第4話

 反対と賛成の声があがった。



 ーー赤い宝石を食べるなんてとんでもない。あんなに温厚で、優しい生き物を殺めるのは可哀想じゃないか。

 ーー今は非常時だ。赤い宝石を獲るのは魚を釣るのとなんら変わりない。目の前に食べ物が泳いでいるのに、それを見逃すなんて正気じゃない。



 船には子どもや妊婦もおり、このままでは弱い者から全員飢えて死ぬ。

 数百人の命か一匹の命か、乗客は決断し銛を掴んだ。

 赤い宝石は最後まで人間を疑う様子はなく、船に引き上げられ食料となった。

 数週間後、船は幸運にも島に漂着し、乗客は全員救助された。



「ヤツが船を襲うようになったきっかけだよ。赤い宝石には子どもがいて、親が船に襲われているのを間近で見ていたの。親を殺した船は全て敵。船の破片に執着するのは、徹底的に沈めて恨みを晴らそうとしているのかもね」



 ロアは紙面をじっと見つめている。



「船とヤツの話、どうだった?」

「うーん、よく分からない。この話を知っていると、ヤツを倒したくなくなるの?」

「倒したい気持ちは簡単に変わらないよ。でも、私達への仕返しが目的になれば、船への興味が薄れるでしょう。その間に他の生き方が見つかって沈めなくなるかもしれない」

「そんなに都合よくいかないよ」

「そうだね。でも可能性はゼロじゃない」



 追い返すだけでは考えが甘いのは分かっている。

 八本足の怒りは治まらず浜辺に現れる回数が増えたら困るし、浜辺が縄張りにされたら命がけの戦いを繰り広げなければならない。


 でも、生き方は一瞬で変わることがあるから。


 悩んでいた私が自分を売って暮らしが変わったように、八本足もふとしたきっかけで船への興味を失くすかもしれない。

 八本足の心の傷を癒すことはできないけれど、怒りを受ける対象にはなれる。私達を恨んでいる間に、襲わないきっかけが見つかれば良いと思う。



「ええとつまり、リリィは優しくて怪力で、同じ食事を出すドSでもあり、仕返しを受け入れるドMでもあるってこと?」

「なんでそうなるの」

「僕はドMは好きじゃないから、次にヤツと出会ったらやっつけちゃうと思うな。だって、赤い宝石の子ども、イコールヤツとは限らない。別の話かもしれないでしょ」

「そうか。そういう考え方もあるね」



 赤い宝石と八本足は無関係で別の生き物の記録なのかもしれないし、私が資料を読み間違えており実は他の真実が記載されている可能性もある。

 はっきりしているのは、八本足は船を襲い、船のパーツを探して最果てに来ることだけ。

 なにを信じるのかは個人の自由だから、私達の考えはどちらも正しい。ロアが八本足を殺したら、私は落ち込みながらも彼と暮らす。それが答えだ。 

 人間と黒毛狼の考え方は違うと知ったうえで、同じ時間を共有している。そこに後悔はない。


 本と用紙を元の位置に戻す。

 少し早いが昼食にしよう。たくさん動いて喋ったから、お腹が空いた。

 予備の防寒着に袖を通し手袋とゴーグルを装着すると、調理場から大振りの石包丁を取る。



「そんな格好をしてどうしたの? もしかしてストレス発散?」

「食材の調達。ロアは待っていて、すぐに戻るから」



 表へ出た。触手の表面が凍り、食べ頃になっている。

 包丁を振り降ろすと、乾いた砂を切るような感触が楽しい。運べる大きさにぶつ切りにして室内へ持ち込む。



「この臭いは……。まさか、ヤツを食べるの? ないない、ないよ。ゲテモノ食いだよ」

「そう? けっこう美味しいらしいよ」



 先ほどの資料には赤い宝石のレシピも記載されている。船客の命を救った料理を、新鮮なうちに食べてみたい。

 石のナイフで固まりを薄くスライスし、最初は生で皿に並べてそのままいただく。



「リリィ、これはいったい……」

「切り身だよ」

「見れば分かるよ!」



 ロアは不満そうに吠え、手を出さない。見た目は悪くないのに拒否するのはもったいない。



「ミネラルと脂質がたっぷり含まれているらしいよ。もちろん毒はなし。資料の内容が正しければだけどね」

「そんなの信じられないよ。お腹を壊しても知らないからね!」



 食あたりに苦しんでも最果てに医者はおらず、自力で治すしかない。

 食べるのは止めたほうが良い? いや、でも……。

 口にすれば死ぬかもしれないと言われても、死なない確率に賭けて、食感や味を記録したくなる。

 湧き上がる好奇心との折り合いがつかず、スライスの前で自問自答する。

 そうだ、一口だけにしよう。根拠はないけど、ちょっとだけなら平気なはずだ。

 異変を感じたらすぐに吐いてモグモグ石を砕いて入れた香草茶を飲んで解毒、治らなければとっておきの白い粉を服用しよう。


 いくぞ。私は食べる!


 先端の曲がったフォークで、乳白色の切れ端をそっと持ち上げる。

 パールのような光沢と、とろみのある不気味な柔らかさが特徴的だ。

 勇気を出して一口噛めば、皮の弾力とシャーベットに似た食感が楽しい。かぐわしい潮の香りと塩辛さがクセになる。

 これはいくらでも食べられそう。フォークが止まらず、あっという間に最後の一切れになった。


 はっとして手を止める。


 誘惑に負け、たくさん食べてしまった。

 食中毒になるのは怖い。いや、ここまできたら後はいくら食べても同じ、思いきって平らげよう。

 フォークで突こうとしたら、ロアに皿を奪われ失敗した。欲しくなったらしい。



「ゲテモノ食いは嫌だって言っていたよね」

「そうだっけ? 忘れちゃった」

「まったく調子が良いんだから」



 調理場に戻り、塊をスライスして皿に追加すれば、ロアはぺろりと平らげた。



「つるっと食べられるね。変なものは入ってなさそうだけど、口の中がねばねばするよ」

「嚙めば嚙むほどぬめりが出るね。なんだろう、体液とか?」

「うわあ、嫌なことを言うね」



 次は焼き物のレシピ、八本足のステーキを作る。

 触手を厚めに切り、歪んだフライパンで熱を通す。味付けのハーブソルトは島にはないので、香草茶の粉末と白い粉を混ぜたもので代用する。これならお腹を壊しても安心だ。仕上げに拾い物の葡萄酒で臭みを消し、盛り付ける。


 一口含めば、脂身の多い肉を食べたような甘みがある。熟れた果実に似た柔らかさが心地良いが、噛み切れないのでずっと口の中に残る。あごを鍛えるつもりで咀嚼し、胃へ送り込む。



「ううん、これはあれだ、結構前に食べた粘土みたいなやつ。歯にくっついて、とってもスース―した食べ物に似ているね」

「ガムだね」

「そうそう。このガムは噛み応えがあって最高だね!」



 ガムじゃなくてステーキだとツッコミを入れようとして止めた。ロアが気に入っているなら、まあいいか。

 レシピはまだまだあり、再現が難しいものが多いけれど、少しの間食事のメニューには困らなさそうだ。



「ねえリリィ、思ったんだけど。ヤツが船を沈めるのは、捕まって食べられちゃうからじゃない? だってこんなに美味しいんだもの」

「うん、本当に美味しい。私が漁師なら狙って捕まえたくなるかも」

「でしょでしょ!」



 生でも良し、焼いても良し、味は最高。そんな海産物があれば人間が欲しがりそうだ。八本足が水揚げされるのを恐れて船を沈めているなら、一連の行いと辻褄が合う。


 船が嫌いだから襲う。


 本にあるようなドラマチックな理由ではなく、動機はいたってシンプルなのかもしれない。

 真実って意外と複雑ではなかったりするから。

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