かよ子さんと利き手

 忘れっぽい百君は、オーダーをするために呼び止めた私の目の前で困ったように首を傾げた。

「あずみさん、オーダーなんですけど」

「あれ、取り方は教わっているよね?ポケットに入っているオーダーシートに商品名を書くだけなんだけど」

「そうなんですけれど、えっと僕何利きでしたっけ」

「え?」

「僕、ボールペンを右と左、どっちで持てば良いんでしょうか」

 あり得ないことを忘れる彼は今日、自分の利き手を忘れたようだった。右と左、交互にペンを持ちながら、どっちもしっくりこないと悩む彼の表情は真剣そのものだったが、忘れたことがことだけにちょっとだけ面白い。

「どっちの手でも書いてみて、書きやすい方が利き手ってことにしよう」

「分かりました」

 私の提案に頷いた百君はカウンターにオーダーシートを置き、恐る恐る文字を書き始める。並べられた同じ文字の単語を見比べながら、私は頷いた。

「どっちも汚いね」

「僕もそう思います」

「ちなみに右と左、どっちが書きやすかった?」

「どっちもどっちでした」

「一周回って両利きみたいなこと言うね君は」

 ミミズが乗りたくったような字はどちらも同じくらい読みにくい。正直不正解の利き手でこれから生活したとしても、そこまで支障はない気がする。彼のことだ、きっとこの先もっと忘れてはいけないことも忘れそうだし。そう考えると、聞き手がどちらかなんて些末な問題だろう。

「せっかくだし自分で好きな方の利き手を選べば?」

「そんな適当で良いんですか」

「聞き手を忘れる適当な人が何を言っているの」

 百君は右手と左手を交互に見比べて、左手にペンを取った。

「左利きにします。そっちの方がかっこいい気がするので」

「そっか。ちなみに百君は右利きだよ。包丁もマウスも野球も全部右」

「え、何で知っているんですか」

「君は忘れているけどね、私たち高校の同級生だったんだよ」

「……そうなんですか?」

「そうだよ。百君って本当に忘れっぽいね」

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かよ子さんの喫茶店 @sasakihanada

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