閑話休題
第36話 真夜中のヒソヒソ話
話は少し戻って、レナと2人で過ごした王都のホテルでの夜。
「ねぇ、ホタルは好きな人っている?」
その言葉がレナの口からでてきたのは、夜も随分を更けた頃だった。セレスタの用意してくれた料理でお腹もいっぱい。諸々の疲れも相まって、私は半分夢の中に意識を飛ばしていた。
恐らく初めてであろう失恋に泣くレナを見て、今夜は寝ないでしゃべり倒そうと決めた王都での夜。アンダさんへの泣き言も、文句も、これでもかと言うほど聞かされた後、急にレナが言い出しだのだ。
「はい?」
一瞬言葉の意味がわからなくて、キョトンとしてしまった。
そんな私を見て、じれったそうな顔でレナがもう一度言う。
「だから、好きな人。ホタルはいないの?」
好きな人? えっ? 私に?
やっとレナの言葉を理解した私は、悪いけれど思わず吹き出してしまった。
「いるわけないでしょ。何、言ってんの」
「隠すことないじゃない。言いなさいよ」
そんな私の態度が気に入らなかったのか、不機嫌そうな顔でレナが問い詰める。
いや、別に隠しているわけじゃないんだけれどなぁ。
「本当にいないって」
「ずるい! 私だけなんてずるい~。白状しなさいよ~」
苦笑いして答えるとレナが更にグイグイ迫ってくる。物理的にも迫ってきているので、背中にソファの手すりがぶつかって少し痛い。
「なんなのよ。どうせホタルも私が領主の娘だから付き合ってくれているのよね。そうよね。私になんて話してくれないわよね」
私にのしかかったまま、レナが急にどんよりしだす。
どうした? おいおい、飲んでいるのはお酒じゃないよね? まさかのレモネードで絡み酒?
「そんなわけないでしょ。ただ、修理屋の仕事に手一杯で考えたことなかっただけだよ」
そんなレナに苦笑しながら答える。異世界なんかに来てしまって、本当にそれどころじゃなかった。マダムには拾ってもらえたし、いい人たちに会えたし、命の危険があるような世界ではなかった。運は良かったと思うけれど、何もかもわからないことだらけのこの世界、苦労がなかったと言えば嘘になる。正直、普通の生活をするので精一杯だった。
「駄目よ! ホタル、若さは永遠ではないのよ!」
ふと今までの日々を思い出していたら、なぜかレナが急に元気になった。すでにソファのかなりはじっこに座っている私に更にぐいぐいと迫ってくる。
だから、背中にソファの手すりが当たって痛いのよ。っていうか、若さって何よ。
「レナ、私、30歳だよ。さすがに若さはもう無いわ」
苦笑して……って、私、さっきから苦笑しかしてないのじゃないかしら。そう思いながら、そっとレナを押し返す。そろそろ背中が限界です。
「……」
綺麗な翠色の目がこれでもかと言うほど大きく見開かれている。唖然としているレナを見て、私は瞬時に理解する。
あぁ、このパターンね。
「レナ、驚いているところ悪いけれど、30歳なのは本当よ」
そう言って、やっとレナから解放された私はレモネードを一口飲む。ついでに、淡いピンク色のマシュマロも一口。あっ、意外。苺ではなくグレープフルーツ味だ。
「えぇ~!」
たっぷり1分は続いた沈黙の後で、レナが絶叫する。
おいおい、深夜だよ。少しは静かにした方が。そう思って、レナに落ち着くように言おうと思ったら。
「噓でしょ! ホタルが30歳? どう見たって20歳そこそこでしょ! どんな魔法使っているのよ!」
再度詰め寄ってきたレナが私の頬を引っ張る。
「痛い、痛い! こら! やめなさい」
慌ててレナの手をはがして、どうどう、と落ち着かせる。
「どうどうって馬じゃないんだから。それにしてもびっくりした。年上だろうとは思ったけど、30歳とはね」
なんとか落ち着いてくれたレナはレモネードを飲みながら、そう呟く。
「でも、30歳ならそれこそ恋愛なんてたくさん……ごめん」
「おい、なんで謝った?」
言いかけて、なぜか急に謝ったレナを思わず睨みつける。
「そんなことより、30歳でしょ。それこそ、誰かいないの? ほら、ジェードとか?」
「ジェード? ないない」
そんなこと、じゃないだろ! と思いつつ、でてきた人物が予想外過ぎてびっくりしてしまう。いくらなんでも近場すぎるでしょ。ジェードが可哀想だ。
「えっ? ホタル、気が付いてないの?」
そんな私をレナがびっくりした顔で見つめるけれど、一体何の話だ?
「噓でしょ。だって、あの時。って、まぁ、いいか」
「何? よくないって。言ってよ」
今度は私がレナに詰め寄るけれど、レナはニヤニヤするだけで何も言わない。
「ちょっと、レナ。あんた、年上にその態度はないでしょ」
「年は関係ないでしょ。あ~あ、ホタルって見た目もだけど、中身もお子様なのね」
ニヤニヤしたまま、聞き捨てならない台詞をこぼすレナに私は更に詰め寄る。
「ちょっと痛いわよ。離れなさいって。ふふっ」
さっきまで私だって痛かったんだ、って言い返そうとしたら、急にレナが笑い出した。
「何よ」
思わず追及の手を止めて聞くと、レナが急に真面目な声で言った。
「なんだか。本当に友達ができたみたいで嬉しい」
「レナ」
少し寂しそうに笑うレナ。その儚げな姿を見て、私は言葉に詰まる。
領主様の娘だ。普通の女の子のようには過ごせないことも多かったんだろう。
「どう見ても同世代にしか見えないしね~」
でも、それも一瞬のこと。そう言ってニヤリとしたレナに私は再度飛び掛かった。
「なんだと! 年上を敬え!」
「無理で~す」
「レナ、あんたには一度礼儀ってものを教えてやるわ!」
こうして王都の夜は更けていったのだった。
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