第3話 雪の森の人気者?
墓地は
純白の幹に囲まれた広場はとても静かだ。ときどき雲間から太陽が顔を出し、吹き溜まりを照らす。
窪地には三十二の盛り土があり、すべて一輪の花が咲いている。
埋葬場所は花のないところを選び掘る。穴に棺を納めると蓋を開け、死者への供え物を探す。モグモグ石は自然に還るが、人工物は島の生態系に影響があるため取り除く。
例えばお酒。
ある日突然、数本の
幹がくねくね奇妙にしなる、世にもおかしな木々のダンス。
よく曲がる部分は人間で例えるなら腰だ。ワルツやサンバ、タンゴまで、踊り方に個性がありおもしろい。
見続けていると船酔いの症状が表れた。これはまずいと酒瓶を撤去したが、いくつかの木は名残惜しそうに枝を垂らした。
木なのにアルコールが好きだなんて驚きだ。飲むなら私が大人になってから一緒に楽しみたい。それまで待ってもらおう。
ではなくて、アルコールはダメなんだってば。
雪の森が飲んだくれの森になるのは落ち着かない。
供え物を味わいたい木々と、あげたくない私。地味な駆け引きはいまだに続いている。
おじさん、棺を物色してごめんなさい。森の平和のために許してね。
「リリィ、なにかあるよ」
鼻先を突っ込んでいたロアがガラス瓶を放り出す。瓶の側面にはキャンディーと記されている。
「キャンディーって、あのキャンディー?」
「そうだね。家で食べようか」
「やったあ」
使えそうな品はもらう。資源の少ない島で生きるための知恵だ。
棺の蓋を閉めて土をかけ、ひざを折りまぶたを閉じる。
おじさんの魂が安らかでありますように。
「これで新しい花が咲くね。
誇らしげなロアに対し、眉をひそめる。
「私は
腹の底がきゅっとつねられた感覚に襲われる。
人間は花の肥料だと言われているようで嫌だ。
埋葬は死者のために行う。
眠る姿に声をかけ、棺に入れられた日用品から人となりを想像する。相手を知ろうとする過程の中で、心を通わせられる気がするのだ。
亡くなった人は喋らないが、祈りを通じて話すことはできる。
家族や友人と離れ離れになり、寂しさを感じるときもあると思う。大したことはできないけれどお墓は大切に守るから。どうか、ゆっくり休んでください……。
最果てが少しでも楽園に近づけるように、私は今日も土をかける。
そんな努力を
「でもさ、埋めるのと
「そんなことない。私はごく普通の人間だよ」
「さっきから否定してばっかりだねえ」
「本当のこと言っているだけだよ」
私の発言は全部ウソで、嬉しい意味での人気者なら良かったのに。
私は森の生き物達から常に監視されている。
みんな、
本当は私を脅して開花方法を聞き出したいが、ロアの存在が邪魔だ。下手に手を出し私が死ねば、花は二度と手に入らない。だからつきまといコツを探している。
この状況に慣れてきたが、ずっと視線を感じるのは辛い。ロアとの世間話や、ちょっとした失敗も森中に筒抜けだ。恥ずかしくて息苦しさを感じる。
プライベートが欲しいなら花を咲かせなければいい。けれど、襲われやすくなるだろう。利用価値のない人間は狩りをしやすい獲物でしかない。ロアはいるが不意をつかれればお終いだ。
本当は花を咲かせたくない。でも、花のおかげで身の安全が保障されているから、なりふり構わず否定できない。
花と共に生きるしかないジレンマに、ずっと悩まされている。
「もしかして、
ロアが機嫌をうかがうようにして顔を覗き込む。
みんなが望むものを、私だけが受け入れられないのはなぜか。
素朴な問いかけが含まれた瞳に、自分の姿が映り込む。
眉は下がり唇は固く結ばれている。
島暮らしを楽しむ顔じゃない。私はそっと目を逸らした。
そんな不満を、死者を弔う習慣のないロアに伝えても理解してもらえない。同居を始めたときから分かっていたことだ。
理由は伝えずシンプルに結論だけを口にする。
「苦手かな」
「そっか。ごめんね」
会話が途切れた。
ふいにため息が出る。ロアに気を遣わせた申し訳なさと、花の話題から逸れた安堵が入り混じる。
少し疲れた。うちに帰って休もう。
「空が荒れる前に戻ろうか」
足元の影が薄い。灰色の雲が横切り、夕暮れ前のような心細さがある。
懐から時計を出す。
墓地から自宅への帰り道は危険が多い。吹雪によるホワイトアウト、遭難や低体温症により命を落とすかもしれない。転倒や滑落にも要注意だ。
歩きなれた森は庭みたいなものだが、優しくはない。
私達は安全なルートを確保しながら急ぐ。先頭はロアに任せ、危ない場所を避けてもらう。その後を追えば安全に進める。
雪が降り始めた。スノーゴーグルを装着し、天候の悪化に備える。
幹の間を縫うようにして進むうちに、狼の背中がだんだん遠ざかる。呼吸が乱れて走るペースがつかめない。慣れているはずの森が見知らぬ土地のようだ。
きっと朝方見た夢のせい。あんなにきれいな世界に放り出されたら、現実との差が大きくて混乱する。
島の外では花畑や青空は当たり前なんだろうか。暖かく穏やかな気候と、豊富な食べ物、寒さに怯えない幸せな暮らし。悪くないがちょっぴり刺激が欲しくなる。そうだ、ロアを連れて行こう。好奇心旺盛で自由気ままな彼が一緒なら、楽しく過ごせるはずだ。
「リリィ!」
頬に衝撃が走った。数秒後、尾に張られたのだと気づく。
いつの間にか転んでいたらしい。起き上がりショベルと作業袋を拾う間、ロアは足踏みを繰り返す。
「大丈夫? 寝ちゃダメだよ。もしも死んじゃったら、僕は……」
「平気、そんなに不安にならないの。ちょっと転んだだけだよ。さあ、行こう」
雪の降り方は強くなり、一粒は大きく、落ちる数が増えていく。あっという間に風が加わり吹雪となった。防寒着が白く染まり、雪だるまになりそうな勢いだ。あまりの視界の悪さに、狼の尾を握りはぐれるのを防ぐ。
ロアは移動速度を落とし、前方を確認しながら確実に前へ進む。黒毛狼はこんな状況下でも焦らない。寒さに強く五感に優れ、体力も人間とは桁違いだ。
そんな狼が羨ましくなるくらいには、私は限界が近い。足先が冷えて鋭く痛み、手に力が上手く入らない。スノーゴーグルの雪をなんとか払い、目を凝らす。
自宅が見つからない。
このまま死ぬのは嫌。早く帰って、朝食で使った食器を洗い、薪ストーブの前で読みかけの本を開きたい。代り映えのない毎日を想像しながらまだ生きていたいと思うんだ。
けぶる視界の中に、夕焼けを思わせる明かりを発見した。アカリキノコの発光だ。雪が降ると発光するため、目印になればと自宅周辺で繁殖させた。
助かった。
薪ストーブとランタンに火を点ける。
扉の隙間から冷気が入り、風がこれでもかと窓を叩く。天候が荒れると、朝方までほぼ回復は望めない。家で大人しくするのが賢明だ。
着替えを済ませて香草茶を淹れる。一気に飲み干せば胃が火照り、じんわり体温が上昇する。とろけるような暖かさに、体の内側に熱を閉じ込めておけたらいいのにと思う。
上着を羽織り、イスの上に両足を乗せ膝を抱える。薪のはじける音が心地良く、眠気を誘う。
眠るにはまだ早い。記録をつけないと。
花惑う少女は幻想スローライフの物語を紡ぐ 星 @hosihitotubu
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