楽園で捕らえた天使
惣山沙樹
楽園で捕らえた天使
父が工場で首を吊った。
最期の場所にここを選んだのは特に不思議ではない。父の手で立ち上げ、半生を過ごし、懸けた場所。作業台には空いた酒瓶と遺書が置かれてあった。文面はこれだけ。
「ごめん、
その本当の意味がわかったのは、父の葬儀後、まともではない奴らから莫大な金を借りていたことを知らされてからだった。僕は男たちに車に押し込まれて目隠しをされ、遠い場所まで連れていかれた。
「ああ、うん。確かに顔は綺麗だね。何とかやりますよ」
目隠しを外されると、五十代くらいの男が僕の前に立っていた。白髪交じりの髪を肩までおろしており、タレ目の人懐っこそうな顔立ちをしていたが、有無を言わせない凄みのようなものがあった。僕はこれからこの男の言うことを聞くしかないのだ――すぐさまそう悟り、黙りこくっていた。男が言った。
「私は
遠藤さんはポンポンとベッドを手の平で押した。ここはどうやらマンションの一室らしく、ベッドの他にはローテーブルだけがある、ごく殺風景な部屋だった。先に遠藤さんがベッドに腰かけたので、僕はおずおずとその隣に座った。
「それで、晶斗くんだっけ。これから自分がどうなるかはわかってる?」
「借金の分、働かされたりするんでしょうか……」
「違うよ。君は商品になる」
「商品?」
そう聞いて連想したのは、殺されて臓器を売られる、ということだった。
「い、嫌です! 死にたくない!」
「殺さないよ、安心して。いいご主人様に買ってもらえるように、私が躾けてあげるからね」
「へっ……?」
遠藤さんが説明してくれたのは、僕は性的な奉仕ができるように調教され、オークションで売られるということだった。
「まあ、晶斗くんの場合、もう若くないから、特殊なプレイにも対応できるよう商品価値を高めなきゃいけないんだけど」
「若くないって……僕、まだ二十三ですよ?」
「うちの業界だと、もう二十三だよ。その顔に産んでもらえてよかったね。まあまあの値段はつくと思うよ」
僕はすくみあがった。
「こわい……こわいです……」
「まあ、時間はあるからゆっくりね。羞恥心や痛みに耐えられるように、きちんと順序は考えているから」
そして、遠藤さんとの日々が始まった。
高校を卒業してからは、少しでも父の助けになるよう、工場で働くことばかりしていた僕だ。性の経験などなく、知識もほとんどなかった。それを言うと遠藤さんはかすかに口角を上げて微笑み、頭を撫でてくれた。
僕は男の身体について教え込まれ、遠藤さんが指示する通りに動いた。どんな嗜好の男に売られてもいいように。大事にしてもらえるように。自分の排泄物を食べさせられた時は、我慢できずに泣きじゃくってしまったのだが、きちんと腹に収めた僕を遠藤さんは抱き締めてくれた。
「いい子だね。晶斗くんは頑張り屋さんだ」
一日のほとんどの時間を遠藤さんと過ごした。食事は全て宅配で、僕が自由に選ばせてもらったので飽きることはなかった。ただ、夜だけは遠藤さんは別の部屋で眠った。僕の部屋は外側から鍵がかけられ、出ることは許されなかった。
父を恨む気持ちすらとうに消えていた。僕は僕の運命を受け入れ、売られた後の人生については希望など持っていなかった。もう、どんな男にどう扱われても構わない。僕の価値はオークションで決まる。願わくば、少しでも高く売れて欲しいな、などと考えていた。
その日の遠藤さんは、鞭を持って僕の部屋に入ってきた。
「……今日はそれですか」
「まあ、軽くね。大事な商品に傷はつけないし。じゃあ、脱いで。四つん這いになって」
「はい……」
裸体を晒すことをためらっていた僕はもうどこにもいない。遠藤さんになら全てを見せつけてしまうことができていた。ベッドの上で尻を突き出し、歯を食いしばる。つうっと鞭の先が僕の尻を撫で、その後打ち付けられた。
「あぐっ……!」
二度、三度、四度。ひりつく痛みから逃げ出すことなく、僕はじっと動かずにいた。大きく呼吸をして、少しでも気を紛らそうとしていたが、打たれた数を数えるのを諦めた頃に妙な感覚が僕を襲った。
気持ち良い。
恥ずかしい恰好で、非道なことをされているのに。僕は打たれている間は、遠藤さんを独占できているのだ、ということに思い当たったのだ。
「ふぅ……この辺でいいか……」
遠藤さんが手を止めた。僕は媚びるように尻を振って訴えた。
「え、遠藤さんっ、もっと、もっとぉ……」
「晶斗くん?」
「痛いの、欲しい、です……」
「自分からおねだりするようになるなんてね。晶斗くんもすっかり仕上がったね」
そして、加えられる痛みは徐々に強くなっていったが、僕はむしろ興奮していた。
遠藤さん。遠藤さん。遠藤さん。
僕に全てを教えてくれた人。上手くできれば褒めてくれた人。新しい悦びをくれた人。
永遠に続いて欲しい、その願いは当然叶うはずもなく、終わりを告げられた。
「はい、もうおしまい。よく頑張ったね」
身体の芯まで甘い痛みに浸かり、僕はうずくまった。
「それで、晶斗くん。オークションはいよいよ明日だよ。私の調教はもう終わり。食べたい物とかある?」
僕はしばし考えを巡らせた後、遠藤さんの方を振り向いてこう言った。
「食べ物は、何でもいいです。それより……今晩、一緒に眠って下さい」
「一緒に?」
「ダメですか……」
「まあ……そのくらいはいいよ」
夜、狭いシングルベッドに遠藤さんと横たわった。僕は遠藤さんの胸にすがりつき、鼓動の音を聞いた。過ごせるのは今夜が最初で最後。明日僕は売られ、もう遠藤さんと会うこともない。少しでも遠藤さんのことを覚えておきたくて、僕は尋ねた。
「なんで……こんな仕事してるんですか?」
「道楽のようなものだよ。今までに何人もの男の子を送り出した。高く売れれば売れるほど、私も鼻が高かったね」
「これからも、続けるんですか」
「まあ、その辺りは色々考えているところかな」
トン、トン、と遠藤さんが僕の背中を叩いた。赤子にするかのように。穏やかに。優しく。僕はくったりと身を任せ、精一杯の想いを打ち明けた。
「僕……遠藤さんのこと、一生忘れません……」
返事はなかった。けれど、告げることができればそれで十分だった。僕は目を閉じ、深い眠りの中に沈んだ。
目が覚めると遠藤さんはいなかった。ローテーブルの上にはペットボトルの水とおにぎりが置いてあり、それが朝食だということらしかった。昼前に見知らぬ男たちが部屋にやってきて、僕は来た時と同じように目隠しをさせられて車に乗せられた。
到着したのは、廃業していると思われる遊園地だった。駐車場からは目隠しを取られて歩かされたのだが、錆びついた門をくぐると、時が止まったメリーゴーランドやジェットコースターが見えた。僕がいぶかしんでいると、ドームのようなところに入るよう促された。中には映画館にあるような椅子がずらりと並んでおり、ステージ上では何人かの男たちが準備をしているようだった。
僕はステージの横から控室に入れられた。外からは鍵だ。大人しく待つよりほかはない。途中、弁当が差し入れられて、それを食べた。いよいよ僕は売られる。あのステージの上に立たねばならない。覚悟を決めていたはずなのに、じわりと涙がこぼれた。
「うっ……あっ……」
拭いても拭いても流れてくる涙が止まったのは、夕方になってからだった。スーツ姿の男が現れ、衣装を持ってきたのだ。飾りのない半袖の真っ白なワンピース。白いストッキング。あまりの珍妙さに困惑を通り越して笑えてきた。僕はそれを着て、順番を待った。
「それでは次に参りましょう! 五番! 楽園で捕らえた天使! あなたの欲望を満たす唯一無二の存在です!」
僕はステージの中央まで歩き、スポットライトを浴びた。僕を見つめる視線は、十、二十、いや、もっとだ……百はあるかもしれない。いいだろう、天使らしくふるまってやろうじゃないか。僕はうやうやしくお辞儀をした。
「調教の内容はお手元のタブレットの通りです。大人しく従順で、どんな命令にも背きません。我こそはという方は、金額を入力の上、入札ボタンをタップして下さい! まずは一億! 一億から!」
僕の背後にはスクリーンがあり、そこに入札の状況が表示されていくというのは前の出番の者たちを見ていてわかっていた。僕は商品だ。振り返ることができないので、司会の声だけが頼りである。
「はい! 二億! 三億! 素晴らしい! 四億! 四億五千万!」
僕の前の者たちは、大体五億円程度で売れていた。僕もその辺りに収まるのだろう、とじっと耳を澄ませていた。
「五億! 五億五千万! おっと止まらない! この天使を手にする者は果たして誰なのか! 六億! 六億出ました!」
いいぞ、もっとだ。僕の価値が上がれば上がる分、慰みにもなるというもの。
「六億三千万! 六億四千万! 六億五千万!」
金額が細かく刻まれるようになった。そろそろか。
「……十億っ! 十億です!」
「えっ……」
僕はつい、スクリーンの方を振り返ってしまった。確かにつけられた値段は十億。
「はい! 決まりましたっ! 楽園で捕らえた天使、十億です! いやぁ、盛り上がりましたねぇ!」
会場中が拍手に包まれた。僕が呆然と突っ立っていると、スーツ姿の男に腕を引かれ、控室へと戻された。
――十億。僕に十億の値段がついた。僕を落札したのは、一体どんな人なんだ?
そんな大金をはたいてくれたのだ。これからの扱いはそう酷くはないだろうし、すぐ飽きて捨てられる、ということもないだろう。
しかし、僕の身体はガクガクと震えだした。例えどんなに丁重に扱われたとしても、その人は遠藤さんではないのだ。どんな辱めも、遠藤さんだから耐えられた。果たして新しいご主人様にも同じことができるだろうか。
僕は無意識に唇を噛んでいて、血の味が口の中に広がり始めた時だった。控室のドアが開いた。
「えっ……?」
入ってきた長髪の男性は、紛れもない遠藤さんだった。
「遠藤さん……?」
「私が晶斗くんを買ったんだよ」
「嘘っ……」
「さっ、車に乗りなさい。うちに連れて行くから」
何もかも整理がつかないまま、僕は遠藤さんに手を引かれて控室を出た。僕は天使の衣装のままだった。車に乗る前に遠藤さんがジャケットを脱いで僕にかけてくれた。
助手席に乗り込み、シートベルトをつけて、ようやく口を開くことができた。
「なんでっ……遠藤さん、僕を……」
「欲しくなったからだよ。それ以上の理由はない。これからは商品ではないからね」
「僕……僕、嬉しいですっ!」
遠藤さんは目を細め、車を発進させた。
遠藤さんの屋敷は山奥にあった。到着してリビングに通されると、ホコリっぽい臭いがした。普段はここに帰らないからだろう。遠藤さんは缶詰のソースを使ったパスタを作ってくれた。
「美味しいです、遠藤さん……」
「良かった。それと、私のことは下の名前で呼んでくれるかな。
「直史、さん……」
その名を口にすると、たちまち顔が熱くなってきた。
「僕、直史さんの命令は何でも聞きます。どんなことをされても構いません」
「いいかい、もう調教は終わったんだからね。晶斗くんが私にどうしてほしいのか……どう感じたのか……そういうことを素直に言って。わかったね?」
その夜、僕は商品ではなく、一人の人間として愛された。もう直史さんは調教師ではない。かといって、ご主人様というわけではない。それを身体でわからされた。直史さんは、もう僕の……恋人だ。
「好きです、直史さん……」
むせかえるような情事の後の匂いに包まれて、僕はそう想いを告げた。
「ねえ……いつから僕のこと、買おうって思ってくれていたんですか?」
「ああ。笑うかもしれないけれど、一目惚れだったんだよ。何人もの男の子を調教してきたけど、初めて自分の物にしたくなった。商品名を考えたのも私。晶斗くんのことは天使だと思った」
「もう。あの衣装はちょっと、酷かったですよ」
「そうかい? よく似合っていたよ」
直史さんは、僕の髪をわしゃわしゃと撫でた。
「晶斗くん、愛してる。私が死ぬその時まで、側にいてくれないか」
「はい……僕はもう、直史さんから離れません」
僕はその言葉を守り抜く証として、直史さんに口づけた。
楽園で捕らえた天使 惣山沙樹 @saki-souyama
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