底辺という事なかれ

碧月 葉

底辺という事なかれ

「底辺」

 カクヨムをはじめてしばらく経つが、私はこの言葉にどうしても違和感を覚えてしまう。


 そもそも「底辺」とは、構造の一番下の部分や、評価の最下層、能力や成果、評価が低い事、などを指す言葉だ。ただ、ネットの世界ではユーモアや自虐の意味で「底辺」が使われることが多いらしい。


 カクヨムでも、次のような表現を見かける事がある。


「私なんて所詮は底辺……」

「底辺の物書きです……」

「底辺作家なので……」


 尊敬する作家さんの中にも自らをそう表現する方々はいる。

 そして、そういった文言を目にするたびに私の胸は痛むのだ。

 こんなに素晴らしい文章を書く方々が「底辺」ならば、私がいるのは地中どころの話ではない……と。

 しかし、それ以上に「底辺」という言葉の持つ重さを自身に向ける作家さんを見ると、なんとも切ない気持ちになる。


 自らを「底辺」と言う場合、それはどこまでいっても主観的なものだ。

 したがって、誰かにとっての「底辺」が、別の人にとっては「普通」や「満足」というのは往々にしてあると思う。

 そして、自分をどう評価して、どう表現するのかなんていうのは各人の自由だとは思う。


 けれど、そうは言ってもやはり「底辺」と称する表現に出合うと胸がちくちくしてしまう。

 だから、ちょっとだけ思う所を記してみた。


 ちなみに、私はカクヨムに来て4年、カクヨム登録歴=執筆歴 である。

 ズブの初心者から始め、今ではのんびり自分のペースで読む書くを楽しみ、生活に潤いを得ているという素人だ。

 よって、これは書き手の意見というよりは、読むのが好きな一個人の意見として読んで頂ければありがたい。



 「底辺」…… そもそも、何故自分をそんな風に言うのだろうか。

 考えられる理由を3つほど挙げてみた。


 一つめは「ユーモア、遊び心」で使っている場合だ。

 ユーモアのある自虐というのは目を惹くものだ。また、凄いと思っていた人が自虐的な言葉を漏らすとハードルが下がり親しみを感じる場合もある。

 つまり、本心ではそこまでダメとは思っていないものの、茶目っ気を出して使用している……そんな作者さんもいるだろう。

 

 二つめは、「本気で自分の能力や成果が低いと思っている」場合だ。

 作家さんが成功の基準を相当程度高く設定しており、今の自分はその理想に到達していないと評価しているケースになる。

 志が高く自分に厳しい方であれば、こういった事から「底辺」と称する事も少なくないだろう。


 そして三つめは「失敗した場合のダメージを和らげたい」という場合だ。

 自分を過小評価することで、失敗の恐れや他者からの批判を軽くするため、「底辺」というバリアを張っている作家さんもいるのではないだろうか。


 このようにみると「底辺」という言葉を使うことは、人々の関心を引いたり、親近感の演出したり、期待値を調整したりなど、一定の効果があるように思われる。

 確かに、私も書き手としては防御的な謙遜を使いたくなる気持ちや、「だって本当に拙いんだもの!」と言いたくなる心理には共感する。


 けれど、自分が読み手となった時はどうだろうか。

 自分を「底辺」だと語る作者さんに惹かれるだろうか。

 

 私の場合、作風や作者さんのキャラを知っているなら「また〜、何言っちゃってんの」と、ある程度受け止める事ができる。

 しかし、初対面の作者さんプロフィール欄に自虐的な事が書いてあったなら、読む前にこっちも不安になってしまう。

 また、必要以上に気を遣ってしまいコメントを書くのも難しく感じてしまう。

 という訳で、自虐は使う相手やタイミングによっては効果はあるけれど、人によっては良くないイメージを与えてしまうと思う。

 

 そして他人の受ける印象よりも心配なのは、自分自身への影響である。


 先述の考察の、一つめと二つめが絡んで「底辺」を使う方については、あまり問題ない。

 自分の力を信じているし、底辺という言葉をモチベーションアップや自身のブランディングに生かしていると思われるからだ。


 一方で、二つめと三つめが絡んでいる方は、少し注意が必要なのではと感じる。

 何故ならば、自虐というのは、繰り返すことで自己評価を低下させてしまうことがあるからだ。

 謙遜のつもりで使っていても、それが習慣化すると自信の喪失に繋がって、せっかくの成長の機会を失いかねない。

 つまり言い訳だけが上手くなり、良いものを作る力が削がれてしまう。

 それは、物語の創り手として極めて残念なことでは無いだろうか。

 書き手の方々は十分ご存知だろうが、言葉選びは本当に大事だ。だから是非、自身にも良い言葉をかけてあげて欲しい。


 書くことは、孤独な作業だ。

 故に、行く先が見えなかったり、自分がとても無力だったり、生み出した文章がつまらないものに思えてしまう瞬間もあるだろう。

 けれど、あなたが記した一文が、誰かの心を照らす光、底辺なんかじゃなく、仰ぎ見る綺羅星ということも十分ある事なのだ。


 少し偉そうな感じになってしまったが、要は

「底辺なんて言われると、こっちもしょんぼりしちゃうからさ、そんな風に言わないでよ」

 と言いたいだけである。


 あなたが紡ぐ物語は、世界にたったひとつの尊いものなのだから。

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