第4話
現れたのは一匹の虫だ。
親指ほどの大きさで、乳白色の豊かな毛に覆われている。足と思われる節が八つ、ビー玉のような双眸に米粒ほどの鼻、ストローに似た口らしき器官がある。
背中にはバラのトゲに似たものが無数に生え、蝶の羽をかたどっている。羽は見る角度により移ろう極彩であり、この世の色を集めて濃縮したようなきらびやかさがある。
なんて神々しいのだろう。初めての美しさにうっとりする。
眺めるだけで日頃の疲れが癒され、石畳の足跡拭きや、食べっぱなしの食器を片付けるストレスが和らぐ。
明日もめげずにロアと暮らせそうだ。
「ありがとう。あなたが来てくれて本当に良かった……」
人間からの突然の礼に戸惑ったのか、小さな虫はこちらから少し距離を置く。
意味不明な言動で困惑させてしまった。
「怖がらせてごめんなさい。あなたがきれいだったから、つい……」
それは羽を震わせ、キィキィと高く鳴く。リズムと声の高さから、意思を伝えようとしているようだ。
耳を澄まし、単語をつなぎ合わせ、解読する。
「……うん、ここは最果て島の雪の森だよ。……私達のこと? 私は人間のリリィ、寝ているのは黒毛狼のロア。襲ったりはしないから、安心してね」
ずっと待ち続けたおかげで私達は危険ではないと判断したのか、少しずつ素性を教えてくれる。
この生き物は糸職人で、口から糸を吐き、足で束ねて紡ぐ。色や形は自由自在、鞄の中の毛糸やぬいぐるみはすべて自作だ。
数字の「七十七」は作品のサインと年齢を兼ねる。数が小さいほど高齢で多いほど若く、目の前にいるのは群れの中では末っ子らしい。
霧深い谷で仲間と暮らしていたが人間に会ってから記憶がなく、なぜここにいるのかと不思議そうだ。
きっと鮮やかな糸を紡ぐ技術に価値を見いだされ、その人物に捕まったんだろう。
でも、正直に話していいのかな。
七十七へ人間の仕業だと伝えたら、同じ種族である私は真っ先に疑われる。せっかく出てきてくれたのに仲良くなる前に嫌われてしまうのは辛い。だからと言ってウソをつくのは心苦しく、話を上手く逸らせないか考える。
迷う私の前で、羽が鋭く真白に輝く。無垢な探求心を帯びた光は、事実を知りたがっている。
誤魔化すのは簡単だけれど誠実ではない。私だって大切なことを隠されたら嫌な気持ちになるし、真実を知っていたら、ほかの選択肢があったのにと相手を責めるかもしれない。
秘密は時として相手を守り、気持ちを裏切る。直感だが、今は口を閉じても上手くいかない気がした。
仕方ない。覚悟を決めて口を開く。
「たぶん、その人間に捕まったの。あなたと作品を売るつもりで密輸をしたけど、船が沈没して失敗したんだよ。想像だけど、的外れではないと思う」
人間の都合で鞄に閉じ込められ仲間から引き離されたなんて、怒られそうな展開だが、七十七は静かに宙を漂うのみ。
突拍子のない話に困惑しているのかもしれない。
「突然言われても困るよね。でも島の外ではよくあることなんだよ」
信憑性を高めるために衣服を緩め右肩を出す。肩から胸の辺りにかけて残るみみず腫れのような痕は、人買いからロープできつく縛られた名残だ。
痛かったが、船旅の先に自由があると信じ、歯を食いしばり耐えた。
「窮屈な国から脱出するために、悪い商人にタダ同然で買ってもらったの。縛られて木箱に詰められたけど、乗った船がダメだったんだ」
傷痕をさすり衣服を直す。右肩はあのときの痛みを忘れず、不定期にうずく。
決死の覚悟で脱出した国から追手はなく、白妙の蕾に思うところはあるが、それなりに自由な生活を送れている。そういう意味ではハッピーエンドなのだと思う。
人間は勝手だ。市場へ流す者も、望んで買われた私も、欲求を満たすためにどんな手も使う。この子はそんな人間の行いに巻き込まれた被害者だ。
「暗い鞄の中から出られたと思ったら、あなたを捕まえた同じ種族がいる。不安だし怖いよね。信用できないと思うけど、もしも手伝えることがあるなら、なんでもするから言ってね」
七十七はその場でくるりと一回転し、鱗粉を散らす。それは細雪のように儚く、虹色にきらめいた。
繊細な声に耳を傾ける。
ーー鱗粉による信頼の証を立てたうえでお願いがある。霧の谷へ戻る方法を探して欲しい。私は故郷に帰りたい。
「……そうか。そうなんだね」
なんて強いんだろう。
初対面の得体の知れない人間を信じ、置かれた環境に立ち向かうのはとても勇気がいる。
逆境に立ち向かう意思は島に流れ着いたばかりの私にはなく、木箱の中で怯えて右も左も分からずただ凍えていた。なんとか生き延びることができたのは、偶然にも差し伸べられた手があったからだ。
支えられる温かさと心強さを知っている。ロアや
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第4話までご覧下さり、ありがとうございます!
次の更新で一区切りとなり、新しい章に入ります。
よろしくお願いします。
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