第34話 お嬢様の意地

「レナ様、申し訳ございません」


 準備のため一足先に宿屋へ向かっていたセレスタは、私たちを迎えるなり申し訳なさそうな顔でレナに頭を下げた。


「ちょっと待ってよ。どういうこと? っていうか、レナへ謝る前に、私に謝れ!」

 

 そんなセレスタに私が抗議の声を上げる。

 なんと、手違いで私の部屋が取れていなかったというのだ。

 いや、それって、まず私に謝ることじゃない?


「ホタルさん、ごめん」

 

 そう言って、顔の前で手をパチンと合わせる例のポーズをするセレスタ。

 おい! 謝り方が軽くないか? そのポーズをすればなんでも許されるわけじゃないぞ!

 なんて喚いたところで現実は変わらない。運の悪いことに今夜は満室。まさかセレスタたちの部屋に泊まる訳にもいかないし。


「構わないわ。一晩だけだし」

「レナ、ごめんね」

 

 結局、私がレナに用意された部屋へ一緒に泊まることで話は落ち着いた。

 慣れない馬車の旅で疲れもあるだろうということで、レナと私は早々に部屋で休ませてもらうことになった。まぁ、疲れている理由はそれだけじゃないけれどさ。


「あっ、ホタルさん、ちょっと待って」

 

 部屋に向かおうとした私をセレスタが呼び止める。こっちこっちと手招きする姿を見て、セレスタの元に戻る。レナには先に部屋へ行っておいてもらった。


「あのさ、レナ様、今夜は一人にしない方がいいと思うんだ」

 

 レナの姿が見えなくなったことを確認して、セレスタが私に言う。

 なるほど。そういうことだったのね。おかしいと思ったよ。部屋を取り間違えるなんて凡ミス、セレスタがするはずないものね。


「これ、町で適当に見繕っておいたから、後でレナ様と食べて。多分、夜ごはん食べに行ったりとかしたくないだろうからさ」

 

 そう言って、セレスタが私にバスケットを差し出す。本当に出来た子だわ。


「了解」

 

 バスケットを受け取ると、今度こそ私はレナの待つ部屋へ向かったのだった。


 ***


「おぉ、さすが領主様のお嬢様。部屋も豪華ね」


 広々としたリビングに煌めくシャンデリア。テーブルには色とりどりの果物とスイーツが並んでいて、大きなソファは、私ここで寝られるんじゃ? ってくらい。

 これって、いわゆるスイートルーム、ってやつだよね。

 でも、ここにレナの姿はない。

 とりあえず、セレスタから預かったバスケットもテーブルに置くと、ここかな? と目星をつけた扉を開ける。


 案の定、そこはベッドルームで、窓からは夕焼けに染まる王都の町が一望できるようになっていた。そんな素晴らしい部屋で、レナは景色になんて目もくれず、なんなら着替えすらしないでベッドに倒れ込んでいた。

 

「ねぇ、せめて、お風呂に入ってから横になりなさいよ」


 そう声をかけながら、レナの寝ているベッドに腰掛ける。大きなベッドは私が隣に腰掛けても十分余裕があった。

 

「やだ」

 

 布団に突っ伏したまま、くぐもった声がする。若干、声が湿っぽい。


「やだって、あんた。布団が汚れるでしょ。やだよ。私、お風呂にも入らない人と寝るの」

「ベッドルーム、もう1つあるでしょ」

 

 あら、そうなのね。


「なんで、急に態度変えたのよ? 文句の1つでも言ってやればよかったじゃん」

 

 そっと手を伸ばして、うつ伏せたままのレナの頭を撫でる。

 嫌がるかな? とチラッと思ったけれど、レナはされるがままになっていた。

 

「だって」

「だって?」

「悔しいじゃない。あそこで文句言ったら。名前すら呼んでくれなかったのよ」

 

 あぁ、気が付いていたのか。

 そう、アンダさんはレナを見てタキの町の領主様のお嬢様とすぐに気が付いた。けれど一度もレナの名前を呼ぶことはなかったのだ。

 たった一度の出会いで、一方は一目見るためだけにアクセサリーを何度も壊し、王都まで半日馬車にゆられて会いにきたというのに、一方は肩書しか覚えておらず名前もでてこない。

 要はそういうことだったのだ。


「名前すら覚えてなかった! この私を! あそこで文句言うなんて、私のプライドが許さない!」

 

 ぐるりと反転して仰向けになったレナは、天井を凝視したまま大声を上げた。大きな翠色の目が水面のように揺らめく。


「会いたかったのに! 忘れたことなんて1日もなかったのに! 会いたくて、どうしたら会えるか毎日考えていたのに! それなのに!」

 

 レナの目尻から涙が一筋、零れ落ちた。


「馬鹿なことしてるってわかっていたけど、こんなことになるなんて。本当に私は馬鹿ね。どこかで覚えていてくれると思ってた。向こうも、会いたかった、くらいは言ってくれるはずだって」

 

 涙の筋がどんどん増えていく。翠色の目は天井を凝視したままだ。


「そうだね。ひどい男だった」

 

 そう言って私がレナの頭を撫でると、とうとうレナは両手で顔を覆い泣き出した。

 

「うん。最低な奴。でも、でも悔しいけど、やっぱり恰好よかった。格好よかったよぉ」


 どのくらいレナは泣いていただろう。私はただ黙ってレナの頭を撫で続けた。気が付けば窓の外はすっかり夜になっていた。


「ありがとう。落ち着いた」

 

 やっと泣き止んだレナはひどい鼻声でそう言うと、ベッドから起き上がった。その目はひどく晴れていたけれど、すっきりとした顔をしていた。


「なんかお腹空いたかも」

 

 そう言うとレナは、少しだけ笑った。

 

 リビングに移動したレナと私は、セレスタから受け取ったバスケットを前に顔を見合わせていた。

 

「さすがはセレスタね。って言いたいところだけど、ちょっと大きくない?」

 

 そうなのだ。レナの言うとおり、このバスケット、2人分の食事にしては大き過ぎるのだ。


「まぁ、とりあえず、開けてみよっか」

 

 そう言ってバスケットのカバーを開けてみると。

 でてくる。でてくる。

 カリカリのベーコンがたっぷりのサンドイッチにサラダ、これは鶏肉のグリルかな? サーモンのマリネには艶々のオリーブときのこが入っていて、キッシュはほうれん草の緑が鮮やかだ。

 デザートも入っていて、フルーツタルトに、チョコチップクッキー、白とピンクのメレンゲに、ふわふわのマシュマロ、カラフルなドラジェもある。


「一体、何人前よ。これ?」

 

 テーブルいっぱいに広がった食べ物を見て、レナが呆れた声をあげる。


「確かに。って、これは?」

 

 バスケットの隅にガラスのボトルを見つけた私は、それを取り出す。ボトルの中の綺麗な黄色の液体はとろみがあるのか、振るとタプンタプンと揺れている。


「えっ? まさかお酒?」

 

 いや、私はいいけれど、レナはまずいでしょ。

 それとも、この世界ってレナの年齢でものんでいいとか?


「馬鹿ね。さすがにお酒はないわ。これ、レモネードよ。炭酸水で割って飲みましょ」

 

 レナはそう言うと、部屋に置かれた大きな器から、緑色のガラスのボトルを取り出して、棚からゴブレットを2つ持ってくる。

 緑色のガラスのボトルはよく冷えた炭酸水だった。レナはゴブレットに2人分のレモネードを作る。シュワシュワと細かな泡がはじけるそれを手に取ると、レナと2人、どちらからともなく、乾杯をした。


「「ぷは~っ!」」

 

 思いがけず同じタイミングでもれた声に目を合わせて笑ってしまう。

 レモンの爽やかな酸っぱさと、仄かな甘味、シュワシュワとした喉ごしが最高だ。


「よし! レナ、食べよう!」

 

 よく考えたら朝から何も食べていない。豪華なアフタヌーンティーもなんだかんだで食べ損ねたしね。


「そうね。食べましょう」

 

 セレスタが用意してくれた食べ物はどれも美味しくて、私もレナもしばし食べることに専念する。


「ねぇ、これ、絶対食べきれないわよ」

 

 少し落ち着いたところでレナが呟く。


「いいんじゃない? 一晩中食べよう。今夜は寝させないよ~」

 

 そんなレナに私はそう答えるとお代わりのレモネードを注ぐ。 多分、セレスタもそのつもりで用意してくれたのだろうしね。

 

「えっ?  そうね。それもいいかも」

 

 レナは少し驚いた顔をした後で、ふっと笑った。


「そうと決まれば先にお風呂ね。この格好、苦しいのよ」

 

 レナの言葉に頷いて、私たちは代わりばんこにお風呂へ入って、新しいレモネードを用意して、またソファに座る。


「じゃあ」

 

 お互い顔を合わせてうなずく。


「「かんぱ~い!」」


 その後は、本当に夜通し色々な話をした。会ったばかりなのに話は尽きなくて、なんだか学生時代に戻ったみたいだった。アンダさんのことは残念だったけれど、この夜はすごく楽しい夜だった。

 レナにとってもそうだったらいいな、と、明け方やっと入ったベッドで眠りに落ちるまでの数秒間、私は考えていた。

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