢に毒をしみこませ、何度も死体に刺す。その繰り返し。

 シャルはできるだけ何も考えないようにしていた。そうしなければ、今自分が行っている、そして行ってきたこの非道な行為によって、これから苦しみながら死んでいく兵士たちの顔を思い浮かべてしまう。真っ黒な毒が広がり、悶え苦しむその姿は、目を瞑りたくなるほど悲惨で凄惨だった。


 ギルと女兵士は出来上がった死体の罠を移動させ、一つは階段の中腹あたり、もう一つはこの部屋の入り口に置いた。

 最後にだめ押しで、残った毒液を全ての死体に慎重にかけた。毒は皮膚に触れるとシューという音を立てながら、皮膚を溶かしているようだった。いずれはこの毒も、血管にまで至りそこから血を吸い上げ、あの死の球を作り上げるのだろう。


 シャルたちは最後に上げ蓋の上に、体中に黒い風船をつけた男の死体を乗せ、ぎりぎりまで穴に寄せた。

 そのとき、階段を駆け下りてくる音とともに、困惑する兵士の声が聞こえてきた。階段の方を見ると、複数の兵士がこちらを唖然として見つめていた。

 すると、すぐに我に返った兵士の一人が怒声を上げて階段を降りだし、それにつられて他の兵たちも我に返ってこちらに向かってきた。


「シャルル様。早くお先に」

「っはい」

 シャルはすぐに穴と蓋の隙間から体を入れ込んだ。


 シャルが顔を下ろす間際、ギルが弓と矢を拾って、兵士たちの方へ射る姿が見えた。

 その一秒後、小さな破裂音と兵士たちの叫び声が聞こえた。

 恐らく、死体にできたまだ小さな風船を撃ったのだろう。即座に機転を利かせたギルを、流石だと感心しながら、いち早く梯子を降り、途中から地面に飛び下りた。


 シャルの後すぐに女兵士も飛び下り、ギルは梯子に足をかけ蓋を動かしていた。シャルはハラハラとした思いでギルを見つめ、状況を知らない他の仲間たちも息を呑んで見上げている。


 ギルが何とか蓋を閉め終えた直後、その上から破裂音が連続して響き、ギルはその音に驚いて危うく梯子から落ちかけた。しかし、持ち前の運動神経でバランスを取り、再び梯子を掴むと、ゆっくりと、まるで演劇の主役であるかのような、自信に満ち溢れた笑みを浮かべて降りてきた。


「やったなシャル。大成功だ」

「うん、そうだね……」

 ギルはハイタッチしようと手を上げたが、シャルはうつむいていて気が付かなかった。

 シャルは成功を素直に喜ぶことはできなかった。むしろ、失敗した方がよかったのではないかという気さえした。


 すると、突然兜の前面が浮き上がり、無理やり上を向かされた。案の定そこには兜を持ち上げるギルの姿があった。


「シャル。またお前のことだから、あれこれと考えてるんだろうけどな、見てみろよ。公爵様も、リックも、当然俺たちもだし、それにこうやって兵士がこの橋を通れるのも、お前の作戦が成功したおかげだ。もっと喜べよ」

 ギルは兜から手を離し、シャルはその場にいた人たちの顔を見渡した。

 ユーグや父、協力してくれた兵士たちは称賛の笑みを浮かべている。ミラは目に涙を溜め、アレッサは緊張からの緩和の中で不安と安心が折り重なったようなぎこちない笑い方をしている。リックは未だ絶望の縁にいるようだが、口元だけは微笑んでいるように見えた。


「そう、かな?」

 シャルは頬を人差し指でかきながら、仲間たちから視線を逸らした。


「そうだよ。まあ俺のおかげもあるけどな」

 ギルはシャルの肩を組み、互いの鎧がぶつかり合って高い音を立てた。


「そうだね、たしかに。ギルは大活躍だった」

「ほんとか? どうせただ敵に突っ込んでっただけだろ」

 ユーグがいつもの調子でからかった。


「ユーグの言う通り、それはそう──」

「なんだよシャルまで。ユーグみたいにビビッて動けないよりいいだろ」

「だから、俺はビビッてない」

 ユーグはギルに一歩近づいて強く反論した。


「どうだかなあ」

 ギルはそれを見てにやりと笑った。

 シャルもまた少しだけ笑う気になり、言葉にはせずともギルに感謝した。


 ギルとユーグが小競り合いを始めたときには、他の仲間たちはすでに先へ進んでいた。その頃になると、背後には多くの兵士たちが列をなして渡ってきており、兵士たちは一様にどこかしらを怪我し、足を引きずる者、腕がない者、目や耳を失った者などで溢れかえっていた。

 背後の兵士たちに急き立てられるようになってから、ようやく二人は言い合いをやめて塔を出た。シャルは気になって塔の上を見たが、作戦は見事に成功し、誰も大砲に触れることはできていないようだった。


 兵士たちは念のため塔の射程範囲外に再び終結し始め、三十分もすると大公が前線から兵たちをかき集めて戻ってきた。残存する兵士たちが集結してみると、その数は開戦時の半数以下にまでなっていた。


 大公は体中に多数の引っ掻いたような傷を作りながら、兵たちにてきぱきと命令を下し、兵士たちは蔓状植物ヨライバが引く荷台に乗って、眼前に聳えている円筒状の前哨基地まで戻った。


 その日は、重傷者のみをファーラル城に帰し、それ以外は基地に残った。ファーラル城からは新たに兵士が招集され、基地の防衛と敵の監視に努めた。しかし、その日以降、敵は橋から先に進軍してくる様子はまったくなく、代わりに橋のさらなる要塞化を進めているようだった。本来ならばそれを何としてでも止めに行くべきだったのだが、ファーラル軍の被った被害はあまりに大きく、それを行う戦力も、戦意もなく、見過ごすことしかできなかった。


 一週間後、王都からの援軍が入ったことにより、シャルたち、戦から生還し基地に残っていたファーラルの兵たちは、ついに帰路につくこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る