豊秋津の風〜とよあきつのかぜ

henopon

冬の夜

「♪桃太郎さん桃太郎さん」

「呑気ねえ」

 平安期、空海が密教の秘伝を日本へと持ち帰るとき、一人の青年に日本へと来るように懇願した。

 龍之拳の継承者である。

 他からは龍洞拳や龍神拳など呼ばれるが、継承した本人自身イマイチ気にしていない。ただ壱之拳いちのけんと呼んでいる。

 密教は大日如来を中心とし、術を使うことで森羅万象を含めた人々の暮らしを守る信仰の一つだ。空海が言うには龍洞拳の拳は体現化した曼荼羅そのものであると。

「もうあれから二年になるのか」

「きび団子でこき使われました」

 夜、二人は大阪中之島の肥後橋界隈を歩いていた。開発計画が進んでいて、解体現場に「鬼」が現れたと通報があるので、高野山に滞在していた僕に応援を求めてきた次第だ。

 浜中少尉は戦争でもしてるような格好だが、これくらい装備していたところでも死ぬかもしれない。

「近くで部隊が地獄穴の探索してたんだけど、誰か動いてるみたい」

「誰かとは」

「今の技術ではわからないわ」

 別働隊に対してインカムから聞こえたが、浜中少尉は聞いているのかいないのか無視していた。

 浜中少尉の前で山田軍曹らが解体現場を覆う防音壁の間を大きなニッパーで切断してこじ開けた。

 靴の下で霜柱が割れた。

「軍曹らは待機するように。ここからは二人で入る」

「二人?」と僕。

「一人で行く?」

「それでもいいかな」

「ひどっ。こんなわたしにもプライドがあるのよ」

 浜中少尉は腰から自動式拳銃を抜いて安全装置を外した。防弾防刃対策は万全だが、それでもどうにもならない相手のときはどうする。以前には拳銃を持てと言われたし、射撃の練習もしたが、当たらないし、頼ると隙ができるので遠慮した。浜中少尉が「もういい」と諦めた。

 解体現場の足場に張った防音防塵シートが風に揺れ、紐が鉄パイプに触れて悲しく鳴っていた。

 ゴーグル越し、浜中少尉は僕を見て頭上を指差した。ゴーグルも付けるように言われたが、視野に頼るようになるとの理由で断ると、もう何も渡さないとむくれられた。僕はダッフルコートのフードをかぶった姿で足場から、破片塗れの三階フロアに忍び込むと、古い階段が上に続いていた。エレベーター縦穴に風が吹き込んで、低い音がビル全体に響いていた。浜中少尉は階段を壁際に様子を探りながら上がると、来いと合図をした。腕に付けた装置を示して、敵が近くにいることを教えてくれた。鬼が現れると、一定の周波数と複雑なパターンが発生しているとのことで、それにウェアラブル端末が反応し、ゴーグルに敵が映されるらしい。階段の上にはいくつもの柱のあるワンフロアが待ち構えていた。「あなたも付けなさい」と言われるが、いざとなったときの勘が鈍るので断っていた。たぶんビルを支えていた柱だが、一部の天井は抜けて冬空が見えた。突然、浜中少尉は柱の陰から発砲した。浜中少尉には何か見えているのか、次の柱へと飛び込んで発砲した。僕は抜いた腰鉈を彼女の背後へ投げつけると、硝煙が流れる闇へと駆け込んだ。上段に拳を突き入れ、怯んだ敵の膝に硬い靴底を蹴飛ばし、背後のやわらかな腹を手刀で裂いた。僕の体が三人の青白い引火で照らされた。

「後ろ」僕が短く放つ。

 浜中少尉は振り向きざま三発発砲した。僕は浜中少尉をすり抜けて敵の喉を掴んで地面に叩きつけた。

「撃ちすぎたわ」

「命中してたし」

「肉体は死ぬけどね。魂は地獄穴へ吸い寄せられる」

 不意に闇からゴシックのドレスを着た女が現れた。美しい白い顔に乱れた髪がアンバランスだ。胸に添えた両手に何か持っていたが、どうやらぬいぐるみのようでもある。

「わたしのかわいいアイドルが死んだのよ。でもわたしは蘇らせることができる。彼女の魂を入れる器さえあれば。でもこれは違うのよ」

 目を剥いた。

 白い顎に血が溢れて、膝から崩れ落ちた後ろでは、長い髪の女が打刀を鞘に納めるところだった。

 浜中少尉は拳銃を構えた。

「この件に関わるな」

 僕は浜中少尉に拳銃を下ろすように頼んだ。当たることもないし、攻撃すれば何があるかわからない。

 女は闇へと消えた。

 結局、五人いた。

「何が一人よ」浜中少尉は愚痴を言うと「デイジー3、現場の掃除を頼むわ」とインカムに命じた。「すぐに今の映像を解析して」

『了解』


 オフィスビルの界隈、どこにでもある大型バスに乗り込むと、僕は椅子を勧められて、浜中少尉は機材が集められた後ろへ進んだ。

「あの女は?」

「一人はジャミングで解析不能でした。もう一人はこれですね」

 パソコンを前にした佐藤が緊張のない声で答えた。高校生でも通じそうな顔をしていたが、話し方は小学生でもマネできそうにない。人というのは突き抜けると、何とも言い難くなるのかもしれない。

「ひびちゃん、お久しぶりです」

「お、旦那さんは元気?」

「離婚しました!」

「だから顔よ」浜中少尉はイライラしていた。「地下系アイドル?」

 佐藤少尉はタブレットで二つの画像を見せた。ゴスロリの方は一樹美弥という自称アイドルだそうだ。

「発言からして魂に奪われたということかも。地獄穴が活性化してるわけですね。他の連中は魂の欠片で動かされていたのかな。まさしく鬼の親衛隊というところですね」

「浜中少尉、淀屋橋の袂に地獄穴を発見しました。支援できますか」

 佐藤の声が険しい。

「了解」

「一帯は零式結界で封鎖作業中だそうです」

「状況は途中で聞く」

「了解」

「ごめん。付き合える?」

「構いませんよ」

 僕はバスから降りると、駆け抜けるバイクを見送った。浜中少尉は急停止したミニバンに乗り込んだ。

 浜中少尉はインカムから聞こえてくる情報を僕に伝えた。

「マンホール大らしいわ。零式結界で漏れは防いでるようだけど」

 しばらく走ると、

「了解」

 浜中少尉は運転手に対して戻るように伝えた。僕は徐々に車が停止するのを感じながらハーフブーツの靴紐を結びなおした。

「一人で行きます」

 と告げて車を降りた。

「結界は破られたのよ」

「少尉は命令遵守で。きび団子期待してますよ。ではまた後で」

 

 住友の前を抜けて、冬の風が通る川の上の橋を越えたところ、市役所の前の気配が淀んでいて、あきらかに地獄穴が臨界点に達し、異形の鬼がわらわらと這い出していた。背丈は子どもほどのものもいれば四つ足のもの片目のものもいる。獣のように毛に覆われているもの、生皮のようなものは首が二つある。

 僕は数匹を倒した。

 龍洞拳の敵の魂を砕くことにあると言われている。倒されたものは輪廻の輪からも消し去られる。

 虫に戻ることもない。

 引火は無への引導の印だ。

 地獄穴を塞がないと、霊の世界から肉体を求めて、輪廻の輪から逃れたい魂が次々と現れる。

 世の中、輪廻の輪など悠長なことを受け入れたくない連中も多い。生きていられるなら、ずっと生きていたいが、肉体はそうもいかない。いつまでも若くはないし、老いさらばえるし、いずれは朽ちる。そうであれば魂を新しい肉体へと乗り換えればいい。秘術があるのならば。

 マンホールほどの地獄穴から互いを押し退けるように魂が這い上がろうとしていた。地上に現れた魂は肉体を求めて草木、土、虫などを掻き集めながら空まで浮かぶ。火炎が空を覆い尽くすと、臭い土くれが雨のように落ちてきた。僕は地獄穴に渾身の一撃を撃ち込んだ。拳の勢いとともに青白い炎が覆い尽くした。

 安堵する間もなく、僕は寸前のところで刃風をかわした。植え込みのサツキの枝が払われ、僕は次々と襲いかかる刃風から市役所の前を逃げた。さっきの女だが、どこにいるのかさえわからない。柱の陰に背をつけて隠れて様子を探ろうとした。

 一人なのか。

 そうしていると、広場に黒いラフなジャケットにカーキのパンツ姿の女が右手に打刀を持って出てきた。

 罠かな。

「罠じゃないわよ。わたしはおまえと話したいだけだ」

 僕は柱から出て、階段をゆっくりと降りた。他にもいる。近くにいるのは五人だ。川向いに二人。

 両手を上げて出た。

 僕は彼女と正対した。整えられた眉から通る鼻筋、薄い唇、頬を包むような髪、黒いジャケットの上からでもわかる華奢な肩。ズボンは冬の冷たい風に吹かれる。覗き込んできた上目遣いにドキッとした。

 僕は慌てて背を向けた。

「あのさ」肩越しに覗かれた。「ちょっと舐めてんの?罠じゃないとは言ったけどさ」

「え?罠なん?」

「違うけど。それにしても後ろ向くなんてバカにしてるの?」

「ごめんなさい。電話かかってきたもんで。いいですか?」

 突然、スマホが震えた。僕は画面を見ると、少尉と出ていた。

「ちょっと待ってください。もしもし如月です」

「調子狂うわね」

 僕は呆れた相手を手で制し、他から彼女に近づいてくる影を目で追いつつ浜中少尉の言葉を聞いた。

「グランホテルの上とは。てかグランホテルてどこ?」

『アジト』

「あ、はいはい」

 電話口から銃撃音がした。今すぐ行かなければならない。

「ごめん。また話は後で。グランホテルへ行かないといけないんで」

 彼女は僕の手からスマホを引ったくった。後ろには拳銃を構えた三人がいて、どうにもならない。

「一緒に来い」

 セダンに乗せられた。後ろの座席でスマホを奪われ、番号を登録された。二宮礼子と記された。あちらには「きさらぎ」と記された。


 セダンは川沿いのホテルの地下駐車場に滑り込んで、タイヤを軋ませて停止すると、開いていたエレベーターに乗るように指示された。

「わたしたちもグランホテルに行かなければならないの」

「奇遇やね」

「バカか」

 彼女はエレベーターが階上を目指している数字を見ていた。

「わたしたちの追いかけているものは同じということだ」

 エレベーターが停まると、扉が開いて、血生臭いホールに出た。慌てて戻ると、彼女と案内人に「何をしてるんだ」という顔をされた。

 左から銃弾がかすめた。

「撃たないでくれ〜」

「響くん?」

 飛び出した彼女は抜刀した姿で廊下の突き当たりまで駆け抜けた。鬼たちの屍が泥のように絨毯に染み込んでいた。僕は銃撃がやんだのを聞いてそっとホールへと出た。

「誰、あれは」

 浜中少尉の視線の向こうには抜刀した彼女が腰溜めに構えていた。

「スイートの入口よ」

「他から入れないですか」

「ないわよ」

 エレベーターホールをまっすぐ行くと、大阪の夜景が見えた。壁はコンクリートのようだ。壊せないのかと尋ねると、ホテルごと壊すことになると答えられた。しかし壁の向こうにも数匹の鬼の気配がある。

 僕は壁に沿い、足を運んだ。

 右の拳を壁に突き入れた。

 寸止めだ。

 上段を蹴ると、左の肘を壁際に叩きつけた。すかさず身を低くして足払いで薙ぎ払った。

「何してるの?」

「演武」


 スイートルームは吐き気のする泥の山に埋もれていた。キッチンもリビングも爪で削られ、拳銃を持った数人は引き裂かれていた。

 僕は別室を覗いた。ホテルは一つしか部屋がないと思っていたが、ここはいくつもあるので驚いた。

「何人泊まるねん」

「つまらないこと言わない」

 ハンドサインで急襲したが、浜中少尉は見知らぬ相手と鉢合わせのように拳銃を構えた。僕は懐に飛び込んで拳銃を持つ相手を壁に押しつけて、屈強な彼を盾にして進んだ。

「下衆い」と浜中少尉。

 ガラスが割れ、人が飛び降りるのが見えた。瞬間、刀を床に捨てた彼女は目に見えない弓に矢を継がえて狙いを定めた。無防備すぎる。矢を放つ寸前、天井が破れ三匹の蜘蛛女が降りてきた。僕は頭上の一匹を外へと蹴り出して、二匹は拳で叩き伏せた。光を帯びた矢はビルの谷間を今まさに抜けようとしていた黒い翼をつらぬいた。青白い引火に照らされた彼女は悲しそうに見えた。

「落ちたんか」

 僕は呟いた。

 しかし派手にやられたな。

 お世辞にも痩せているとも言えない老人がベッドの上で仰向けになって死んでいる。まるで歯はプラモデルのようだ。死ぬ間際に何を見たのかわからないが、幸せな人生を送れたようには思えない。

「脇坂幸司よ。我々が守ろうとしていた人ね」

「誰やねん」と僕。

「シンプルに言えば裏の世界の実力者ね。にしては哀れだけど」

「僕は落ちた鬼を探してくるわ。捕まえたらきび団子増やしてな」

 僕は彼女の脇を抜けた。

「お嬢様……」

 低い声が聞こえて、彼の背中越しにソファから起き上がる彼女が見えた。もう若くもないだろうが、ハリウッドのスパイ映画の主人公のようにスーツが似合っていた。

「わたしも行く」


 僕は川沿いを吹き抜ける風にさすがに肩をすくめた。川底の土をさらう船が波に揺れていた。

「わたしたちはこの世とあの世を隔てる壁を守っているの」

「あなたは?」

「二宮礼子」

 日本にはこの世とあの世を区別する緩衝地帯があると言われ、二宮家を含めた守護領主は平安以来、そこを領地として維持しているのだと伝えられている。

「へえ」と僕。

「あんたさ」礼子は指で目頭を押さえつつ「もしかして壁越しに部屋にいる敵を倒したとか」

「気配が見えたからね」

「信じたくないけど、そういうこともできるのね。脇坂は領地の印を売ろうとしていた。この世とあの世を近づける奴に売れば大変なことになる。だからわたしたちは阻止しようとした。でも」

「売れたように見えないけど」

 浜中少尉が言うと、

「奪われたわね。烏間に」

「カラスマ?」

「烏間家も守護領主よ。奴は売買の話を聞いて印を盗んだ。このことは守護領主たちは共有してる」

「売り買いできるんなら買えばいいのに。ちなみにいくら?」

「値段なんてつかないわ。すべてを治めることができれば、永遠の命と富と権力を手にできるはず」

「買う奴なんていないのに売ろうとしていた。要するに脇坂さんは命を手に入れようとしていたんか」

 僕は背の低い船が通る川向いを見ながら橋まで歩いた。

「間もなく術が解けるんだ。死ぬはずのない付喪の術がな。術も永遠じゃない。いつか尽きる。魂を食らえなくなる。わたしたちは吸血鬼のようなもんだ。人の魂を食らい生き続けているが、食えなくなれば老いて死ぬしかないだろう」

 川下へと走る船が怪しい。川底の泥を積んだように見えるが、ヒシヒシと軋むような空気が伝わる。

「烏間に誘き出されたのよ」浜中少尉は拳銃を抜いた。「初めから買い手なんていない」

 僕は船と並走した後、橋へと曲がると欄干を越えようとした。

 飛んだとき、

「ダメ」

 礼子にダッフルコートのフードを掴まれて止められた。

「何するねん」

 橋をくぐり抜けたところで船が爆発した。炎と煙が立ちこめ、船は護岸へと擦り付けられた。

「ごめん。大丈夫?」

 身を呈して止めた礼子が星空を邪魔するように覗き込んだ。

「気にしない気にしない。あんなもんに引っかかる奴が悪いわ」

「退いてくれ」

「ごめん」

 浜中少尉はインカムで支援を要請した。僕はダッフルコートのフードをかぶると紐でくくった。

「見つけた」と僕。「アホが」


 僕は川沿いのプラネタリウムがある建物の玄関前広場にいた。罠かもしれないが、二宮の仲間も集結しているようだし、何とかなるはずだ。

「何とかできないわよ」浜中少尉は呟いた。「ホテル、船、解体現場への対処してるんだから」

「ほな。離れとき。歪みに巻き込まれるかもしれん」

「死なないでね。特別きび団子を申請してあげるから」

 浜中少尉は後ずさるように僕から離れた。芯のある眼に気づいた僕は親指を立てて片頬を上げた。

「バカ」と言われた。

 

 僕たちはビオトープと呼ばれる人工の自然林を抜けた。ちらほらと小道を照らす街灯がついていた。

「ここは守護領主一門であるわたしたちで何とかする。烏間は策士。脇坂は付喪の術が衰えてから自分の結界から出ることはなかった」

 守護領主が関係している領地を奪い合う話なら、関わるなという気持ちもわからないでもない。

 烏間が領土を拡大支配するようになれば、守護領主家の結束力が弱まる可能性がある。そうなれば日本でのあの世とこの世の領界は消えて死者の魂は生者に食らわれ、生者の魂は死者に奪われる争いが起きる。

 礼子の背を見ながら尋ねた。

「おまえは烏間とやらから印を奪えばいいということやな」

「おまえと言うな」

「すまん。奪い返した印はどうするねん。脇坂に返すんか。相手は地獄穴も操れるし、自分で飛ぶ奴やろうが。妙な術持ってるんやないのか」

 礼子は背中越し打刀を掲げた。

「わたしにはこれがある」

「斬れるんか」

「バカにするな」

「バカにしてるのはおまえや。すまん。あんたや。ほんまのこと話してくれんとな。僕としてはこんなこと巻き込まれてかなわん」 

 軍は引き上げるとのことだが、おそらく国としては「緩衝領土」には興味があるはずだ。肉体という枷を失うことができた魂がどんな力を持つのか知りたいに違いない。魂の国とはどうなるのだ。国や企業だけではない。どんな人でも多かれ少なかれの興味は抱いているはずだ。

 僕たちは林を抜けると、意味がわからないモニュメントに身を隠した。林から石のモニュメントなんてどういう神経をしているんだ。

「ほい」僕はポケットからラムネの粒を渡した。「ブドウ糖や」

「いらない」

「ちょいと落ち着こうや」

「落ち着いてる。落ち着いてないのはおまえだ。あんな見え透いた罠に飛び乗ろうとした」

「ほんまに飛び移る気あれば、おまえなんかに止められてないわ。すまん。あんたなんかに」

 二粒目を噛み砕いた。

 礼子は睨んできた。

「あれで気配探れたやん。アホみたいに気合い飛ばすからや」

 僕は隠れるのをやめてモニュメントから出た。界隈が空間ごと封鎖されてしまい、もはや隠れていようがいまいが関係がない。

「おまえ……」

「もう相手を倒すしか逃げ道はないねん。お互いたいした覚悟やん」

 僕は悲しそうな顔を思い出したが口には出さずにいた。

「印とやらを盗んだ奴はあんたの知り合いなんやろ」

「守護領主の繋がりがある」

「そうやない。もっと個人的な関係というんかな。斬るに斬れない関係とかのこと。すべて言わせるなよ」

「兄のような存在だ。こんな制度はおかしいと話してた。この守護領主はそれぞれ力が弱くて維持し続けるには不安定すぎるんだと」

「おまえはどうなんや。すまん。あんたはどうなんや」

「子どもの頃だからうまく理解できなかった。でも今のところ不安定がいいんじゃないかと思ってる」

「安定した方がええやん」

「わたしは誰が富と権力を正しく使えるのかわからない。独裁や虐殺なんて簡単にできるだろうが」

 僕はダッフルコートのフードを脱ぐと、髪を結びなおして、肩の関節を回してほぐした。結界のあちらとこちらの世界が剥がされた。

「奴は執着してるんやな」

 よほど礼子を誘い込もうとしているらしい。そのことに礼子も気づいたようで隠れるのをやめた。

「脇坂には継承者がいない。奪い返した印は筆頭である二宮家が預かることになる。もちろん脇坂に跡継ぎができれば返すんだけど」

「もう二人、結婚したら?」

「嫌だ。わたしは好きな人と結婚したいんだ。政略結婚はしない」

「好きなんやろ?」

「わからない。何か違うんだ。わたしのことはどうでもいい。古い因習に囚われたくない」

「他人の魂で食い繋いでる一族が普通の暮らしなんてできるんか」

「できない」即答した。「夢だ」

「そうか。夢か。夢なあ。誰でも夢くらい見てもええんやないか」

 僕は拳を突き立てた。空間が歪んで、三つの青白い炎が地面にこぼれるように落ちた。伸びてきた腕を手繰るように寄せると、他のところへ踵を落とした。いつ見ても陰鬱な光が放たれる。こんなものいつまでもやっていても意味がない。

「魂は消えると戻らん。一つの宇宙を潰してるようなもんや。そこにはこの地球みたいな星もあるかもしれん。いろんな人がいろんな考えでお互いに気づかいながら生きてるかもしれん。だから魂は尊いねん」

 僕は鬼を倒しながら、

「僕の拳はそんな魂を砕いてしまうんや。すべて平等にな」

 と続けた。

「僕には生者と死者どちらが偉いのかわからんけど、争いがなくなるんならええと思わんか。烏間とやらを倒すことで大きな争いの芽を摘めるかもしれん。幸か不幸かこのことについては、僕には他人よりも少し立ち向かえる力があるんやなあ」

 話し終えて深呼吸をした。

 残心。

 視線に人影をとらえた。

 おまえには倒せん。


 礼子は彼の前に進み出た。片方の翼はなく、破れた方は折り込めずにいた。

「ひどい姿だ」

「おまえに射られるとはね」

「印を渡せ」と礼子。

 僕は「若いな」と思いながらラムネの粒を放り込んだ。

「覚悟はついたのか」

「脇坂に返す」

「そんなことをしていればいずれ他の勢力に我々の領地を奪われる」

「お兄ちゃんは何がしたい」

「支配だ」

「わたしにはわからない。確かにこの世界は平和とは言えない。でもお兄ちゃんが支配してどうなるの」

「我々がする。我々が選んだ魂だけの世界を創るんだ。おまえも仲間になれるんだ。今こそ世界は変わろうとしている。いや。変えねば」 

 あの世とこの世の領地を支配するものたちが力を持ち、善き魂を選別する。肉体の寿命に支配されない世界を創ろうとしている。

「魂を選ぶ権利なんて、わたしたちにあるの?」

「ある」

 礼子が抜刀した。

 鮮やかな炎が散る。

「お兄ちゃんは魂を道具にしてかわいそうだと思わないの?」

「どうせ行き場のない低俗な魂にすぎない。おまえもゴキブリや蚊を殺すだろう。同じことだ」

「おかしいよ」

「おまえは人生が誰かに支配されてもいいのか。支配者が今の国のような俗人だとしてもか」

「わからない」

「礼子、おまえは賢い。答えに気づいているはずだ。いずれ他人の魂を食らい生きながらえる日が来る」

「そんなこと気づいてるけど、ずっと考えてるけど」

 礼子は飛び込んだ。

 下段から右内ももを払い、返す刀で手首を狙い、腹を突いた。烏間の体が跳ね、礼子の頭上を舞い、ちょうど互いの位置が入れ替わった。

 彼は背後の僕に目で刺した。

 挟み撃ちにできる。

 とはいうものの、彼女の兄と慕う人を殺すのもなあ。ここは二人の問題でもあるし、静かにしていよう。

「何すんねんっ!」

 どこから現れたかもわからない炎に襲われ、左右から腕が刀の鬼が斬り刻んできた。地面を転がるように逃れると、炎をはたき落とした。

 烏間の黒い翼が落ちた。

「何っ!?」

「アホか。せっかく話し合いの邪魔せんとこう思うてたのに。びっくりするやないか。間合いに入られたことにも気づかんのかいな。妙な力や術に頼るから隙が生まれるんや」

 二匹の引火が烏間の隣で燃え続けていた。同時に身動きできない礼子の背後でも三匹が燃えていた。

「ひとまず脇坂とやらの印を返したらどうや。まだ早いわ。おまえの力では扱いきれんで。これまで散々話し合いもしたんかもしれんけど」

 礼子が呼吸を止めた。

 やるのか。

 烏間は間合いに気づいて炎の壁で防御しつつ、左手に潜ませた短刀を逆手で振り上げると、礼子の刃が食い込んだ。炎が緑に揺らいだ。

「おまえもいずれ理解できるようになる。俺はおまえのためにできることをしてやるまでだ」

 礼子は一気に袈裟懸けにした。短刀ごと炎の壁もろとも烏間の体はどす黒い飛沫を上げて倒れた。

 礼子はすぐに後ずさると、間合いから離れた。彼女はコールタール臭い黒い飛沫を浴びた姿のまま構えていた。涙が頬の煤を流した。

 空間が現実に戻る。

 泥の塊の上、シャボン玉のような玉が浮かんでいた。彼女は左手で奪うように握ると、それを胸の前に持っていき身を縮こませた。まるで叫びたいのを我慢しているようだ。


 礼子はベンチに腰を掛けて、膝に両肘をついて頭を抱えていた。僕は鞘に入らない打刀を力尽くで入れようとしたが、今度は抜けなくなったので焦っていると、礼子の護衛を指揮している渋い老人が現れた。

「お嬢様、肝が冷えました」

「ごめん」彼は玉を渡した礼子は笑みを浮かべようとした。「勝手なことした。他の者はどうした?」

「撤収しました」

「これ」僕は刀を返した。「ムリに入れようとしたら抜けなくなった」

「どこにでもある束刀だ。気にすることはない。嫌なことに付き合わせたな。改めて詫びはする」

 礼子は護衛に寄り添われて待機しているミニバンまで歩いた。


「どうしたの?」

 浜中少尉は二人を見送る僕に尋ねてきた。別に何ということはないと答えたが、尻を蹴飛ばされた。

「言いなさいよ」

「二宮に印が一つ増えたなあと」

「ま、まさか。烏間を調べる。あなたが奪えば……」

「いらんわ。あの子は慕ってたお兄ちゃんを殺したことなるんか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

豊秋津の風〜とよあきつのかぜ henopon @henopon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画