第五章 真っ黒の虹

第1話

 その日はいつもと変わらない一日になるはずだった。



「やだやだやだっ! 昼ごはんもヤツの足だなんて嫌だよ」

「たくさんあるんだもん。まだ三日連続でしょ、文句を言うのは早いよ」

「そんなあ。食べ飽きた薄焼きパンが恋しいよう」



 定番メニューに不満があるから変更したのに、うちの狼は相変わらずワガママだ。

 八本足の触手は食糧庫に保存されているがスペースを圧迫しており、場所を空けるには食べるしかない。というわけで、煮付け、スープ、串焼きなど、あらゆる調理方法で消費中だ。


 触手と薄焼きパンをバランス良く出せば文句は言われないが、同じメニューを出し続けるのが、私達の親しみを込めたコミュニケーションだから。



「ヤツばっかり食べているから、体が生臭くなってきたような気がするよ」

「気のせいでしょう。今日もしっかり獣臭いよ」

「それに、ぶつぶつが出てきたし」

「えっ? ちょっと見せて」



 慌てて黒い体毛をかきわける。

 人間と狼の内臓は同じではないし、かかりやすい病も異なる。奇妙な病気になると治療はできないため、諦めるしかない。

 黒毛狼にぶつぶつが出る病気は聞いたことがない。おもしろがって毎食同じものを出すんじゃなかった。

 焦っていると、ロアは元気そうに鼻を鳴らした。



「なーんてね。ウソだよ。ぶつぶつの正体はコレでーす」



 体毛の奥からなにかが顔を出す。アリの一種イワカジリだ。浜辺から帰る途中に、知らない間に体毛にくっついてきたらしい。

 体長は一センチほど、灰銀の体に二つの触角と六つの足を持ち、強靭なあごで大岩に穴を開けて巣を作る。体が小さく敵が多いので身を守るため巣に籠り暮らしており、こうして見かけるのはまれだ。

 わざわざ会いに来るなんて、なにかあるのかな。

 小さな来客の対応をしたいけれど、その前に。



「ロアったら妙なウソをつかないでよ。病気かと思ったじゃない」

「リリィがいけないんだよ。毎日触手を出すから」



 それは私が悪い。ロアの嫌がる反応が可愛らしく、わざと毎食同じものを出していた。質の悪いいたずらを仕掛けたから罰が当たったんだ。



「おもしろがって同じものばかり出したのは反省する。言い訳はしないよ。本当にごめんなさい」

「ひえっ。食事の文句に対してリリィが素直に謝るなんて。恐ろしや、うらめしやだよ」

「やっぱりお昼は触手のムニエルにするね」

「わあん。そんなこと言わないで!」



 ウソ泣きを始める狼を放置して、イワカジリを体毛の中から床に降ろしてやる。



「我が家へようこそ。なにかあったのかな?」



 イワカジリは触角をこすり合わせ話し始めた。どうやら、イワカジリと薄氷の木の間で揉め事が起きているらしい。私は薄氷の木と仲良しなため、ケンカの仲裁をしてもらえないか相談に来たと言う。

 雪の森での立場上、直接相談を受けるのはとても珍しい。

 勇気を出してわざわざ来てくれたんだ。断る理由はない。力になろうじゃないか。



「イワカジリを助けに行くよ。ロア、外出の準備をして」

「また揉め事に首を突っ込むの? どうなっても知らないよ」

「平気。今回も上手くやるもの」

「こりないなあ」



 森は争いが絶えない。縄張りを巡る対立、仲間割れ、食べ物の奪い合い。環境が過酷なので、みんな気持ちに余裕がないのだと思う。

 私達は表向きには基本的に争いに介入しない、ということにしている。


 ややこしくなるからだ。


 白妙の蕾を咲かせる人間と凶暴な黒毛狼のペア。本気を出せば森を支配下に置けるため、誰かの味方につけば勢力図に異変が起こる。だからと言って、困っている者を見捨てるのは冷たい。


 なら、周りにバレないようにこっそり仲裁すればいい。

 勢力図とか他の生き物との関係とか難しいことはごちゃごちゃ考えず、困っているなら手を貸す、それだけのことだ。



「なんでもかんでも首を突っ込んでいたら、キリがないよ」

「ロアの言いたいことは分かるけど、私達で助けられるなら手を貸したい。それに、おばあさまからイワカジリを見捨ててはいけないと言われているの。恩があるからって」

「おばあさまって、あの?」

「そう。あのおばあさまだよ」



 おばあさまは私の師匠。浜辺で震えていた私を保護し、島の歩き方や生態系、漂着物の扱い方など、生きる術を教えてくれた。

 島の不思議な生態系の調査に情熱を注ぐ、秀才で、貪欲で、とてもとても怖い人だ。


 おばあさまは森の支配者だった。その腕っぷしは凄まじく、黒毛狼の群れを素手で壊滅させる強さがあった。好戦的で話し合いが難しいおばあさまと、対等に渡り合えたのがイワカジリだ。

 イワカジリは小さいけれど意志が強くて賢く、おばあさまの良き理解者だったと思う。



「あのおばあさまとお茶会ができる仲だったんだよ。イワカジリは気配り上手なんだね」

「女子力が高いんだね。リリィも見習らわないと」

「そんな言葉どこで覚えたの」

「ちょっと前。森で知り合いの狼に会ったときに教えてもらったんだ」



 狼の女子力ってなんだ。



「女子力って、巣穴をきれいに整えたり仲間と仲良くしたりすること?」

「うーん。色々あるけど、流行りのメイクを楽しんだり、アフタヌーンティーをすることかな」



 なにそれ、すごく気になる。

 いますぐ黒毛狼の群れを調べたいが、今はイワカジリが優先だ。

 ロアに詳しく話を聞きたい気持ちを抑え、作業袋に必要な道具を詰める。薄焼きパンと触手のぶつ切りを押し込むと、あっという間にぱんぱんになった。



「食べ物ばかりだね」

「昼食とイワカジリへのお土産だよ」



 イワカジリはなんでも食べるが特に岩塩を好む。触手のぶつ切りはしょっぱいから、気に入るはずだ。



「お昼ご飯は、ぬめぬめ足のムニエルかあ……」

「私達は薄焼きパンだよ。外でムニエルは作れないでしょう」

「やったあ。薄焼きパンがようやく食べれる」

「はいはい」



 準備が整ったら出発。と、言いたいところだけど。



「家の周辺に監視はある?」

「あるよ。鳥が五羽、兎が三匹……」

「全部で?」

「三十六。多すぎてドキドキするね」



 家を出るなら、普段通りの外出を装わなければならない。イワカジリの同伴が森に知れ渡れば、同盟を組んだと勘違いされて森から反感を買う。

 イワカジリを運ぶ方法を考えなきゃ。

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