第2話

「ムッちゃん、ちょっと良いかな」



 緑色のふさふさが二つ、穴から現れた。

 大きさは人間の子どもの頭部くらい。目玉が六つあり、バラバラに動く。

 二つのまんまるが擦り寄る。私は挨拶代わりの頬ずりを返す。

 ムツメミドリはトイレを住処にしているが自浄作用により体は清潔だ。体毛は綿毛のようで、日向に置かれた干し草の匂いに癒される。


 ちなみに良い香りの正体はオナラだ。

 オナラで幸せな気持ちにさせるのだから羨ましい。私も素敵な香りが出せればいいのに。

 衛生的で、肌触りが良くて、人畜無害。

 そんな善良なふわふわにも一つだけ弱点がある。口がとっても臭いのだ。

 口臭の原因は歯に付着した食べかす。つまり私達の排泄物だ。

 ムツメミドリの大きな口が開く。

 美しい歯並びと、長い舌、ゆっくり吐き出される二酸化炭素。

 腐った果実をどろどろに溶かし、そこに香辛料を加えたような臭い。あまりの悪臭に意識が遠のく。

 薄れゆく意識の中、足音が聞こえる。ロアだ。



「すっごーく汚れちゃった! リリィに洗ってもらいたいな!」



 どこを走って来たのか全身が不気味な黄土色だ。ロアは笑顔で汚れをなすりつけてくる。

 そこで我に返った。臭いが強烈すぎて幻覚を見ていたらしい。

 頬を強く叩く。しっかりしろ、私。

 息を止めて緑のもふもふから距離を取る。

 ムツメミドリはごきげんだ。鼻歌でハミングを刻んでいる。この様子ならヘアカットをしてもらえそうだ。



「もう一匹のムッちゃんは?」



 全部で三匹のはずだが数が合わない。たずねれば寝込んでいるという。

 三匹はどこかの国の食糧対策について語り合っていたらしい。考えすぎて知恵熱が出たようだ。

 雪の森じゃなくて、どこにあるか分からない国を話題にするのがムツメミドリらしい。

 体調不良はいつものことだ。休めば治る。そっとしておこう。



「話し合いの結果はどうなったの? 全員食べ過ぎだから量を控え目にする、か。ロアに伝えたい内容だね」



 ムツメミドリがそわそわと毛先を揺らす。



「それなら言わないよ。食べる量が少なければトイレの回数が減る。ロアになかなか会えないから寂しくなるよね」



 世間話を楽しんだ後、散髪をお願いする。快く了承してくれた。

 それではさっそくヘアカット、というわけにはいかない。

 先にムツメミドリの口内を清掃する。このままでは臭くて、散髪をしながら悪夢の続きが始まる。

 まずは歯や舌に付着した汚れを取るための薬を作る。

 スノーゴーグルと、手袋を三枚重ねた厳重な装備。長方形の化粧箱の蓋を取り、布の包みを解く。

 星屑草が現れた。

 薬の原材料には生の星屑草を使う。未乾燥のものは毒性が強いため扱いには注意を払う。


 適量を取り、専用のまな板に乗せる。

 まな板は土と琥珀ナメクジの粘液を混ぜて固めたものだ。木製のまな板は毒に負けて溶けてしまう。

 星屑草を汁が出るまで細かく刻む。

 刻んだ星屑草に春黄金の粉を混ぜ合わせる。このまま焼けば毒入り薄焼きパンの完成だなと思いつつ、一口大に丸めていく。


 猛毒草団子のできあがり。

 専用の器に盛り付け、磨いたティーカップに香草茶を注げば、ちょっとしたお茶会気分だ。



「ムッちゃん、できたよ」



 二匹を食卓へ案内する。ムツメミドリは星屑草の毒に耐性がある。草団子に体毛を絡め、器用に口へ運ぶ。 

 食後ははみがき。剣山ウミヘビの鱗を流木に刺した特製ブラシでこする。一匹ずつ丁寧に磨けば口腔ケアは完了だ。



「うん、ピカピカでいい感じ」



 六つの目を半月にして舌をぺろりと一回転させる。感謝や嬉しい気持ちを伝えるときの仕草だ。

 椅子から降りると、私の周辺を探るようにして円を描く。これは髪を切る合図。

 さて、どんな感じにしてもらおうかな。



「今日はすこし冒険して、いつもより短くしようかな。よろしくね」



 二匹のピカピカの歯が銀髪を嚙みちぎる。

 希望の長さまで髪の毛を食べてもらう。これが我が家の散髪だ。

 以前は自分で切っていたけど、後頭部にハサミを入れるのはなかなか難しい。長さがちぐはぐで、起きると髪の毛が逆立つのが嫌だった。

 ムツメミドリなら長さをきれいに整えてくれる。唾液が髪に潤いを与え、頭皮マッサージのサービス付き。ときどき当たる前歯がコリをほぐして気持ちいい。

 ヘアカットは三十分ほどで終了した。

 手入れが楽なピクシーカット。表情が明るくなったけど、前髪を短くしすぎたかな。でも、慣れれば気にならないかも。


 ようこそ新しい私。今日からよろしくね。

 ヘアカットのお礼を伝えると、二つの影がぴょこりと跳ねる。

 ムツメミドリは弾力がある。着地の瞬間、全身が楕円形にへこむ。普段はクッションのようだけど、このときだけはゴムボールみたい。

 肌触りが最高の球体がすぐそばで弾んでいる。

 見ているだけで落ち着かない。

 心の奥からじりじりと湧き上がる衝動。

 思いっきり、ハグしたい……!



「ムッちゃん!」



 二匹に腕をまわし抱きしめる。洗いたての寝具に体を預けているみたいだ。

 ムツメミドリは気持ちよさそうにあくびを一つ。このまま休憩したいけど、話し足りない気持ちもある。



「そうだ、ムッちゃんに見てもらいたいものがあるの。新作のアクセサリーだよ」



 アクセサリー作りはちょっとした趣味だ。

 ムツメミドリは着飾るのが大好きだから、趣味の話が合う。

 浜辺のガラクタを加工したアクセサリーをテーブルに並べる。

 石の絵具を使った虹色のリボン、貝殻を加工した海鳴りのイヤリング、雪空を見上げたくなる真っ白なティアラ。

 二匹は何度も試着し、使い心地を確かめている。

 次は一回り大きく作ろうかな。飾りの数をもっと増やせば、緑の体に映えるかもしれない。


 ムツメミドリが私の小指を可愛らしく握る。アクセサリーに合う服を作りたいらしい。

 服か。作るなら毛皮ではなく布が似合いそう。

 保管していた布をいくつか出して石畳に広げる。

 金糸が美しい豪華な布、広大な砂漠を思わせる一枚、バラの模様をあしらったもの、他にもたくさん。どれも保存状態が良い。

 丸い体に布をあてる。フリルのレースはどうだろう。刺繡を入れても映えそうな気がする。まずは忘れないうちに採寸しなくちゃ。


 メジャーを伸ばしたところで一匹が止めに入る。

 そういえば、最近体重が増えたのを気にしていた。急に測るのは失礼だったかもしれない。


 うん、そうじゃなくて?

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