シャルたちは窓から侵入し、塔の中二階の廊下に降り立った。

 右側には廊下が続き閉まっている扉が見える。その先は二つの塔を繋ぐ回廊で、兵士たちがせわしなく動く音が聞こえてくる。扉の手前側には、二階へ降りる階段があり、その先に出入り口とその見張りの兵士がいる場所だ。ギルの話では見張りは三人いるらしい。左側の廊下は壁で直角に曲がり、その先に三階に続く階段がある。


「二人はここで待機していてくれ。ひと先ず上の様子を見てくる」

「それは私が行きましょう。危険にさらすわけにはいきません」

 シャルが声を潜めながら言うと、女兵士が即答した。


「ファーラル公がこの上にいらっしゃるかどうかを見てくるのですよね。それなら私にもできます」

 女兵士は断固とした口調で言った。


「──分かりました。お願いします」

「了解しました」

 女兵士は深々とお辞儀をすると、すぐに三階へ向かった。


「なあシャル」

 シャルは視線を廊下の反対側に向けると、ギルが壁に身を潜め、二階を見下ろしていた。

 シャルも近づいて覗き見る。


 そこには三人の見張りがいた。二人は下から見たときのように弓を構え、敵が下を通るのを待ち伏せていた。もう一人は、穴の近くに座って、黒い液体の入った瓶を揺すっていた。


「あの手に持っているやつが毒か?」

「たぶんね」

「あいつらを殺せばいいんだろ」

「うん。だけどまだだ。彼女が帰ってくるまではここにいて」

 ギルは唸って武者震いをし、はやる気持ちを抑え込んでいるようだった。


「リックはどうなったんだろうな?」

「分からない……」

 シャルはそう言ったものの、なんとなく予測はついていた。

 この橋で見張りをしていたファーラル兵たちは全員、殺されたに違いない。殺され、身ぐるみを剥がされ、恐らくは川に捨てられた。リックも例外ではないだろう。


 シャルは廊下の向こう側に注意を向けながら、リックのことを思い出していた。リックはユーグ以上に背が高く、また誰よりも恰幅がよかった。その見た目はいかにも荒々しく、威圧感のある男を彷彿としたが、意外にも読書好きで静かな空間を好んだ。シャルがリックと出会ったのも、城内の図書館であった。二人は頻繁に本の内容について議論を交わし、時にミラも含めて歴史や文化、哲学について話し合った。リックは一風変わった発想を持ち、シャルはその発想に刺激を受け、そのことを楽しんでいた。

 シャルはリックの武骨な横顔の奥にある、知的な薄茶色の目を思い浮かべ、堪えなければ涙が零れ落ちてしまいそうだった。


「シャル誰か来たぞ」

 シャルはギルの言葉を聞いて我に返り、目を擦って身構えた。しかし、現れたのはファーラル公を探しに行っていた女兵士だった。


「どう、でしたか?」

「この上には見当たりませんでした。もちろん死体らしきものも、争った形跡もありませんでした。もしかしたら、いち早く異変に気付いてお逃げになったのかもしれません」

「そうだといいんですけど……」

 シャルは沈んだ声で言った。


「なら早いとこあいつらを殺そう。ここにずっといるわけにはいかない」

「そうだね。とりあえず彼らの元にゆっくり近づこう。すぐに敵だとは思わないはずだ」

 シャルはそう言いながら剣の束に手を置いた。

 しかし、女兵士にそれを止められた。


「シャルル様はここにいてください。やつらは二人で片付けます」

「しかし、向こうは三人ですから、こちらも──」

「シャルル様。もっとご自分の命を大切にしてください。私共とはその価値が違います。我々の命がいくらあろうとあなた様には及びませぬ」

 女兵士はシャルの言葉を遮るという無礼をしてまで、強く言い放った。


「僕の命はみんなと同じ一人分だよ。身分で命の価値なんか決まらない」

 シャルは強く言い返した。そして、「またこれか」と思った。

 こういう特別扱いはうんざりなんだよ。


「行くよ。ギル」

 シャルは女兵士の制止を振り切ると、すぐに二階へ向かう階段の方へ曲がっていった。

 ギルは女兵士を流し目に見て後に続き、兵士もすぐに後ろから観念したように息を漏らして追いかけた。


 階段を降りていくと、見張りをする兵士の後ろで、ベンチに腰を下ろしていた男が視線を向けた。


「どうかしたのか? 交代なんて時間ではないだろう?」

 男は怪訝そうな顔をしながら瓶を置いた。


「はい。敵がこの橋に押し寄せてくるようなので、人員を増やすように言われてきました」

 シャルは怪しがられないように堂々と答え、その間も距離を縮めた。


「おかしいな。ここに人員を増やすなんて作戦はなかったはずだが」

 男は顎髭を撫でながら視線を斜め上に向けた。


「先ほど決まったんです」

 男はその言葉が気になったのか、しばらく何かを考えるようにした後、手を払うようなしぐさをする。


「何かの手違いだろう。ここはいい、お前らは対岸の方へ行け。逃げていくやつらの背を打つんだからな。そっちの方に人員がいるはずだ」

「ですが、ここに行けという指示ですので」

 シャルたちは歩む足を止めなかった。

 男はそんな三人を警戒したのか、勢いよく立ち上がった。


「止まれ。止まれと言っている」

 シャルたちは穴の前で止まった。

 いまや見張りをしていた兵士も体を起こして、警戒している。


「やはりお前ら何か怪しいぞ……。その眼、緑だな。緑の目はジュードヴェルの王族か貴族にしか見られない特徴だ。まさか、お前はファーラルの──」

 男が指を指したのと同時に、ギルが動いて男の手首をはねた。


 男は苦悶の叫びをあげて後ろの壁まで後退した。


 ギルはさらに、そのまま見張りをしていた敵兵の一人の首に剣を突き刺した。


 もう一人の見張りが弓をシャルに向ける。その矢尻には黒い液体が染みついている。


 シャルは咄嗟に横に飛び退くも、女兵士が先にその敵兵を弓ごと斬り伏せた。


 ギルはさらに、片手を切り落とされた男の首に剣を突き立て、躊躇いもせずにとどめを刺した。


「よし、終わった。なんてことなかったな」

 ギルは剣に付着した血を敵兵の服で拭いながら言った。

 シャルはその姿を見て、一瞬全てを忘れて動けなくなった。先ほどの疑問が頭を埋め尽くす。


「初めて、でしょ?」

 シャルは愕然として尋ねた。


「なにがだ?」

 ギルは何事もなかったかのように振り返ると、聞き返した。


「──こういう、ことだよ」

 シャルはその言葉を口に出すのもなんだか憚られ、代わりに殺された敵兵たちに視線を向けた。


「まあ、そうだな」

 ギルはシャルから目を一瞬だけ逸らし、またすぐに戻した。


「でも、こいつらは悪魔だろ。悪魔を殺すのに躊躇なんていらない。そう学んだだろ」

 シャルはギルの目を見返すことなど到底できなかった。しかし、シャルには分かった。ギルはまたあの恐ろしい目をしている。地獄の業火が渦巻くあの真っ黒な目を。


「──そ、そうだね。うん」

 シャルは冷や汗をかいていた。正直、あの戦場にいたどの怪物たちよりも、ギルのことが恐ろしかった。


「おーい。お前ら、敵兵は倒したんだよな?」


 穴の下からユーグの声が聞こえてきた。シャルはその声で途端に緊張を解いて、穴に駆け寄った。


 シャルはユーグから放たれた陽の気に救われた心地がした。

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