珍しく去る者を追いかける

――カチッ、コチッ、カチッ、コチッ


 クリスマスイブがクリスマスに変わって約一時間。春日かすがは俺の腕を枕にし、胸にくっついている。アロマの蝋燭のおかげで、少しだけ春日かすがの横顔が見える。


 抱きしめさせてくれたものの、明らかに不機嫌。俺に目を合わせようとしない。もしかしたら、俺の顔を見ないために傍にいるのかもしれない。


二海ふたみ

「はい」

「引っぱたいていいか?」

「はい」


 俺たちはベッドから起き上がった。すると、速攻で春日かすがの手が飛んできた。動きは見えている。

 避けることも受けることも可能だ。だが、そのまま素直に叩かれた。


「引っぱたくのは初めてだが、叩く方も痛いものだな」


 俺は、春日かすがの手を両手で包むように掴んだ。


「君はそういう所がずるいんだ。気をつけてくれ」

「はい」

「さあ、今夜は一緒に寝よう。ちょっと狭くて申し訳ないが」

「はい」

「あ!」


 春日かすがはいきなり起き上がった。


「すまない、プレゼントを渡していなかった」

「あの、どういうことですか?」

「ちょっと待っていてくれ。あ、こっちは見ないで」

「はい」


 春日かすがは……恐らく裸のままベッドを降り、デスクの方へ歩いて行った。


「メリークリスマス、二海ふたみ


 差し出されたのはA5サイズぐらいの箱。赤と金、それに緑色の如何にもクリスマスらしいラッピングがされている。


「開けていいですか?」

「きっと気に入るぞ。軽音部の友人に薦められた逸品だ」


 ガサガサと包装紙をなるべく丁寧に開けると、中から見たことのない音叉が出てきた。


「それは四〇九六ヘルツの音叉だ。一緒に入っているクリスタルと一緒に叩いてみるといい」


――キーン


「とても気持ちいいです。なんだか落ち着きます」

「そうか、それは良かった。君は落ち着いているようで、意外と不安定な所があるからな」

「そうなんですか?」


「さっき、私の手を握った時も、手が少し震えていたぞ。それに、その左腕、自分で傷つけたんだろう?」

「はい」


 春日かすがは俺の左腕の傷に触れた。


「夏でも長袖を着ていたから、ずっと不思議に思っていたんだ」

「そうですね」



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 翌朝、春日かすがと昼まで一緒にゴロゴロし、色々な話をした。たぶん、菜可乃に話したことはほとんど話した気がする。


 しかし、春日かすがはあまり自分のことを話さない……というか、あまり機嫌は良くない。相槌を打ち、少しの言葉で終わってしまい、会話が続かない。


 昼飯を食べ終わると俺は出かける準備をした。祖母ちゃんちの近くで働いているバイトのシフトが入っているから。


「じゃあ、俺、バイトがあるんで行ってきます」

「ああ。気をつけてな」

「夜、帰ってきますから」

「本当か?」

「はい」


 ようやく春日かすがは、いつもと同じような笑顔を見せた。


 春日かすがを抱きしめキスをすると、ドアを開けて外に出た。春日かすがはあまりディープキスを好まないので、いつも軽くキスをすることにしている。


 天気はいい。ちょっと乾燥しているかな。さすがクリスマス、寒いし、この辺りは風が強い。


 いつもはバイトをした後、祖母ちゃんちに泊まって日曜日の夜に戻るのだが、今日はクリスマス、祖母ちゃんには挨拶だけしてマンションに戻るつもりだ。


 それは正解だった。


 しかし、マンションに戻ったものの、春日かすがはやはり機嫌は良くない。というか、昼よりも機嫌が悪くなっている。ただいまのキスを断られてしまった。


 俺はキッチンに立ち、料理を考えた。こういう時に少しでも気持ちがやわらぐ料理。そうだ、野菜とトマトを煮込んだあの料理がいい。

 もしかしたら春日かすがも、少しは笑ってくれるかもしれない。


 一応、スマホで軽くレシピを確認すると、早速、調理に取り掛かった。煮込んでいる間に、サラダを皿に盛りつける。


 そして、ボウルにバキバキに細かく砕いた早ゆでスパゲッティを入れてお湯を注ぎ、ラップをして十分ほど。

 一応、湯切りを軽くしてオリーブオイル、適当な鯖缶を混ぜる。


春日かすが、晩飯、できました」


 春日かすがはリビングでテレビを観ている。俺は、だまって料理をテレビの前にあるテーブルへ運んだ。


 そして、春日かすがの横に座ると、春日かすがをじっと見つめた。綺麗な横顔。それでいて強くて凛々しくて。


春日かすが、この料理の名前、知ってますか?」


 数秒の間。


「知らない」

「『チリンドロン』って言う、スペイン料理です」


「チ、チリンドロン? それ、本当にそんな、そのふざけたと言っては失礼だが、そんな名前の料理があるのか?」

「はい」


 良かった。春日かすが、反応してくれた。


「もしかして、そっちも何か変な名前なのか?」

「ええ、和風ですが『クスクス』という、モロッコ料理です」

「クスクス?」

「はい、クスクスです。正確には、クスクス風の料理ですが」

「クスクス……」


 俺たちは手を合わせて食べ始めた。


「なあ、二海ふたみ

「はい」

「気遣ってくれるのはうれしいが、何となく、割り切れないものがあってだな」

「はい」


 春日かすがはスプーンを持ったまま、動きを止めた。


「その、しばらくは無しでいいか?」


 なんのことだろう?


「あの……」

「夜のこと。そこは察してくれ」

「わかりました」


 また、しばらく、トイレと友だちになる。


「キスも無し」

「はい」


 キスも無し、いや、キスをしない方が我慢しやすいから、それはそれでいいか。


「耐えられるか?」

「はい、耐えます」

「浮気したりしないでくれ」

「もちろんです」


 会話ができるようになっただけでも良かった。毎晩、ひっぱたかれるのは大変だし、とりあえず、この雰囲気なら気まずい毎日にはならなさそうだ。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「おい、清水きよみず、ちょっと話がある」


 冬休み明け、ベンチで弁当を食っていたら声をかけられた。顔を上げると、珍しいな、わざわざ俺を探しに来たのか。声の主は朝丘さんだった。


「はい」


「場所を変えよう」

「はい」


 朝丘さんは、俺を武道場に連れて行った。昼休みの武道場は、恐ろしいほど静かだ。冬の寒さもあってか、いつもの汗臭い匂いが薄まっているような気がする。


「まあ、座ろう。立って話をすると腹が立った時に余計に腹立つから」

「わかりました」


 朝丘さんは、俺の目の前で胡坐あぐらをかいて座り、俺は正座にした。殴られそうになった時は、正座の方が速く動けるからだ。


春日かすがのことだが、何かあったのか?」

「何かあっても言えません」


「ま、そりゃそうだよな。いきなり唐突に呼び出されて、それほど面識もない俺が訊いたってな。そこでスラスラ喋られるのも困るしな」


「何かあったんでしょうか?」


「よし、俺が春日かすがから聞いた話をする。実は、春日かすが、あまり元気がなくてな、問い詰めたら、春日かすがはお前に初めてを捧げた。そして、その後、電話に出た」

「はい、その通りです」


 ん? 冷たい風が吹いたような。ここ、室内だよな?


「なあ、それ、いくら何でも男として最低だろう?」

「最低です」


 いきなり服を掴まれ、身体が引っ張られた。

 そうだ。俺は最低だ。朝丘さんはまちがいなく春日かすがのことが好き、そんな春日かすがに最低なことをしたからには、朝丘さんも腹が立つだろう。


「ちょっと勝負しないか?」

「どんな勝負ですか?」

「組手だよ、組手」


 朝丘さんは立ち上がり、引き上げられるように俺も立ち上がった。朝丘さんの眉間には大きなしわができている。


「嫌です」

「なるほど」


――ドスッ


「うっ」


 いきなり腹を突かれた。そう、この男は見えるところに怪我やあざを作らないように腹を狙ってきたんだ。

 予想して腹筋に力を入れていたし、距離も近いから、ひどい痛みはない。


 しかし、痛いものは痛い。


 俺は、この男にこのまま殴られるべきなんだろうか?


――ドスッ


 二発目……利き手じゃないせいか、二発目はそれほど痛くない。


「おい、何で反撃して来ないんだ?」

「わかりません」


 それから何発も殴られた。結構、来る。痛い。


「お前、腹筋、無茶苦茶硬いな。まるで分厚い雑誌を殴っているみたいだ」

「少しは気が晴れましたか?」


「どの口でそんなセリフを言うか!」


 俺は朝丘さんの胸に左手を当てると、身体中の筋肉に力を込めて、一気に解放した。


――ドスンッ


 朝丘さんが倒れた。


「お前、これ、菜可乃が言っていた発勁はっけいなのか? 本当に発勁はっけいなんて実在するのか?」

「はい」


「くそ、お前の態度は余裕があり過ぎて腹が立つ」


 話すべきか……。朝丘さんなら、何かアドバイスをくれるかもしれない。俺は強くこぶしを握った。手の中が汗ばんでいるのがわかる。


「朝丘さん」

「なんだ?」


 俺を見上げながら、朝丘さんは答えた。たぶん、俺の顔は今、青ざめているだろう。血の気が引いて頭の体温が下がってくる感じがしている。


「もし……いえ、もしじゃなくて、本当のことなんですが……余命宣告されて、今、生きているかどうかもわからない友だちから、電話がかかってきたらどうしますか?」

「電話に出る」


「それがクリスマスの時、電話に出た理由です」

「そうだったのか」


「それでも電話に出ませんか?」


 朝丘さんは身体を起こし、再び胡坐あぐらをかいた。それに合わせて、俺も正座した。


「わからない」


「俺、そいつの事が心配で……でも、もし電話をかけて解約されていたらと思うと、怖くて連絡できなくて」

「解約……か」


 俺たちは、どういうわけか、さっきまでの状態から真逆で、妙に冷静になっている。


清水きよみず、ひとつ訊きたいんだが、どうして春日かすがの部屋にスマホを持って行ったんだ?」

「すみません、それは言えません」

「そうか」


 目の前で胡坐をかき、腕を組む朝丘さん。これ以上、殴られることは無さそうだ。


「わかった。まあ、そんな顔をされたら怒る気も失せる。悪かったよ」


 そんな顔って、俺、今、どんな表情をしているんだろう?


「朝丘、二海ふたみ、見つけたぞ。何をしているんだ?」


――バタバタっ


 春日かすがが駆け寄って来た。


二海ふたみ、おい、泣いているのか? 泣くのなら私の胸で泣いていいぞ」

「大丈夫です。ちょっと目にゴミが入っただけで」


 そうか、俺は涙ぐんでいたんだ。それで朝丘さん、戦意喪失したのかも。


「朝丘、何もしていないんだろうな?」

「ま、まあな」


 何か言い訳を、どんなことを話せばいいのか……。そうだ。


「朝丘さんに悩みを相談していました」

「私には言えない悩みなのか?」

「はい」


二海ふたみ、私たちは三月までは付き合うと約束した。だから、心配するな。これからもよろしく頼む」

「そんな約束していたんだ、ちょっとびっくりだな」


「朝丘、二海ふたみの相談にしっかりと乗ってやってくれ」

「わかった」


 冷たい……見ると、武道場の扉は開けっぱなしだ。春日かすがが閉めなかったんだろう。


 これから春日かすがとどうなっていくのかはわからない。


 俺がゆっっくりと立ち上がると、春日かすがは俺の肩をポンポンと叩いた。

 その瞬間、背中を引っ張っていたものが外れたような、なんというか、緊張が一気に抜けていく感じがした。


二海ふたみ、大丈夫か? なんだかふらついているぞ」

「はい、大丈夫です」


 でも、この身体中の力が抜けていく感じ、よくよく考えてみれば、ずっと忘れていた。


 春日かすがは、武道場の階段を降りながら俺と二人っきりになったのを確認すると、顔を耳に近づけてきた。


「実は、最初から見ていたんだ。二海ふたみが適当な気持ちで私と付き合っているんじゃないということはわかった。今夜からは私のベッドで一緒に寝よう」


 今夜は春日かすがと一緒に、ゆっくり眠ることができそうだ。いや、眠らないかもしれないし、眠らせてもらえないかもしれない。


 冬の寒空、やや薄曇り、冷たい風が吹き抜けていく。ところどころ、砂が舞い上がって渦を巻いているようだ。すぐに渦は消えた。


 春日かすがの言葉のおかげで、少しだけ、楽になった気がする。きっと、俺は仮面を被っているんだろう。少しだけだが、ほんの少しだけだが、自分に素直になれるかもしれない。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


「クスクス」というモロッコ料理、ワタクシ、お恥ずかしながらずっと、「あわ」や「ひえ」などの小さな豆の料理だと思っていました。


今回、本エピソードを書くために改めて調べてみたのですが、あれはパスタの一種と知り、びっくりです。



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それではまた!

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貧乏大学生の恋事情は③年上女子大生の初めて 綿串天兵 @wtksis

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