第4話

「羨ましいな、私は世間話なんてしたことないもの。ならどんな生活をしていたのかって? それはちょっと言えないな」



 乱暴者のおばあさまは、月日が経つにつれて問題を起こす回数が減り、あまり怒らなくなった。まなじりは下がり、身のすくむような威圧感が少しだけ和らいだ。

 当時の私はその変化に戸惑い、おかしな薬でも飲んだのではと疑ったものだ。

 こうして話を聞きようやく分かった。イワカジリが寄り添ってくれていたんだ。

 おばあさまはイワカジリを信用し、話に耳を傾けるようになった。争いを望まないイワカジリに影響されて、性格が丸くなったのだろう。



「仲良くしてくれて本当にありがとう。こんなに素敵な友だちができたのに……おばあさまは亡くなってしまった。あなた達へは申し訳ないことをしたと思っている。本当にごめんなさい」



 イワカジリが前足を上げ、こちらの頬に触れた。

 慰めてくれるのか。

 優しさに心が痛む。私は気遣われる立場ではないが、その理由を上手く説明する言葉は見つからない。だから、せめて助けになりたいと思う。

 懐から時計を出す。休憩しすぎてしまった。



「よし、頑張ろう!」



 おばあさまの友だちのために、この争いを治めるんだ。

 気合を入れて足元を一突きすれば、ショベルがはまってしまった。

 力いっぱい引くが抜けない。私の力で取れないなんて、奇妙な刺さり方をしたものだ。

 うーん、困った。そうだ、こんなときは押してみよう。

 取っ手に体重をかければ、ショベルはずぶずぶと沈み足掛け部分まで埋まった。

 透明な底なし沼を掘っているみたい。すべて吞み込まれてしまいそうだ。

 なんて思っていたら、突然足元が抜けた。



「きゃーっ!」



 まるですべり台だ。細長い筒をぬけるようにして、どんどん下降している。

 足で踏ん張り、手を突っ張ってみるがスピードは下がらない。

 どこまで落ちるんだろう。恐怖のあまりロアの名前を呼ぶが声は雪壁に吸い込まれる。

 パニックになりかけたとき雪のトンネルから抜けた。

 勢いはそのまま放り出され、ごろごろとボールのように転がり、ようやく止まった。

 真っ暗だ。何も見えない。

 闇の奥から何かが引きずられる音と、正体不明の気配がゆっくりと近づいてくる。不気味だけど怖くはない。


 指先に硬いものが触れた。輪郭をなぞり、それを確かめる。

 これはランタン、奥にあるのは作業袋だ。

 手探りで作業袋から火種の粉と油を出し火を点ける。ランタンが壊れていなくて良かった。

 明かりによる安心感から、徐々に落ち着きを取り戻す。



「ありがとう。あなただったんだね」



 イワカジリは夜目が効く。闇に視界を奪われた私を助けてくれた。ランタンだけでは火を起こせないのを知っており、作業袋とセットなのが彼らしい。

 体は小さいが状況に合わせた対応力は目覚ましい。アリの群れが森の生存競争に勝ち続けた理由がよく分かる。

 現状を確認するためにランタンを掲げる。足元が茶色だから地上に抜けたようだ。透明な雪壁が陽光を運びきれないほど深い場所に落ちたらしい。

 空洞のようだが天井が低く、かがむのがやっとだ。幅は両手を広げられないくらい狭い。

 壁に指先を添える。見た目は曇り水晶に似ており、冷たくゴツゴツしている。ひび割れのような細い横筋を見つけた。長い年月をかけて氷が育った跡、これは氷の層だ。

 壁は奥へ続いている。上には戻れず、進むしかない。

 数メートル先にショベルを見つけて拾う。少し進むと壁に阻まれた。行き止まりだ。


 イワカジリが耳たぶを小刻みにつつく。促されて光を向けると、どっしりとした塊が照らし出された。レモンイエローのいびつな丘、これが岩塩らしい。

 この色は初めて見た。

 知っているのはライトブルー、エメラルドグリーン、サーモンピンク。探せば他の色もありそうだ。

 岩塩は薄氷の木の根の近くにできる。吸い上げた川の水が地中に染み出し、それが固まり岩塩になる。宝石と見間違えるかのような塊が生まれるから、無名の水流はいつしか玻璃の川と呼ばれるようになった。


 岩塩の内部に根の一部が混じっている。イワカジリの採掘跡を辿り、傷ついた根を探す。

 握りこぶし程の太さの根に、ネズミがかじったような痕がある。岩塩と勘違いをして、本気で噛みついたようだ。

 傷口に半透明のジェルが滲む。これは人間で例えるなら血だ。傷がなかなか治らず、体液が漏れ出している。

 岩塩からむき出しの根を探し、耳を当てる。



「私の声が聞こえる?」



 わずかに水の動く音がした。ケガを治すために意識を集中しているのか、返答が遅い。



「これからあなたのケガを治せるかやってみるね」



 作業袋から桜色の包みを開き、軟膏を出す。

 白い粉に、春黄金の粉末と乾燥させた星屑草を混ぜて作る。ある程度の外傷ならあっという間に治る、とっておきの薬だ。

 付き添いのイワカジリに手伝ってもらい軟膏を塗る。

 人間の指は太く傷口まで届かない。イワカジリなら岩塩の採掘跡から入り込める。

 ケガをさせた張本人の登場に、木は嫌がる素振りを見せた。しかし軟膏を塗るうちに大人しくなり、徐々に受け入れてくれたように思える。

 軟膏の効果はてきめんで、すぐに体液が止まった。痛みが和らいだのか、木の内部を動く水音が活発になる。

 根がくねくねと踊り、嬉しい気持ちを表現する。

 うちの木と同じ反応だ。共通点があるとほっとする。



「数日後には傷口が塞がると思うよ」



 根のダンスが続く。とても喜んでいる。今なら落ち着いて話ができるかもしれない。

 事情を話せば仲直りができると信じて、慎重に言葉を選ぶ。



「今日はあなたと話をしに来たの。この子があなたを間違って噛んでしまったのを後悔していてね、謝りたいんだ」



 イワカジリが根の近くへ移動し、何度もお尻を上げた。これは謝罪のポーズで、繰り返すことで真剣な気持ちを表現する。

 謝っても傷は治らない。それでも謝るしか方法はなく、健気な気持ちが姿勢から伝わる。



 ……それにしても、謝罪が長い。



 群れの存続に関わるトラブルだから必死なのは分かる。しかし頭を下げすぎると相手が萎縮するし、大袈裟すぎて誠実な気持ちが伝わらない可能性もある。

 一度止めたほうがいいかもしれない。

 声をかけるために銀の体に顔を寄せれば、小さな叫びが聞こえた。



 ーー巣を壊すのは止めて。代わりに自分の命を差し出しだすので、それで許して欲しい。

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