「さすがお前の父ちゃんだな。今ので、目が死んでた兵士どもが、みんなやる気に燃えてんだからな」

 ギルは兵士たちが乗り込んでいる荷台の列を面白そうに眺めながら言った。


 荷台は座る部分があるだけの簡素なもので、屋根もなければ壁もなく、先頭から十数個が連なるようにして並んでいる。


「そうだね……。本当にすごいよ」

 シャルはうつむきながら、どこか他人事のように答えた。


「ギル、城主様に向かってお前の父ちゃん呼ばわりはよくないわよ」


 シャルとギルはその声を聞いて振り返った。そこには小脇に兜を抱えた若い女兵士が、胸元まである長い茶髪を風で揺らしながら立っていた。


「別にいいだろ、アレッサ。親友の父ちゃんなんだからよ。な?」

「いや、僕はいいけど……」

 シャルは困ったように頬をかいた。


「シャルが家督を引き継いだら、『お前』だなんて言えないわよ。ちゃんとファーラル公ってお呼びしないと」

 アレッサは兜の持つ手を反対に持ち変えながら言った。


 アレッサはこの兜が嫌いで、いつも訓練を始めるギリギリまで被らなかった。その理由はいくら尋ねてもなんとなくの一点張りなので、もう誰もそのことを聞こうとはしない。


「えー。なんか嫌だな」

 ギルはシャルを心底嫌そうな顔をして見つめた。


「僕だって嫌だよ。ギルが敬語なんか使いだしたら、なんだか気持ちが悪い」

「そうね。それこそ何が起こるか分かったもんじゃないわ」

 アレッサは大きくうなずいた。


「なんだよお前ら、失礼だな」

 ギルはむくれ顔をする。


「日頃の行いが悪い証拠だぞ、ギル」


 アレッサの背後から来た男が言った。男はアレッサの肩に手をまわすと、雪のように白い頬に軽く口づけをした。

 アレッサはほんの少しだけ頬を赤らめる。


「また見せつけやがって、ユーグのやろう」

「悔しいならお前も恋人を作ることだな」

 ユーグは褐色の太い腕を組み、大袈裟に顎を上げてギルを見おろした。


「くう……。シャル。なんであんなちょっと背がでかいだけの奴がモテて俺がモテないんだ」

 ギルは得意げなユーグを指さしながら聞いた。


「そりゃあユーグはモテるよ。君と違って余計なことを言わないからね」

「なんだよそれ」

「単純すぎるあんたには分かんないわよ」

「ちぇっ」

 アレッサの一言にギルはそっぽを向いた。


「お褒めに預かり光栄です。未来のファーラル公」

 ユーグは貴族たちがそうするように礼儀正しく会釈をして見せた。

 さらにアレッサもそれを真似てスカート代わりに鎧の一部を引っ張りながらお辞儀をした。


「やめてよ。君たちからもそんな風にはされたくないし、そう呼ばれたくもないから」

 シャルは慌ててやめさせた。そして周囲を確認して大して注目を浴びていなかったことに安堵した。


「でも、いつかはそうなる時が来るのよ」

 アレッサは少し心配そうに言った。


「分かってるさ、分かってる。でも……。僕は父さんのようにはなれないよ。威厳もないし、あんな風に兵士たちを鼓舞することもできない」

「シャル……」

 アレッサは優しくシャルの肩に手を置いた。


「確かに公爵様はすげえよ。俺も勇気をもらえた。あの演説を聞いたら不思議と力が湧いてくるんだよな」

 ユーグは自らの握りしめた拳を見つめながら言った。その拳は大きく震えていた。


「ユーグはまだ勇気をもらい足りてないみたいだけどね」

 アレッサはその拳を見ながらからかった。


「──よせよ。これは別に」

 ユーグは恥ずかしそうにすぐに手を引っ込めた。


「これは別に?」

 アレッサはにんまりと笑いながらユーグの顔を覗き込む。


「なんだなんだ。もしかしてユーグ、お前ビビッて──」

「あー! うるさいな。ギル、そっぽ向いてたと思ったら、こんなとこばっか聞いてやがって」

 ユーグは本格的に顔を赤らめながらギルを睨みつけた。


「ユーグは背がデカいだけで、心は小さいからな」

「ええホント。意外とびびりなのよね。さっきも戦争になるって聞いたときなんて、列に並ばず広場の脇で私に──」

「ちょっとちょっと、それは駄目だって。アレッサ。それは二人だけの話だろ。それに君だって……」

 ユーグは大慌てでアレッサの口を塞いだ。

 アレッサはというと「そうだったわね」と悪戯っぽく笑った。


 ギルが何の話をしたのか聞きだそうとしたとき、また別の声がすぐ側で聞こえてきた。


「わたしは怖い」


 シャルたち四人は突然の声に驚いて、声のする方を見ると黒髪の背の低めな少女がシャルとアレッサの間に立ってあからさまに震えていた。


「ユーグ、私も怖いわ」

 少女は厚い前髪の隙間から不安で泳ぐ眼をユーグに向けた。


「ミラ。もう、いつも突然現れないでよ」

 アレッサはミラの首元に両腕をまわし、顎をキノコのように丸い髪にくっつけた。


「けっこう長いこと居たんだけどね……」

 ミラは自嘲気味に言った。


「ミラはユーグ以上にビビりだからな」

 ギルは腰に手を当て無遠慮に言った。


「おい、だから、俺はビビッてなんかないって」

「いーや。ビビってるね」

「おまえな」


 ギルとユーグの二人が言い合いを始めそうになった時、シャルが口を挟んだ。


「僕もビビッてるよ。でもそれが普通だよ。だからこそみんな何かに縋りたいんだ。父さんはそこら辺のことがよく分かってる。だから希望だなんて言葉で皆を鼓舞したんだ」


 シャル以外の四人はそれに対し何も答えず口を噤んだ。


 何かまずいことを言ったかなと思い不安に思ったシャルが顔を上げると、四人が口をじっと閉じたままシャルの方を見つめていた。厳密にはシャルの頭上を見つめていた。それに気づいたシャルはおそるおそる振り返った。そこには現ファーラル公がいた。


「──父上」

「お前も人の心の何たるかを少しは分かってきたようだな」

 ファーラル公は和やかに笑いかけると、息子であるシャルの兜をガンと叩いた。

 シャルはそれを嫌そうにしながら、ずれた兜を定位置に戻した。


「やあ君たち。いつも私の息子が世話になっているね」

「いえ、こちらこそです」

 ユーグは不躾なことを言いそうなギルを制して真っ先に言った。


「少し息子を借りてもいいかな」

「もちろんです」

「すまないね、健闘を祈っているよ」

「はい!」

 四人はお辞儀をして先へ進む。ファーラル公はそれを見てまた笑みを浮かべた。


「シャルル。どうだ。今の気分は?」

 ファーラル公は登壇していた時とは打って変わって、不安げに愛する息子を見下ろしていた。


「どうって。怖いよ。緊張してる。ものすごく不安だ」

「そうだろう。私も不安だ。だが、怖がりなことは悪いことではない。その分、人の気持ちがよく分かるということだ。そうだろう」

 微笑む父親にシャルルは小さくうなずいた。


「それで話なんだがな、シャルル」

「もし前線を離れろって話なら聞く気はないよ。友達が戦っているのに、僕だけが特別なわけにはいかない。たとえ、それで死ぬことになっても、僕に後悔はない」

 ファーラル公は面食らったようで、しばらくシャルルの決意に満ちた顔をただ眺めた。


「ああ、もちろん分かっているとも。私はただ、その……」

「母さんたちだね」

「──そうだ」

 ファーラル公はため息をつきながら言った。


「母さんたちはお前のことを心底心配している」

「うん。分かってるよ。でも行かないわけにはいかない」

「そうだな。そうだ」

 ファーラル公は顔をしかめ、手元で指をもじもじと動かした。


「安心してよ、父さん。無茶なことはしない」

「──ああ。お前のことを誇りに思う」

「僕もだよ父さん」

 ファーラル公もシャルルも互いに視線は合わせず、どことなく寂しげだった。


「健闘を祈ってる。必ず生きて帰るんだ」

「父さんもね」

 ファーラル公とシャルは強く手を握り合った。


「火の神フーの加護があらんことを」

「加護があらんことを」

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