第4話
ベッドサイドにある机の引き出しを開けてノートを出し、おじさんの特徴、回収した供え物、遭難しかけたことなど、できるだけ細かく書き留める。
「ねぇねぇ、キャンディーは?」
すっかり忘れていた。飴玉を一粒投げてやれば、ロアは飛び上がり喜んだ。
「とーっても美味しい。リリィも食べてみて」
「そうしようかな。毒は入ってなさそうだし」
「ええ、ひどい。僕、毒見だったの?」
「冗談だよ」
紅色を含めば異国の味が口いっぱいに広がった。ほのかに甘く瑞々しい。
なにから作られたんだろう。深紅の花から採取した蜜や、陽光をたっぷり浴びた果実かもしれない。
ほっとする味は、おじさんの人柄を表しているみたいだ。この飴のように朗らかで、みんなに愛されていたのだと思う。
脳裏に浮かぶのは絵に描いたような家族だ。笑顔のおじさんの隣に立つ優しい妻、子どもと友人に囲まれ笑い声が響く。イメージを忘れないうちに短い鉛筆を動かす。
「ねぇ、お昼ご飯は? これは舌の上で溶けて消えちゃう。お腹が膨らまないよ」
「すぐ用意するね」
朝の残りの薄焼きパンを出せば、これで八回連続で同じ食事だと吠えられた。最高記録は十九回だから、それに比べればマシだ。
森では手に入る食材が限られるので、毎日同じものを口にするのは珍しくない。大事なのは味より質で、寒さで倒れないための栄養摂取が優先されるが、相棒の意見は無視できない。ロアがいるから安全に暮らせるし笑顔になれる。
「分かった。今夜は特別に兎肉でスープを作ろうか」
「えっ、リリィが肉料理を出すなんて珍しい。どうしたの? 熱でもある?」
「じゃあ薄焼きパンで」
「肉、肉でお願い。リリィ、僕の話を聞いてよ。ねえってば」
終わらない不満を耳にしながらノートを片付ければ、あとは自由時間だ。
やりたいことは色々あるけど、まずは鏡を磨こう。悪夢から救ってくれたお礼の気持ちを込めながら、きれいにする。
数カ月前に拾った鏡は、最初は置物だった。今では寝起きの惑いをはらうお守りになっている。
鏡の中に立つほっそりとした四肢を眺めて安心と不安を得る。足先まではっきりと映っているのに、この少女は自分なのか疑ってしまう。
懐疑心で胸の奥が重くなると安心する。
心がまだら模様になるうちは、魂は肉体にあると信じられるような気がするから。
「その鏡は必要なの? たまに変な顔で覗き込んでいるよね」
ロアの指摘に、今朝の変顔を思い出す。
「まさか寝たふりをして見ていたの?」
「寝たふりってなに? 部屋の掃除をしながらたまに見てるよね。それ以外になにかあるの?」
「ないない、ないよ」
「ふーん。怪しいなあ」
ロアは鏡を覗き込み、すぐに離れた。
「鏡の前に立つと、リリィはお化けみたいになるんだ。すうーっと消えそうな顔になるんだよ」
「お化けになったら祟るかもよ」
「同じメニューが続く呪いをかけるんでしょ。そうはいかないよ!」
本気で怯えるロアを前に、私は両手を胸の前で垂らし、お化けのポーズを取る。
「来る日も来る日も、薄焼きパンと香草茶だけ……」
「こ、怖いっ。悪夢だ……!」
呪いをかけて同じ献立が続けば、死んだ後も私のことを思い出してくれるだろうか。
呪いがなければただの遺体だ。ロアは悲しむが、いずれ群れへ帰り人間と暮らした日々を忘れてしまう。
悪い考えがよぎる。
もしも遺体に
そう思わせてしまう
「本当に呪いがあるのなら、私は一生眠らない呪いを自分にかけると思う。……今朝、とても怖い夢を見たの。青空の下、
震える唇でなんとか言葉を紡ぐ。ロアは目を丸くしたが、すぐにうっとりとした。
「なら僕には、その夢が毎晩見れる呪いをかけてよ」
「言うと思った。私は目が覚めたとき、ここは
おじさんの冥福を祈りながら、咲く花を疎ましく思う。
死体から咲く花は気味が悪い。手を介して死者がつきまとっているみたいだ。
「なら埋めるのを止めたら? 辛そうだもん」
埋めるのを止めたら棺は放置されて亡くなった人が可哀想だし、みんなが求める花がなくなれば森はきっと混乱する。私は恨まれ、ロアも酷い目に遭うかもしれない。
そんなの耐えられない。
「ムリだよ」
「もしかして止めた後を気にしているの? 平気だよ。島のみんなが怒ってリリィを仲間外れにするだろうけど、僕はずっと傍にいるよ。リリィが死んでお化けになっても、ここが花の中のウソっこの世界でも、僕はリリィがだーいすきだから!」
狼が全力で尾を左右に揺らす。
そんなの言われなくても知っている。私も同じだ。食事に文句ばかりでも、手を甘噛みされてもロアが好き。笑い合い、ケンカから仲直りをする、そんなパートナーがいる今が大切なんだ。
ならそれで良いじゃないかと今更ながら気づく。
生きていても死んでいても、ロアが近くにいるのなら退屈しない。変わった狼は、なにがあっても無条件で傍にいてくれる。
「ありがとう、ロア。私もあなたが好きだよ」
ぱりん。
鏡面は思いのほか薄く、握りこぶしで軽くノックしただけなのに稲妻のようなヒビが入る。
これで鏡は使えない。
「リリィの怪力グーパンチ。もしかして鏡に八つ当たり? 僕、なにか気に障ること言ったかな」
「手がたまたま当たっただけだよ」
「いや、そんなことはないでしょ」
鏡が割れたのに握りこぶしには傷一つない。皮膚が切れていれば、怪力なんて言われずにちょっとは心配されたはずだ。
「それでも、もっと他にあるじゃない。ケガしてない? 大丈夫? とか」
「それはないでしょ。僕は鏡に同情するよ。リリィのグーパンはかなり痛いから、トラウマになるよ」
「なにそれ、ひどい」
悪夢が笑い声に塗り替えられていく。
あの夢は感情をかき混ぜる天才だ。今度、同じ花畑に行くことがあったらピクニックがてら全力で遊ぼう。夢がびっくりして逃げてしまうくらい、はしゃぐんだ。
「ロアには助けられてばかりだね」
「よく分からないけど、どういたしまして。もっと褒めてくれても良いんだよ?」
「すぐ調子に乗るんだから」
その日の夜はよく眠れた。
白妙の蕾は夢に現れなかった。
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第4話を最後まで目を通してくださり、ありがとうございます。
キャンディなら「小梅」が好きです。
甘酸っぱくて、口の中がきゅっとするのがお気に入りです。
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