第4話

 ……開花のコントロールはできないんだ。



 調査結果に私はがっかりした。同時に、この結果が悪用される不安が生まれた。 

 白妙の蕾が欲しいのなら私を監禁すればいい。鎖にでも繋いで、死ぬまで墓守をさせれば花には困らない。


 そんなの嫌だ。私はロアと一緒に雪の森の家で暮らすんだ。

 今の生活を壊したくないのなら白妙の蕾が咲く理由は誰も知らないほうがいい。


 希望のない調査結果はすべて処分したはずだった。まさかスケッチが残っているなんて想定外だ。

 とにかく誤魔化そう。食卓では笑顔が一番だ。

 普段より速いペースで食事を終え、食器を片づける。

 明日は午前三時に起きて天候を確認し、自宅へ戻り浜辺へ向かう予定だ。

 棚から毛布とタオルを引っ張り出して執務室の床に敷く。



「よし、寝ようか」

「僕のもふもふの体毛を布団代わりにして良いんだよ?」

「獣臭いから嫌」

「あっさりフラれた!」



 ロアは落ち込む様子は見せず、寝床代わりになりそうな箱を探し始めた。



「三時かあ。僕、起きる自信がないよ。たまにはサボってゆっくりしない?」

「しないよ。安心して、寝ていたらソリで運ぶから」

「重たいから持ち上がらないと思うよ」

「そこは無理にでも起こして、ソリに乗ってもらうから平気」

「ありがとう! リリィは優しいね。ちゃんと連れて行ってくれるんだもん」



 置いてけぼりにするはずがない。ロアは家族だから。

 島に生きる者達が群れる理由が分かる。支え合う気持ちは寒さと戦う糧になるから。



「おやすみなさーい」



 ロアはゴーグルが積まれた箱に潜り込む。しっぽが左右に揺れていたが、すぐに動かなくなった。

 聞こえるのは盛大ないびきだ。寝入りが早くて羨ましい。私も目を閉じるがなかなか眠れず、ついあれこれ考えてしまう。

 今更だけれど午前三時の起床は早すぎる。ロアの言う通り明日はゆっくり起きるのが良いかもしれない。代わりにもの拾いを諦めることになる。それはダメだ。やっぱり早起きしなくちゃ。


 思考がぐるぐると渦を巻く。

 漂着物の回収と記録に執着していると、いつかおばあさまのような狂人になってしまうのかもしれない。

 頭を振り否定する。おばあさまは関係ない。記録係は島暮らしに欠かせないから、一生懸命なだけだ。

 役割がなければ、ただ時間を消費して一日が終わる。島の外ではそういう生活が幸福として扱われるケースがあるが、ここでは例外だ。

 やることがなければ自宅でぼーっと過ごすだけ。食料の減り具合や、雪雲を眺めるだけの毎日が待っている。

 なにかをしていなければ心は荒む。だから役目にこだわる。それだけだ。


 私はおばあさまにはならない。

 布団代わりの毛皮をたぐりよせ、頭までかぶる。

 夜の帳がそっと降りるように、ゆるゆると眠気がやってくる。ようやく眠れそうだ。


 寝付いてからどれくらい経ったのだろう。

 ……人の気配がする。

 部屋の中心、おばあさまがいつも座っている立派な椅子。そこに誰かいる。

 まどろむ視界に映る影。背筋を伸ばし座る姿は上品なのに威圧感がある。

 全身の産毛が逆立つ。

 誰かなんて、あの椅子に座るのは一人しかいない。



「……おばあさま?」



 影がわずかに動き、私は身構えた。



「それで、どうするのか聞かせておくれ」



 紙をくしゃりと丸めたような声が、椅子のすぐそばに佇む影に問いかける。

 小さな影は震えたまま黙りこくる。その手に握られているのは一本のナイフ。小振りだが凶悪な輝きを放っている。

 あれは私だ。数年前、おばあさまと話し合いが行われたときの自分自身。

 夢を見ている、と思った。同時に、こんな夢を見るくらいなら、白妙の蕾の方が何百倍もマシだとも思った。

 夢からは醒めず、淡々と事実が再生される。

 おばあさまは、ふん、と鼻を鳴らした。



「できないならここに連れておいで。私がやってあげるよ」



 このとき過去の私は重大な局面に直面していた。

 雪の森で出会った黒毛狼の子どもを餌付けし、保管庫に住まわせているのがバレたのだ。

 狼の子どもに食べ物をあげたのはほんの出来心からだった。おばあさまはイワカジリと仲良くしているし、これくらい平気だと思った。

 でも違った。

 おばあさまはこの状況を利用して、森への支配力を高めようとしていた。狼の子どもを殺して人間への恐怖心を植え付ける。そうすれば黒毛狼より優位に立てると考えた。


 与えられた選択肢は二つ。

 狼をこの手で殺す。できなければおばあさまが殺す。

 選べるはずがなかった。


 保管庫がおもしろいと気に入ってくれた。たわいのないお喋りが楽しくて、ずっと一緒にいたくなる。辛い日々も狼がいたから耐えられた。

 なにより私を友だちだと言ってくれた。

 手にかけるのはムリだ。しかし、逆らえば死ぬより恐ろしい目に合うだろう。

 納得してもらえる言い分が思い浮かばず、刃を握る手の震えだけが大きくなっていく。



「狼一匹になにをこだわっているんだい。あれは死んで初めて価値が生まれる。生かしておいても意味はないよ」

「意味はあります。友だちなんです。おばあさまだって、イワカジリと友達ですよね。なら、私も……」

「イワカジリは賢いが、黒毛狼はダメだ。殺して価値が上がる生き物なんだよ。狼の肉は脂身が少なく、さっぱりして美味しい。頭だけ森に捨てれば、あのうるさい群れも逆らわなくなるだろうよ。ああ、想像しただけで愉快痛快だ。ほら早く連れておいで!」



 信じられない。

 あの子を食べるの?

 息が耐えるまでいじめ抜いて、皿に盛り付けて夕飯にするの?

 そんなの、絶対に、絶対に、許さない!


 頭に血が昇った。全身が真っ黒な炎で包まれているみたいだ。恨みつらみが、ぐらぐらと煮えたぎり燃えている。

 なぜ、いつも意見を聞いてくれないの。イワカジリと楽しそうにしているくせに、黒毛狼と仲良くするのを禁止するなんて、そんなの不公平だ。

 握られたナイフに怒りが宿る。私は老婆の懐に飛び込んだ。



「ふざけるな!」



 美しい銀の刀身が、老いた腹にめり込んだ。

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