9
シャルたちは窓から侵入し、塔の中二階の廊下に降り立った。
右側には廊下が続き閉まっている扉が見える。その先は二つの塔を繋ぐ回廊で、兵士たちがせわしなく動く音が聞こえてくる。扉の手前側には、二階へ降りる階段があり、その先に出入り口とその見張りの兵士がいる場所だ。ギルの話では見張りは三人いるらしい。左側の廊下は壁で直角に曲がり、その先に三階に続く階段がある。
「二人はここで待機していてくれ。ひと先ず上の様子を見てくる」
「それは私が行きましょう。危険にさらすわけにはいきません」
シャルが声を潜めながら言うと、女兵士が即答した。
「ファーラル公がこの上にいらっしゃるかどうかを見てくるのですよね。それなら私にもできます」
女兵士は断固とした口調で言った。
「──分かりました。お願いします」
「了解しました」
女兵士は深々とお辞儀をすると、すぐに三階へ向かった。
「なあシャル」
シャルは視線を廊下の反対側に向けると、ギルが壁に身を潜め、二階を見下ろしていた。
シャルも近づいて覗き見る。
そこには三人の見張りがいた。二人は下から見たときのように弓を構え、敵が下を通るのを待ち伏せていた。もう一人は、穴の近くに座って、黒い液体の入った瓶を揺すっていた。
「あの手に持っているやつが毒か?」
「たぶんね」
「あいつらを殺せばいいんだろ」
「うん。だけどまだだ。彼女が帰ってくるまではここにいて」
ギルは唸って武者震いをし、はやる気持ちを抑え込んでいるようだった。
「リックはどうなったんだろうな?」
「分からない……」
シャルはそう言ったものの、なんとなく予測はついていた。
この橋で見張りをしていたファーラル兵たちは全員、殺されたに違いない。殺され、身ぐるみを剥がされ、恐らくは川に捨てられた。リックも例外ではないだろう。
シャルは廊下の向こう側に注意を向けながら、リックのことを思い出していた。リックはユーグ以上に背が高く、また誰よりも恰幅がよかった。その見た目はいかにも荒々しく、威圧感のある男を彷彿としたが、意外にも読書好きで静かな空間を好んだ。シャルがリックと出会ったのも、城内の図書館であった。二人は頻繁に本の内容について議論を交わし、時にミラも含めて歴史や文化、哲学について話し合った。リックは一風変わった発想を持ち、シャルはその発想に刺激を受け、そのことを楽しんでいた。
シャルはリックの武骨な横顔の奥にある、知的な薄茶色の目を思い浮かべ、堪えなければ涙が零れ落ちてしまいそうだった。
「シャル誰か来たぞ」
シャルはギルの言葉を聞いて我に返り、目を擦って身構えた。しかし、現れたのはファーラル公を探しに行っていた女兵士だった。
「どう、でしたか?」
「この上には見当たりませんでした。もちろん死体らしきものも、争った形跡もありませんでした。もしかしたら、いち早く異変に気付いてお逃げになったのかもしれません」
「そうだといいんですけど……」
シャルは沈んだ声で言った。
「なら早いとこあいつらを殺そう。ここにずっといるわけにはいかない」
「そうだね。とりあえず彼らの元にゆっくり近づこう。すぐに敵だとは思わないはずだ」
シャルはそう言いながら剣の束に手を置いた。
しかし、女兵士にそれを止められた。
「シャルル様はここにいてください。やつらは二人で片付けます」
「しかし、向こうは三人ですから、こちらも──」
「シャルル様。もっとご自分の命を大切にしてください。私共とはその価値が違います。我々の命がいくらあろうとあなた様には及びませぬ」
女兵士はシャルの言葉を遮るという無礼をしてまで、強く言い放った。
「僕の命はみんなと同じ一人分だよ。身分で命の価値なんか決まらない」
シャルは強く言い返した。そして、「またこれか」と思った。
こういう特別扱いはうんざりなんだよ。
「行くよ。ギル」
シャルは女兵士の制止を振り切ると、すぐに二階へ向かう階段の方へ曲がっていった。
ギルは女兵士を流し目に見て後に続き、兵士もすぐに後ろから観念したように息を漏らして追いかけた。
階段を降りていくと、見張りをする兵士の後ろで、ベンチに腰を下ろしていた男が視線を向けた。
「どうかしたのか? 交代なんて時間ではないだろう?」
男は怪訝そうな顔をしながら瓶を置いた。
「はい。敵がこの橋に押し寄せてくるようなので、人員を増やすように言われてきました」
シャルは怪しがられないように堂々と答え、その間も距離を縮めた。
「おかしいな。ここに人員を増やすなんて作戦はなかったはずだが」
男は顎髭を撫でながら視線を斜め上に向けた。
「先ほど決まったんです」
男はその言葉が気になったのか、しばらく何かを考えるようにした後、手を払うようなしぐさをする。
「何かの手違いだろう。ここはいい、お前らは対岸の方へ行け。逃げていくやつらの背を打つんだからな。そっちの方に人員がいるはずだ」
「ですが、ここに行けという指示ですので」
シャルたちは歩む足を止めなかった。
男はそんな三人を警戒したのか、勢いよく立ち上がった。
「止まれ。止まれと言っている」
シャルたちは穴の前で止まった。
いまや見張りをしていた兵士も体を起こして、警戒している。
「やはりお前ら何か怪しいぞ……。その眼、緑だな。緑の目はジュードヴェルの王族か貴族にしか見られない特徴だ。まさか、お前はファーラルの──」
男が指を指したのと同時に、ギルが動いて男の手首をはねた。
男は苦悶の叫びをあげて後ろの壁まで後退した。
ギルはさらに、そのまま見張りをしていた敵兵の一人の首に剣を突き刺した。
もう一人の見張りが弓をシャルに向ける。その矢尻には黒い液体が染みついている。
シャルは咄嗟に横に飛び退くも、女兵士が先にその敵兵を弓ごと斬り伏せた。
ギルはさらに、片手を切り落とされた男の首に剣を突き立て、躊躇いもせずにとどめを刺した。
「よし、終わった。なんてことなかったな」
ギルは剣に付着した血を敵兵の服で拭いながら言った。
シャルはその姿を見て、一瞬全てを忘れて動けなくなった。先ほどの疑問が頭を埋め尽くす。
「初めて、でしょ?」
シャルは愕然として尋ねた。
「なにがだ?」
ギルは何事もなかったかのように振り返ると、聞き返した。
「──こういう、ことだよ」
シャルはその言葉を口に出すのもなんだか憚られ、代わりに殺された敵兵たちに視線を向けた。
「まあ、そうだな」
ギルはシャルから目を一瞬だけ逸らし、またすぐに戻した。
「でも、こいつらは悪魔だろ。悪魔を殺すのに躊躇なんていらない。そう学んだだろ」
シャルはギルの目を見返すことなど到底できなかった。しかし、シャルには分かった。ギルはまたあの恐ろしい目をしている。地獄の業火が渦巻くあの真っ黒な目を。
「──そ、そうだね。うん」
シャルは冷や汗をかいていた。正直、あの戦場にいたどの怪物たちよりも、ギルのことが恐ろしかった。
「おーい。お前ら、敵兵は倒したんだよな?」
穴の下からユーグの声が聞こえてきた。シャルはその声で途端に緊張を解いて、穴に駆け寄った。
シャルはユーグから放たれた陽の気に救われた心地がした。
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