第38話 蒼汰のお願い

 数日が経った。


 大学の講義室に座りながら、俺はノートを開くものの、そこに書き込むペンは止まったままだった。

 教授が前で何かを話しているのは分かる。

 だが、内容は全く耳に入ってこない。


(あの日のルナの言葉、あれは一体どういう意味だったんだ……?)


 ——『一緒に住まない?』


 唐突に放たれたあの言葉が、頭の中で何度もリフレインする。


 もちろん、すぐに冗談だって笑い飛ばしていたけど……あの時のルナの表情、声のトーン、視線の揺れ――どうにも冗談だけでは片付けられない気がする。


(まさか本気……いや、ルナがそんなことを……?)


 頭の中で勝手に仮定が膨らみ、気持ちが落ち着かない。

 視線を前に向けようと努力するが、自然とノートの端に落ちる。

 そこにぐちゃぐちゃと描かれた線が、俺の心の中の混乱そのものを映し出しているようだった。


「……燿、お前、大丈夫か?」


 隣の席から蒼汰がひそひそ声で話しかけてくる。

 どうやら俺が上の空なのを見抜かれたらしい。


「あ、いや、別に……」


 声を抑えて返事をしたものの、蒼汰の目がしっかり俺を観察しているのを感じた。


「お前、何か悩んでんだろ~? ははっ、またゼミ発表のことかぁ?」

「それはもう解決したさ」


 蒼汰のおちゃらけた問いに、俺は首を振る。

 発表の準備は順調だし、問題はない。

 それなのに気持ちが落ち着かないのは別の理由だ。


「じゃあ、何だよ? 女のことか?」


 蒼汰がニヤニヤしながら言ってくる。

 余計なお世話だとは思いつつ、その言葉に心臓が跳ねた。


「は? 何でそうなるんだよ」


 慌てて否定したが、その反応が逆に蒼汰の興味を引いたらしい。


「おお、マジでそうなのか? お前、ルナと何かあったとか?」

「別に何もねぇよ!」


 声が少し大きくなり、前の席の学生が振り返った。慌てて手を振り、ごまかす。


「怪しいな~。まぁ、俺に話したくなったらいつでも聞いてやるよ。俺もお前に聞きたいことあるしな」

「聞きたいこと?」

「まぁ、色々あってな」


 蒼汰は肩をすくめて笑い、また講義に集中し始めた。

 だが、俺の心は一向に講義に戻る気配がない。


(ルナの冗談って、どこまでが本気なんだろうな……)


 思い返せば、あの日の彼女は妙に真剣な雰囲気だった。

 冗談だと流したけど、あの照れたような仕草と、言葉の裏にある本心のようなものを思い出してしまう。


「……俺が一緒に住んだら、どうなるんだ?」


 ぽつりと心の中で呟いた瞬間、また心臓が跳ねた。

 何を考えているんだ、俺は。

 これはただの戯言だろう? 実際に住むなんて現実的じゃない。


(だけど……ルナはどう思ってるんだろう)


 この疑問が頭から離れない。

 ふと、スマホを取り出してみるが、そこにルナからの連絡はない。

 自分から連絡しようかとも思ったが、どうやって切り出せばいいのか分からない。


(……何で俺、こんなに気になってるんだ?)


 胸の奥がむずがゆいような、締め付けられるような感覚に襲われる。

 講義が終わる頃には、ノートのページは真っ白のままだった。



 ————————————————————————



 昼休み、中庭で蒼汰と昼飯を食べていると、奴が妙にそわそわした様子で切り出してきた。


「なぁ、燿……ちょっと頼みがあるんだけどさ」

「なんだよ。」


 蒼汰の真面目そうな表情に、一瞬身構える。

 普段おちゃらけた奴だが、こんな真剣な顔をするなんて珍しい。


「いや、その……お前さ、例の婚活企画の担当者だった伶さんと知り合いだよな?」

「伶さん? ああ、知り合いだけど……なんで?」


 伶の名前がここで出てくるとは思わなかった。

 蒼汰の視線が落ち着かず、いつになく緊張しているのが分かる。


「実はさ……俺、伶さんに一目惚れしちまったんだよ」

「……ん?」


 思わず、蒼汰の言葉を聞き返してしまう。


「お前が伶に……?」

「そうだよ。前に大学まで来た時に、ちょっと話す機会があってさ。その時、心奪われたんだよな……」


 蒼汰が珍しく照れたように頭をかいている。

 その姿があまりに意外で、俺は呆然とするしかなかった。


「いやいや、あの伶さんだぞ? あの何を考えているか分からないような……」

「それがいいんだよ!」


 蒼汰は急に身を乗り出して熱弁を振るい始めた。


「クールで落ち着いてる感じなのに、時折見せる優しい笑顔……あれ、反則だろ! あと、仕事ができる感じもカッコいいし、何より話してて安心感があるんだよ!」


 蒼汰が熱っぽく語る姿に、俺は少し引きつつも笑ってしまった。


「お前、完全にやられてるな」

「だろ!? 一目惚れってこういうことかって初めて実感したよ」


 普段から軽口を叩く蒼汰が、こんなに真剣な顔をするなんて珍しい。

 だが、その真剣さが伝わる分、俺はなんと返すべきか迷ってしまう。


「で、何を頼みたいんだよ」

「紹介してほしいんだよ……伶さんを」


 蒼汰の言葉に、俺は思わず箸を落とした。


「……はぁ、お前簡単に言うなよ」

「だって、お前、伶さんと知り合いだろ? ちょっとでいいから話す場を作ってくれよ!」


 確かに知り合いだけど、そこまで深い関わりがあるわけではない。

 紹介ってあれだろ、二人の関係を取り持てってことだろ。もし蒼汰か怜が変なことになってぎくしゃくしたら俺責任取れないぞ?


「た、頼むよ!」


 ……だけど。

 蒼汰は必死だ。いつもの軽いノリとは全く違う本気の目をしている。


「お前がそこまで言うなら……まあ、聞いてみるけどよ」

「マジか!? サンキュー、燿!」


 蒼汰は満面の笑みを浮かべて俺の肩を叩く。その笑顔に、俺は苦笑いを返すしかなかった。


(しかし……伶さんに一目惚れか。蒼汰、意外と純情なんだな)


 蒼汰の珍しい一面を知った俺は、少しばかり興味をそそられながらも、伶に連絡する方法を考え始めた。

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