第30話 領主様のわがまま娘

 連れてこられた領主様のお屋敷は、お屋敷というより、もはや城だった。

 西洋風の石造り、高い白い壁にオレンジ色の塔。堀こそないけれど、その立派な姿に私は目を丸くした。

 なにこれ。町の領主ってこんなにすごい人なの? えっ、すぐに帰してもらえるよね。領主様の娘のご機嫌を損ねた罪で縛り首、とかないよね。

 不安げに城を見上げる私にセレスタが安心させるように微笑む。


「ちょっと驚くよね。タキの町って結構栄えているんだ。でも領主様は親しみやすいお方だし、無茶を言う方でもないから安心して」


 その言葉を信じていたのに。

 

「ちょっと、何とか言いなさいよ」

 

 私は目の前の少女を見つめて言葉を失っていた。

 領主様のお城についた私たちは、領主様へのご挨拶とか、そういった定番の手続きをすっとばしてレナ様のお部屋の前に連行された。そしてそこで事件が起きた。

 

 なんと、レナ様が、私だけしか部屋に入れない、とのたまったのだ。


 えぇ~という私の抗議の声は、お付きの方たちの耳にはかすりもせず。助けを求めてセレスタとジェードを見れば見事に目を逸らされた。

 

 おい! あんた達、マダムの言葉を忘れたのか!


 そんな私の心の叫びは誰にも届かず、たった1人でレナ様のお部屋へ放り込まれる羽目になってしまったのだ。

 

 レナ様のお部屋は、さすが領主様のお嬢様のそれ。そこだけでマダムの店が入ってしまうんじゃないかって言うくらい広かった。

 恐る恐る周りへ目をむけると、白を基調としながらも木製の家具が柔らかい雰囲気を作っていて、無機質な印象を与えない温かみのある部屋だった。鈴蘭を模した可憐なシャンデリアや、小花を散らした生地を使ったソファやベッドカバーも主張し過ぎず、可愛らしい。

 少なくとも部屋の雰囲気からは我儘娘の気配なんて微塵も感じられない。女の子らしくも控えめでなかなかに好感の持てるものだった。


 そして、そのソファーへ横座りした少女に私は息を飲んだ。

 零れんばかりに大きな目は吸い込まれそうな翠色。透き通った陶器のような白い肌にバラ色の頬と唇。腰に届くほどの見事な金髪は、緩くウェーブを描きながら煌めいている。

 美形揃いのこの世界にあってもレナ様は別格だった。完璧なまでのその可憐さはある意味人間離れしていた。まるで物語の妖精がそのまま本から抜け出したようだった。これならあの豪奢なバングルもさぞ似合う事だろう。


 で、話は冒頭に戻る訳だけれど。


「へっ?」

 

 目の前の少女のバラ色の唇が紡ぐ、その容貌には似つかわしくない蓮っ葉な言葉に、私は唖然とした。


「へっ? じゃないわよ。あんた馬鹿なの? 挨拶くらいしなさいよ」

「あっ、あぁ、マダムの宝飾店で修理屋をやっていますホタルと申します」

「知ってるわよ」

 

 おい、何なんだ、この子。

 あまりの可愛さに思わず挨拶してしまったけれど、よく考えたら来てくれたお礼とかないわけ?

 ムッとした私をそれ以上に憮然とした表情で見つめながら、レナ様は顎でテーブルの上を指し示す。そこには、先日セレスタが宝飾店に持ってきた壊れたバングルが置かれていた。

 

「それ、直しなさいよ。今まで直せたんだから、直せないわけないでしょ?」


 いやいや、何なの、この子。いくら領主様の娘だからって、ちょっと人を馬鹿にしすぎでしょ? こりゃ確かにマダムの言うとおり、とんだ我儘娘だわ。可愛い分、余計に腹が立ってきたぞ。

 

「お言葉ですが!」

 

 まさか言い返されるとは思ってなかったのだろう。急に大きな声を上げた私にレナ様の肩がビクッと跳ねる。


「このバングルはもう何度も修理しています。これ以上、修理したら金属の部分がもたずに割れてしまいます。前回が最後だときちんとお伝えしたはずですが!」

「な、何よ! 本当に直せないの?」

 

 私の言葉にレナ様が疑いの目を向ける。


「やってみせましょうか? 前回もギリギリだったんで、今やればポキッといきますよ」


 そう言ってバングルに手を伸ばす私に、レナ様が慌ててソファから身を乗り出す。


「ちょっと待って! う~ん。割れた方がお父様を説得しやすそうだけど、ここまではっきり言うなら」

 

 何事かをぶつぶつと呟きながら、レナ様は私とバングルを交互に眺める。


「どうするんですか? やりますよ」


 いい加減、苛々していた私はバングルに再び手を伸ばす。


「ちょっと待ちなさいって! ったく、いい年して短気なんだから」

 

 なんだと。ちょっと可愛いからってこの子は。

 私のこめかみに青筋が立つ。


「ねぇ、あなた、口は堅い方?」

 

 そんな私の様子を意に介さず、ソファから降りてきたレナ様がぐっと私の顔をのぞき込んでくる。


「えっ、あっ、はい。多分」

 

 近くで見るとやっぱり可愛い。

 毛穴って何? と言いたげな陶器のような肌、近くでみるとまつ毛の長さが更に際立つ。それになんて綺麗な目だろう。吸い込まれてしまいそう。なんてドキドキしてしまって、つい素直に返事をしてしまった。


「そう。わかったわ」


 何がわかったのか、全くわからないけれど、レナ様は目の前で勝手に何度もうなずく。そして。


「お願い! お父様の前でこのバングルが直らないって説明して!」

 

 至近距離で美人に手をパチンと合わせてお願いされてしまった。

 これって本当にこの世界でもポピュラーな仕草なのね。


「えっ、なんで?」

 

 思わずたずねた私にレナ様はすっと目を逸らす。

 流れるようなウェーブを描く金髪からのぞく耳が赤い。と言うか、よく見たら真っ赤じゃん。


「まさか」

「そうよ! 会いたいの! アンダ様に! 悪かったわね! 浅はかな女で!」


 まだ何も言っていないのにレナ様が自爆した。

 アンダさんって確かマダムが言っていた王都の宝飾師だよね? 目の前の壊れたバングルの創り主だ。


 レナ様の話をまとめるとこうだった。


 数か月前、領主様のところに行商人の旅団がやってきたそうだ。それ自体は珍しいことでなく、なんなら毎月どこかしらの行商人たちがやってきているそうだ。さすが領主様。

 そして、その中にアンダさんがいた。旅団に加わって各地を回り、宝飾合成の材料集めをしていると言っていたそうだ。なるほど、土地が変われば珍しい素材も手に入るだろう。もちろん、旅の途中で宝飾合成もしていた。珍しい素材は手に入るし、広く自分の作品を知ってもらうこともできる。アンダさんにとってはまさに一石二鳥の旅だったわけだ。

 ここまでは何の問題もない。問題はアンダさんが(レナ様曰く)ものすごいイケメンの宝飾師だったということだ。

 アンダさんの作品は領主様の奥様を始め女中たちにも大人気だったそうだ。そんな中、アンダさんは領主様の娘であるレナ様にこう言ったのだ。

 

「あなたのように可憐で愛らしい方に初めてお会いしました。出会いの記念にどうか私の作品をプレゼントさせてください」

 

 そして、その場でおもむろに素材を取り出し、宝飾合成をしたそうだ。で、できあがったのが、あのバングルだと。


「げっ」

 

 何、その気障な男。

 話を聞きながら私は全身に鳥肌が立ってしまった。でも、アンダさんの話をするレナ様の目は完全に恋する乙女のそれだ。

 まぁ、わからんでもない。

 宝飾合成はすごい。それをイケメンが、君のためだけに、なんて言ってやったら、そりゃ落ちるわ。まだ年も若くて、免疫もないお嬢様ならなおさらだろう。


「で、バングルが壊れれば、もう一度アンダさんに会えるだろう、と?」

 

 呆れたように聞く私にレナ様はそっぽを向いたまま、口を尖らせた。


 「アンダ様! そうよ! それしか思いつかなかったのよ! 悪い?」


 あっ、逆ギレしたよ。この子。

 呆れつつ、でも、その真っすぐさが微笑ましくて、なんだか笑ってしまう。


「何、ニヤニヤしているのよ! お父様に言ってくれるの? くれないの?」

 

 そんな私を見て、レナ様が頬を膨らませて睨みつける。

 

 まるで妖精のような人間離れした可憐さとは裏腹に、とんでもない我儘娘。口が悪くて、態度が大きくて、とても人にものを頼む態度とは思えない尊大さ。だけれど。

 すごく真っすぐで、おそらく初恋であろう恋を盛大にこじらせてしまっている可愛らしい女の子。

 

 まずい。どうやら私はこの生意気なお嬢様を気に入ってしまったみたいだ。

 あぁ、早く店に帰ってマダムのお手伝いをしないといけないのに、なんだか、面倒ごとにどんどん巻き込まれてしまっている気がする。

 でも、まぁ、仕方ないか。私にできることが何かあるなら、少しくらいならしてもいいかな、って思ってしまったのだから。


「いいですよ。私でよければ」

 

 自分の人の好さに呆れつつ、私はレナ様にそう答えた。

 それがまさかあんなことになるなんてね。この時の私は知る由もなかったのだった。

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