第3話

 アリの列を観察するロアの背に手を置く。



「背中の毛を抜かせてね」

「突然なに? ダメだよ」

「なら頭の毛にするね」

「ハゲちゃうよ! 部位の問題じゃなくて、抜くのがダメなんだってば」



 体毛を落とせば縄張りをアピールできる。黒毛狼の毛なら多くの生き物が警戒し近寄らないはずだ。

 事情を話すと、ロアはしっぽの毛を提供してくれた。

 毛は巣から少し離れたところに撒く。近すぎると黒毛狼とイワカジリが親密だと疑われるため、縄張りのパトロールをしているようにみせる。



「リリィの頼みだから仕方ないけどさ、深部をマーキングする黒毛狼なんていないよ。仲間から変態扱いされちゃう」

「平気。ロアなら有り得そうだって納得してもらえるよ」

「むう、そんなことないもん!」



 むくれるロアをかわし、群れのリーダーに声をかける。ここへ来た目的を果たさなくちゃ。

 リーダーは巣穴から数メートル離れた位置にある薄氷の木へ案内してくれた。ここで事件が起きたらしい。

 ことの始まりは、岩塩だ。

 イワカジリは主食の岩塩を雪の下で発見し採掘していたが、作業中に一匹が木の根を誤って噛み、傷つけてしまう。

 木は怒り、根を動かし巣穴を崩そうとした。リーダーはすぐに謝罪して交渉を重ねたが仲直りはできず、私達に助けを求めたそうだ。

 現在、木の怒りは落ち着いている。こちらの出方をうかがっているのだろう。



「薄氷の木は友だちだから、なんとかなるよ。まずは直接話してみるね」

「この辺りの木は変わってるから、話が通じないかもよ」

「話してみないと分からないじゃない」

「僕はリリィが」

「心配なんだよね。ありがとう」



 ロアをぎゅっと抱きしめれば、不貞腐れながらも体を擦り寄せてくる。少しの間そうしていたが、やがて狼は静かに離れた。納得はしていないが協力はしてくれそうだ。

 ここまで案内をしてくれたアリが、おずおずと近づく。

 根をかじったのはこの子らしく、責任を感じているのか元気はない。



「私の肩に乗って。一緒に話しましょう」



 イワカジリは気性が穏やかで迷惑をかけるタイプではない。深部の木は個性的だが、言葉は通じるから話はできる。きっと仲直りできるはずだ。

 幹に耳を当てるが、水の流れる音が弱い。傍らのロアの鼻息が大きすぎるくらいだ。



「おしゃべりはできそう?」

「難しいね。意識が根の近くに移動しているみたい。降りる方法を考えようか」



 木の根は雪の下にあり、地面が見えるまで穴を掘る必要がある。深部は雪深いため、効率良く掘るためにも情報が欲しい。



「岩塩の採取を行っていた穴はどこ?」



 雪下の岩塩まで群れが行き来をしていた通路を目安にすれば、短時間で地上へ行けるかもしれない。

 リーダーは木から数メートル離れた位置で足を止め、小さな穴へ触角を向けた。ここから出入りをしているらしい。

 通路にショベルを入れる許可を取り、少しずつ掘り進める。

 ロアは上に残り、穴が崩れないように踏み固めていく。異変を察知する役割もあるが期待してはいない。きっと目を盗んで遊んでいる。



「リリィ、もう少し広く掘ってよ。縦長だと僕が一緒に入れないもん」

「役割分担をしたでしょう。それに、ロアとぎゅう詰めになる趣味はないよ」

「照れなくても良いんだよ?」

「照れてないから」



 まともに取り合うと作業が進まない。淡々と掘り続ける。

 少し疲れた。そろそろ休もうかな。

 ショベルを軽く突き立て、穴の中で腰を下ろす。作業袋から薄焼きパンを出し、イワカジリと分けて食べる。

 休憩をしながら雪壁を眺める。

 さまざまな硝子雪を見てきたけれど、この雪壁はまさに芸術。ここまで透明な積雪と出会うのは初めてだ。自分の顔だけでなく、雪の内側まで透けて見える。

 最果ての風に吹かれた雪は硝子雪になる。風により不純物が取り除かれ、硝子のように透けるのだ。

 硝子雪は踏まれるのを嫌うため、動物が多く住む森では見られない。荒らされず自然な状態で残る雪なら工芸品のような美しさを保てる。


 澄んだ雪壁に目を凝らせば、岩塩を運搬する道が見える。

 運搬用の出入り口は一つ。通路は入り口からいくつにも分かれ、螺旋を描きながら下る。螺旋は下層に向けて集束しているから出口は一つなのだと思う。

 繊細な通路をショベルで崩す背徳感と、繭に包まれているかのような安心感。ぼうっとしていると、作品の一部として取り込まれてしまいそうだ。


 パンを食べ終え、肩口のイワカジリを見やる。

 二人きりで話したいことがあり、ずっと機会をうかがっていた。

 この深さなら声は雪に吸収されて外に漏れない。会話をロアに聞かれずにすむ。



「今、少しだけ話しても良い?」



 イワカジリは最後のパンの欠片を運ぶ手を止め頷く。



「おばあさまはあなた達と交流があったんだよね。もし良ければ、そのときの様子を教えて欲しいの。私はおばあさまとほとんど喋らなかったから、知りたいんだ」



 おばあさまのことをたずねるのは緊張する。

 穴掘りとは関係のない質問を不審に思われないか心配だったが、アリは前足をこすりつけた。

 良かった。教えてくれるみたいだ。


 耳元で、おばあさまの姿が小話となり蘇る。

 数年前、イワカジリは住処をおばあさまに見つけられ、島の中央にある大山にさらわれた。おばあさまを讃える石像を作れと命じられたらしい。

 イワカジリが嫌だと断ると、おばあさまは激怒。おばあさまはハンマーをふりまわし山を壊す勢いで暴れたため、群れは命の危険を感じ山肌にトンネルを作り逃亡した。



「断るなんて、勇気があるね。……うん、なるほど。命令されるのが嫌だったのか。お願いされたら作ろうと思ったんだね」



 おばあさまは三日三晩の猛攻を続け、最後に笑ったそうだ。

 ーーああ、いい運動になった。弱っちいのにしっかり逃げ切るなんてすごいじゃないか! 気に入ったよ!

 そこから互いの距離が縮まり、少しづつ世間話やお茶会をするようになったそうだ。

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