第2話
扉の向こうに広がるのは雪の森、
夜明け前の森はひっそりとしている。聞こえるのは私とロアの息遣いだけ。神妙な静けさが冒険の始まりを後押しする。
自宅へ手を軽く振る。
「気をつけて行ってきます」
「いってらっしゃーい!」
「ロアも一緒に行くんだよ」
「そうだね。じゃあ、行ってきますの行ってらっしゃいだね」
「はいはい」
私には記録係として、島の何気ない日常や発見をノートに書き留める役割がある。朝は東の浜辺へ行き、漂着物を拾い集めるのが日課だ。島には世界中からものが集まるため、なにが見つかるのか楽しみでもある。
最果て島はその名前の通り世界の果てにある。この世を巡る風や海流が最後に訪れる、あらゆるものの終着点だ。
終着点に流れ着くものにはドラマがある。新しい発見に胸が高鳴り、特別な過去や大切にされた
拾い物から始まる物語があり、それを記録としてノートに記す。今日はどんな物語に出会えるのか、考えるだけで浜辺に着くのが待ち遠しい。
「リリィ、早く早く」
「転ばないようにね」
雪上に刻まれた楕円の肉球は、リズミカルな音符みたいだ。
狼の足取りは軽い。軽すぎて転びそうだと思った矢先、盛大に足を滑らせた。危なっかしいのはロアの良いところだ。一緒にいるとかじかむ心が温まり元気になる。
狼の鼻歌を先頭に東へ進む。
二十分ほど歩き森を抜けると、視界が開けた。
暗い水平線に、月が
眼下には切り立つ崖があり、行く手を阻む。崖沿いを
石段は滑りやすく、積雪を誤って踏み抜くこともある。転べば痛いでは済まないので、ゆっくり足を運び、目的地である東の浜辺へ降り立つ。
夜明け前の浜辺は、月明りと砂明かりに照らされ、ほんのり明るい。
浜辺の砂は一晩をかけて月光を吸収し、明け方になると蓄えた光を空へ向けて放出する。吐き出される銀光は花吹雪のように舞い上がり、
まるでお
来るまでの苦労や寒さを忘れ、ひとときの幻想に浸る。
ずっと見ていたいけれど、そろそろ作業を始めなくちゃ。
太陽が昇る前に拾わなければならない。
穏やかな海は日の出と共に荒れ、高波が浜辺を呑みこむ。波は漂着物を海底へ押しやり、二度と浮かぶことはない。
ロアのトラブルにも要注意だ。巻き込まれると作業が進まない。
ロアは自由行動なうえ、スケートやかくれんぼなどを楽しむ。最悪の遊びは寒中水泳だ。濡れたままじゃれつき、くしゃみを連発するから防寒具がベタベタになる。
狼に汚されないうちに、さくっと回収しよう。
もの拾いにはコツがある。ショベルで地面を叩き、反響から漂着物の種類とおおよその位置を把握する。この方法なら探索時間が短縮できる。
鋭い音なら軽いもの、涼やかな音なら金属類。
ショベルの持ち手が痺れたら近くに、振動が小さければ遠くに。
落ちているものが多ければ反応が混ざり複雑になる。
ショベルを思い切り振り下ろす。
硬いものに当たる手ごたえのみで、なにも聞こえない。
「音が消えた」
「あれじゃないかな。岩にしては形がきちんとしてるもん」
まれに反響がないケースがある。
人間だ。
ただし生きてはいない。みんな
島の外には死者を海へ流す風習と伝承がある。人間は最果てから生まれ、海を通じて陸に上がり、海から最果てへと還る。この島は楽園であり、棺が無事に到着すれば幸福を得られるそうだ。
最果て島の本来の姿と伝承には大きな隔たりがある。故人の幸せは約束できないが、棺が漂着したのならきちんと埋めたい。
荒波を乗り越えて島にたどり着いたのに、棺を埋める人も、死を悲しむ人もいないのは可哀想だ。放置すれば棺は波に呑まれて海の
楽園への到着を願い送り出した人々と、楽園を信じて亡くなった人がいる。棺に込められた想いを守るために、できることはしたい。
波打ち際にある木製の長方形。古びた巻尺で計測しメモを取る。
棺の上部に切れ目がある。蓋の境目はここだ。かなてこを使い力を加えれば、蓋が外れた。
箱の中にはおじさんが横たわっている。薄茶色の髪とヒゲ、昼寝をしているかのような穏やかさがある。
もしかして、まだ生きている?
男性の頬に手を添えれば、無機質な冷たさと、ざらついたゴムに似た感触が残る。亡くなっているのは間違いない。
男性の首から下には、
鉱石の正式名称は知らない。ロアが勝手に「何でも吸い込み食べちゃう鉱石」と名付けた。長いので省略してモグモグ石と呼んでいる。
モグモグ石の置き方が優しい。男性の柔らかな表情から、人間関係に恵まれていたのだと思う。
「木目に塗られた防水塗料が新しい。
「ふーん。ごく普通の人間だね」
「そういうことは言わないの。難しいかもしれないけど、少しは死者を大切にして」
「はーい。とりあえず川を見てくるね」
棺は雪の森の墓地に埋めるが、とにかく運搬が大変だ。棺は重く、運ぶには時間がかかる。石段では日の出に間に合わず、崖上から引き上げるには手が足りない。
そこで川を利用する。棺を流し、墓地付近で陸に上げる。
亡くなったおじさんは幸運だ。棺は河口の近くにある。運ぶのに手間取り、波にさらわれる心配はない。
「見てきたよ。今日は吸い込みがすごい。喉が乾いているのかな」
「ありがとう。運ぶから手伝って」
「もちろん」
蓋を閉じて固定した後、ロアと協力をして棺を押す。凍結した砂浜を滑るように移動し、
通常、水は陸から海へ流れるが、この川は逆で海から陸へ注ぐ。原因は
棺を川に浮かべる。
流れに乗るのを待つ間、私はそっと祈りを捧げる。
「頑張って海を渡ってきたばかりなのに、流してごめんなさい。これからあなたを雪の森の墓地へ運びます。到着したらきちんと
海から川へ流されれば、おじさんは心配になると思う。だから理由を話す。
おじさんにしてみればここにいること自体が不安なのだ。死後の世界に着いたと思ったら、とても寒い島だった。棺の蓋を開けられたうえ、どこかに運ばれようとしている。
私がおじさんだったら、どうするつもりだと文句を言いたくなるはずだ。
なにが起こるのか説明し、決して見捨てないと伝えることで、少しでも安心してもらえたら嬉しい。
「死んでいるから聞こえないのに、よく飽きないねえ」
「魂には聞こえているかもしれないよ」
「ふーん、そんなものかなあ」
仲間が死ぬのは悲しいが、態度には出さず死体には目もくれない。
黒毛狼は強くあらねばならない。弱いと思われた瞬間、森での地位が下がり、生存競争に負ける恐れがある。死への無関心を装うのは生き残るための知恵なのだ。
ロアは黒毛狼の教えに従い、私は自身の考えのもと遺体を大切にする。対応は異なるが、死んだら悲しくなるのは同じだから、ロアはこちらの行いを否定しない。
「棺が流れに乗ったね。よし、走ろうか」
「やった。走るのだーいすき!」
棺を追って川沿いを駆ける。流れが想像以上に速い。棺と引き離されるのが悔しくて、精一杯腕を振る。
どんな急流でも棺は沈まないし、墓地の近くに接岸する。それでもおじさんに付き添いたいと思う。
ここは海じゃない。一人ではないし、ほったらかしにしないと信じて欲しい。
「僕が行くよ。ゆっくり来てね」
ロアは私が棺との並走にこだわるのを知っている。狼の動きは俊敏だ。すぐに追いつき、やがて姿が見えなくなった。
ほっとして走るペースを落とす。徐々にあたりが明るくなってきた。
木々の合間から光の筋が入り、太陽の目覚めを知る。夜に奪われていた色が、眩い光とともに降り注ぐ。
森は
透き通るメロディは鳥達の朝の挨拶。翼を広げて日光を浴び、縮こまった筋肉をほぐす。
朝一番の落雪は、獣が巣穴から顔を出した音。獲物を求め動き出す合図だ。
一日を始める動物達の気配が満ちる。みんな寒さに負けず必死に生きている。私も素敵な日になるように願いながら、目的地へ向かう。
川幅は徐々に狭くなり、やがてため池が現れた。水の青は濃い。
池を覗き込まないようにして白砂に乗り上げた棺へ近づく。傍らには相棒の狼が行儀良く待機していた。
「棺より早く到着したよ。僕は一等賞。すごいでしょ」
「はいはい」
「リリィはビリ」
「へえ、そういうこと言うんだ」
並走ではなく競争していたらしい。
ロアらしいけど、ちょっぴりあきれる。
「リリィ怒らないで。箱のおじさんに一番速いのはリリィだって伝えたよ。この前、砂浜で尻もちのまま滑ったときのスピードはすごかったなあ」
「もう、それは言わない約束だよね」
頬が熱くなる。恥ずかしいが、おじさんがあの世で笑ってくれたら少しはマシになるかもしれない。
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第2話までお読みくださり、ありがとうございます。
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