一般怪物の現代暮らし【魔女】

藤野羊

第1話

 世に隠れひそむ怪物たちの比率でいえば、魔女というのは多数派だ。


 理由は単純。ある時期に魔女裁判が大流行して「魔女」認定を食らった人間が大勢うまれた。当時の流行は有難くもない熱狂ぶりで、振り返ってみれば集団ヒステリーというやつだった。火のないところに煙を立たせ、スパイス程度の私刑も挟みつ、生贄を祀りあげて民衆の不安を和らげるための儀式。

 そう、儀式になってしまった――「魔女」を生むための。

 民衆はみな指さして魔女だと言った。災厄から逃れる唯一の手段だと縋り、信心から人を焼いた。そんな信仰が村の規模だけ集まった身は、人の形を留めていられなくなった。

 強い信仰は器を歪める。魔女狩りの時勢も味方した。

 彼女を含めた同胞の多くは、名実ともに民衆によって魔女に仕立てあげられた。

「ご用命ありがとうございまぁす。完全合意の仕入で安心、生産者が見える品質保証! あなたの街の魔術店、道具屋のミラが参りました!」

 魔女ならば焼かれても死なない。

 だから彼女は死ななかった。箒で飛び回り、薬を作り、生来の話好きが幸いして、不死者ばけものたちから希少な素材を仕入れる生業で身を立てる所に行き着いた。


 木材を贅沢に使って仕立てられたテーブルへと、持ち込んだ商品を並べていく。

――高品質で珍重されるが、きわめて成長が遅い樹種だ。ここまで育つのに数百年、いや千年は堅いか――勝手にソロバンを弾こうとする雑念を追い出し、ミラは営業スマイルを貼り付ける。

「さぁて、ご注文内容の確認お願いしまぁす。万年雪のひとしずく、怪鳥の風切羽、人魚の涙に……」

「ミラ。私が頼んだのは人魚の鰭骨だ」

「海陸間協定で商取引禁止。もう、分かっておられるでしょう?」

「そこで野良人魚と個人契約を交わして用立ててくるのが君じゃないか」

「即検挙で海の底ですよ。やめてください交易ビザ取るの苦労したんですからぁ」

 長く隠居を続けているとはいえ、顧客である大魔女が失念する事項でないことは明白だった。

「そうだね」と冗談めかして笑った顔は、以前にまして寂しげだ。


 科学の発展とともに神秘は薄れた。

 人間が台頭した現代社会で、怪物の居場所は既にない。

 ヒトが変異した短命の化生――『鬼』の鑑別手段確立と同時に大規模粛清が行われ、不死者たちも明日は我が身と異界へ移住していった。

 商機を見るもの。

 既に動けないもの。

 状況が一切わかっていないもの。

 役割があるもの。

 この土地を離れない怪物たちの動機は様々で、大魔女の理由は伴侶だった。

「ご挨拶させていただいても?」

「ああ。きっと喜ぶ」

 ちいさないおりのすぐそばに、献花の絶えない墓標がある。

 魔女に拾われ添い遂げた唯一の弟子は、不死に至ってなお亡くなった。

 自然死はないが事故死はあり、伝承に付随する『退治手段』が存在する。不死者と呼ばれても不滅ではない。

「教会がここを嗅ぎつけた」

 終わらせることが出来るなら、不死を放棄する手段を模索するものがいる。

 試行錯誤で完成した調剤レシピ、不死者の安楽死を叶える魔法薬――治癒力や毒物耐性に長けた怪物には効かないが、魔女になら十分に効いてくれる――注文内容の意味するところが『それ』の材料であることは、中堅魔女の端くれとして察していた。

「……どこへだって行けますよ。貴女ほどの魔力があるなら」

「私たちが過ごした此処で、伴侶を追うと決めていたんだ。此処から遠く離れた場所で死んだら、あいつが私を見つけられない」

 今回の代金として、家のものを譲ろうと大魔女は言った。

 等価でなくとも構わない。価値あるものは引き取ってほしい、とも。迷惑料だと微笑む彼女に「そんなことない」と伝えはしたが、首を横に振られただけだ。

「君が触らずとも、数日で使い魔に処分させるから消えてなくなる。必要とする誰かに仲介してくれるなら、私にとっても嬉しいことだ」

 墓前にミラを残し、大魔女の細い背中は庵の中へと戻っていった。


 冷たい風が吹きつける。

 墓標にかけられた賑やかな花冠から、細い花弁がひとひら落ちた。

「……また寂しくなりますねえ」

 緩やかな衰退は、滅びへの一本道なのだろうか。

 数を減らす怪物と対称的に、人間は知恵を積み重ねて世界を掌握していった。僻地へきちにまでも開発の手を伸ばし、常夜灯で闇を薄めて、微力ながらも自然の御し方を身につけてきた。

 怪物はオカルトと看做みなされ、畏怖は薄れ、伝承は虚構になった。

 いまや魔物は、創作物としての認知が主だ――伝承を実存とし力となる怪物たちにとって、現代の伝承変化も例外ではない。少しずつ不死者たちに染み込みつつある変化は、おおむね彼らを弱体化させる方向に影響している。


 ヒトが不死者に変異すること自体、無くなるのかもしれない。

 新しい世代の不死者たちは、微々たる魔力のものが多数派だ。市井に溶け込んでもヒトの毒にはならない程度の――まるで怪物が、人間との共生方向へと向かっているかのような。

「うわ。気持ち悪いこと考えちゃった」

 魔女垂涎の希少素材を山ほど積まれても御免だ。

 罪なき女を火炙りにした蛮族が、と。恨み言を吐くミラに背後から声がかかる。

「どうしたんだ? すごい鳥肌だ」

「や、我ながらキモい想像しちゃ、って……」

「そうかそうか、気が済んだら退いてくれ。そこに居たら君の手足ごと消し飛ぶ」

 ミラが振り向く。

 さきほど今生の別れをしたはずの大魔女が、憑き物の落ちた顔で杖を構えていた。


 ミラが墓前から離れ、大魔女の背に隠れた途端。呼吸が苦しくなるほど濃密な魔力がうねった。

 めきめきと芽吹いた大木に、ちいさな庵があっというまに飲まれてしまう。同時に墓標が消し飛び、美しい細工が施された棺が野原の上へと姿を現す。

 大魔女はあっさり言い放った。

「気が変わった」

「レベッカさん?」

「いっぺん死んだら後戻りできないじゃないか。まったく軽率だ。あいつと暮らしすぎて辛気臭いのが移ったか?」

「……いや。心変わりを否定したいわけじゃないんですけどぉ……シェリルとの思い出の場所で終わりたいという貴女の意思は……?」

「君が言ったんだ、どこにでも行けると。その通りだった」

 杖を振る。

 大魔女が腰掛けた棺は、ほうきと同じように宙に浮かんで静止した。

「鈍臭いあいつが見つけられるように、一緒に連れて行こう。異界を巡って虹色の空でも見せてやるさ。……そういうのが好きだったからな」

 愛おしげに棺をなぞる大魔女に、ミラはそれ以上の追及をやめた。

 いまも小さな苗木へ圧縮されていく庵と、大規模かつ繊細な魔術に圧倒されながら――ぎりぎりまで言うか迷った苦言を、控えめに伝えてみる。

「ただ、……やっぱりそれを箒にするのはちょっと」

「とっておき一級品のオーク材だぞ? 箒には文句のつけようがない素材だ」

「棺はですね、箒の代わりにならないし、腰掛ける家具でもないんですよ」

「生前、私の椅子になって嬉しそうに鳴いていた。喜んでいるだろうさ」

「いえ、わりと抗議されてたと思います。あなたが取り合わなかっただけで」

「友人に見せる顔と伴侶に見せる顔は違う」

「すっごいこの大魔女ひとなにもきいてくれない」

 これでも、かつては高位の不死者に能力を買われて働いていたらしいのだが。

 一体どう扱っていたのか、職場と上司の気苦労が知れるようだ――いや。能力のあるはみ出しものが多かったとも聞いたから、同類しかいなかったのかもしれない。同じ穴のムジナ。怪獣大決戦。統率とは。

「ミラ、また何かあれば助けておくれ。落ち着いたら連絡するよ」

 手を振る大魔女を見送ろうとして、ハッと気付いて声を張り上げた。

「お代は! 置いてってください!」

 別れの空気が無音のまま固まる。

 手の中の苗木を見つめた大魔女は、分かりやすく「失敗した」という顔をした。

「……しまったな。再展開に十年はかかるし、いや術式で成長加速すれば…………」

「多少の担保をお預かりできるなら、後払いでも構いませんが……」

「いまの手持ちで最も価値があるのはこの棺だ。これは渡せないから困ってる」

 棺でゆらゆら浮かびながら、大魔女はしばらく唸った。

「これは使いたくなかったけれど」と。眉をひそめて口を開く。

「情報を売ろう。今のタイミングならまだ、ツケ払いの担保くらいにはなると思う。……君なら悪用しない信頼があるし……うん。そういうことにしよう。ごめんねみんな。君たちなら問題ないよ!」

 ミラの不安を盛大に煽りながら、大魔女は値打ちの『情報』を漏らした。

「私の元主人さまがご帰還らしい。きっと良い取引相手になるよ。いま適当に一筆書くから、気が向いたら売り込みに行ってみたらどうかな?」

「……『無貌の君』が? お隠れになったという話じゃ」

「私もそう思っていたんだけどね。この間、勧誘の令状が届いたんだ。あの真面目馬鹿な家令が冗談は言うまい……私はこのとおり行けないけど、よそから戻ってくる連中も多いんじゃないかな」

 力ある不死者の流れを先んじて知ること自体、商人としてのアドバンテージだ。

 また、怪物のごった煮だからこそ良い仕入れ先にもなる。ものにできれば大きなチャンスではあるが。

「話せばわかる災害だから。よろしくね」

 そのように笑った大魔女は、棺に腰掛け空高く飛んでいった。


「……災害とは関わり合いになりたくないんですよねぇ、ふつうは」

 そりゃあチャンスかもしれないけれども。心の準備が。

 しかし情報は鮮度が大事だ。内々にしか知らされていない段階で掴めたからこそ価値ある情報なのであって、広く知れわたってしまってからでは意味が無い。

 ミラは唸り――悩んでもどうしようもないことを悟って、諦め混じりに呟いた。

「…………手土産でも見繕ってみますかぁ」


 何か、変化があるのだろうか。

 そんな予感が嫌なばかりでもないのだから、自身も停滞に飽いていたのは確かなんだろう。

「……っと。次の配達先にいかないと」

 魔女たちが飛び去り、更地になった野原で、花冠がそよそよと柔らかく揺れていた。

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