首にある跡
もう一度花を確認するが、タネも仕掛けもない。手品の道具などではなく、正真正銘の生花だ。
ユーリが花を乱雑に振ると、また一枚、二枚と花弁や葉が落ちる。
「もう一つ教えてあげられることがありますよぉー」
そしてユーリは枯れた花をリシアが持っていた白磁の皿に戻す。捨てるような戻し方によって
花は二つに折れ、下の方は粉々になってしまった。
枯れた花から目を逸らせない梓の顔が間抜けだったのか。それともまた別の意味なのか。
ユーリが短く声を出して笑ったかと思えば、「これより凄いことなんで、もっと驚くかもぉ、ですねぇ」と言った。
「聖女様。ここ、触ってみてくれますぅ?」
彼は指を自身の首元に持っていく。
節張った指がさすのは、血管が浮き出ているユーリの白い首。白いと言っても妹のリシアが持つ透明感ある白い肌ではなく、青白い、不健康そうな色だ。
彼の言う“もっと凄いこと”を知るのが怖い。感動する類の話ではないとわかっているからだ。
だが自分の身体に起きたことを無視するだなんて出来なかった。
梓はゆるゆるとユーリにならって自分の首を触る。すると、首に出来た異物を肌が感じ取った。
「な、なにこれ?!」
首の右側だ。
皮膚が盛り上がっていて、質感はザラザラ。血は出ておらず、カサブタに近い状態。
見なくてもわかる、これは傷跡だ。
梓は慌ててまだらな記憶を必死に掘り返す。
傷なんて、家を出る時にはなかったはずだ。
では、ここに来る道中に出来た傷なのか?
事故で? 怪我? それとも誰かに故意に……──?
ありとあらゆる嫌な予想が頭の中を駆け巡り、首に触れている手が震えだす。
「それ、王子がつけた傷跡なんですよぉ」
「き、傷跡って、私は王子に切りつけられたってことですか?!」
相変わらず、ユーリのセリフと言い方と表情が合致していない。
傷跡は上は耳裏から、下は鎖骨あたりまで、と広範囲に及ぶ。ちょうど頸動脈が走る部分に沿って出来ている。
指先に感じる脈動。頸動脈とは、出血過多なら死に至る場所だ。こんなところを切られては死んでもおかしくないはず。
「ち、治療をしてくれたんです、よね?」
手の震えが全身に伝播し、問いかける声さえも震えた。徐々に梓の身体から血の気が引いていく。
(確か、この人、王子と結婚して欲しいって言ってたよね……? こんなことをする王子と夫婦になれって言ったの?)
金魚のように情けなく口をパクパクさせるだけ。
「治療なんかしてませんよぅ」
ユーリが数歩、今ある場所から移動した。
彼の背後には鏡があり、どいたことによって鏡に梓の姿がしっかりと映る。
「鏡、見えますぅ? 傷跡って言っても、普通の傷跡じゃないって鏡を見ればわかるんじゃないかなぁ?」
鏡はとても大きい。全身鏡を三枚並べたくらいの大きさだ。
ユーリが移動したことで、チェアに座った梓と、梓の側に控え立つリシア、その二人を見守るユーリ、という順番になった。
ユーリ、リシアのプラチナブロンドの髪と違い、日本人らしい真っ黒な髪は鏡の中で目立つ。
梓は傷跡に添えていた手を上へと持ち上げ、髪で隠れていた首元がよく見えるようにした。
「ね? 切り傷じゃないでしょお?
稲妻のような、葉脈のような。一本大きな跡があって、そこから四方八方に分離していっている、そんな跡だ。色は痣に近い青紫色。
だがユーリが言う通り、打撲を負った時の内出血の色とは違っていた。
「王子は呪われているんです」
鏡越しにユーリと目が合う。彼の口調から緩さが抜ける。
「触れた者を殺してしまう、という呪いが王子にはありましてね。ここに来た日も貴方様は王子に触れられてしまった。そして死んだんです」
「え?」
「即死でした。救命措置を行うことも出来ないくらいに。でもそのすぐあと、聖女様は生き返ったんです。いやはや、聖女様の力は誠に素晴らしい」
「……ほ、ほんとうのことなんですか、それ」
「本当ですよ。聖女様が、貴方様が死んでいるのを私もリシアも確認しましたから。ねぇ、リシア? 心臓と呼吸が止まってるの君も確認してたよね?」
「はい、私も確認しました。……あの、聖女様、大丈夫ですか? ご気分が優れないのでは」
リシアが慌てた様子で近寄ってくるのも無理はない。
誰が見てもわかるほどに梓の顔色は真っ青だった。
梓は首に触れていた手を動かすと、ゆっくりと自身の胸元に持っていった。両手で胸元を強く握る。
(動いてるよ……? 心臓、動いてる、よ)
「王子は呪われているせいで結婚相手がいなくてねぇ。成人の祝いと共に成婚の儀をするのが習わしだっていうのに相手いないんじゃあ、準備すら出来ない。ちなみに呪いがあるなんて秘匿中の秘匿ですからねー? 王子に近しい人間しか呪いのことは知らないし、国民には絶対に知られてはいけない秘密事項です」
梓は今度は意識して呼吸をしてみた。もちろん吸うことも吐くことも出来た。
だが、どれだけ息を繰り返しても苦しいのが続く。自然と息が荒くなり、肺が痛くなってくる。
リシアが梓の背中をさすった。そんな状況でも、ユーリはお構いなしで話を続ける。
「代々昔から結婚相手を伴って挨拶をするのが王族にとっても国民にとっても当たり前だった。それがないとなれば、変な噂が立つ。ただでさえ良い評判がない王子なのに」
「兄さん、話はいったんとめて」
「噂っていうのは怖いものでして、口にする者が多ければ多いほど強い力を持つんですよ。例えば国を傾けるほどに、ね。なので王子の呪いを打ち消せる相手をずっと探していました。それが貴方、聖女様ってことです」
「兄さん!」
リシアがユーリを咎めるように大きな声を出した。
引いていた頭の痛みが復活してくる。ゴウゴウ、という音を立てて頭のあらゆる部分が痛んだ。
「さぁ、聖女様。我が国を救うと思って、王子と結婚してくれませんか?」
梓はもう座っているだけで精一杯だった。気を抜けば、床に倒れこんでしまいそうなほどに気分が悪い。背中をさすってくれるリシアの手さえも不愉快と思うレベルに。
「聖女様はそのためにクライツ王国に異世界から
頭を支えきれない梓にユーリの表情を見る力はない。
だが、彼が真意の読めない笑顔で
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