塔にて巡り合う

ひたすら、ただひたすらに


 梓は髪の毛を手櫛で整える。

 背中あたりまで伸びた黒い髪。日本人らしい髪はチェアで寝たことによって乱れていた。

 途中、ひっかかりを感じたのでよく見てみれば、数本の髪が絡まっているのに気がつく。

 


(長いこと寝ちゃってたんだな)


 

 毛玉を解きながら考える。

 ユーリとリシアと話したのが昼頃だとすると、四時間くらいはチェアの上で寝ていたようだ。


 来客がいたことも、布をかけてもらったことも気が付かないほどの深い眠り。

 どれだけ眠かったのか。それとも現実逃避で起きたくなかったのか。



(朝あった頭痛はもうない。気分もそこまで悪くない)



 髪の毛玉をほぐすと、今度は頭に触れた。

 朝、頭痛を感じ取った場所だ。

 米神をさすっても、痛みの名残はない。倦怠感も多少はあるが、横になっていたいほどでもなかった。



「こういうところは異世界に来てもかわらないんだなぁ」



 今は息苦しさもない。

 毎日学校へ行く前に家の近くのやしろへ参拝していただけあって、梓の身体は強い方だ。

 しかも社は裏山にあって、階段の段数は多く、急勾配きゅうこうばい


 幼いころにはその裏山が遊び場であったこともあり、野山を駆け回ることでついた体力はウィルスに負けることも滅多になく。

 不調があったところで、寝ればすぐ回復する身体を羨ましいと友達に言われたこともあった。



「もしかして、これって聖女の力?」



 自然と湧き出た疑問を口にし、慌てて首を横に振る。



(そんなことない……! あんな、枯れた花を復活させるような力はなかったよ!)



 この頑強な身体は育つ過程で培ってきたものだし、生まれる際に親からもらったものだ。

 梓の家族はみんな、程度の差はあるものの元気が取り柄の一家。だから聖女の力なんて最初から持ち合わせていなくて、今後もそんなのを持つことはない。


 そう思うのに、否定しきれない自分が嫌だ。

 梓は首元に触れた。そこには頸動脈に沿って、ケロイド状の跡がまだあった。



「……よし」


 

 梓は肩にかけていた毛布を取り、軽く畳んで床に置く。そして決意するように声を出すと、おもむろに目の前の窓を開けた。


 窓は閉まっていたが、鍵がかかっていたわけではない。すんなりと開いた窓に梓は安堵しつつ、努めて深呼吸をすると窓枠に足をかけ、



 「せいっ!」



 と、大きく前へ飛んだ。

 ……決して自暴自棄じぼうじきになって飛び降りたわけではない、考えがあってこその行動だ。


 もしもあの塔に行くなら。

 それを考えた時に、部屋を出るためには窓から出るのが良いと考えていた梓。

 というのも、部屋のドアから普通に外に出ては、見つかった際に連れ戻される可能性がある。出来れば内密にあの古びた塔まで行きたい。そして遠くまで見渡したい。


 ならばどうやってこの部屋から出る? 

 と、考えた時に思いついたのが窓のすぐそばの木に飛び移る、という計画だったわけだ。



「――っ!」



 ワンピースの裾をふわりと風になびかせながら、梓は木の枝へと飛び移った。

 健やかに伸び伸びと育っている大木。窓と枝の隙間、およそ一メートル。


 専門ではないが陸上部員として走り幅跳びの経験はそれなりにある。

 当時の記録を振り返っても、一メートルくらいは問題なし、と思って安易に飛べば、宙に浮いている時の不快感が全身を襲う。

 しかも体重に耐えてくれそうな太さだと信じて飛び乗った枝は、梓が片足を乗せた瞬間に弓なりにしなった。



(こ、のまま! 幹まで、いけっ!!)



 判断をミスれば一気に真っ逆さまに落っこちる、もしくは枝が折れて結局は落下だ。丈の長いスカートの裾が足に絡む、他の枝や葉が顔に当たる。

 だがそんなのもいとわず、梓は幹に向かって走り抜けた。



「っあ、ぶっなぁ……ッ」



 枝はしなるだけではない。揺れもすごく、ミシミシときしむ音に確実に寿命が縮んだ。

 反して幹はとてもがっしりしていて、梓が抱き着こうともビクともしない。梓は落ち着きを取り戻すまで、しばらく幹にしがみついていた。


 円周はゆうに三メートルはありそうな太さだ。とても安心する。

 落ち着く為にも幹に顔を寄せて深呼吸すれば、湿った、木の皮の匂いが肺の中を満たした。



(しかし、思ったより高い……)

  


 野山を駆け回って育っただけあって、梓は木登りが得意だ。

 といっても過去の話だが。

 小学校の高学年あたりからはそれなりに女子らしく生活してきたわけで。つまり得意と言っても、十年ほどのブランクがあるということだ。


 背丈が伸び、身体つきも成長したことによって、昔に比べて恐怖心が大きく育ってしまっている。幹にしがみつきながら地面を見ると、あまりの高さに立ちくらみがした。



「で、でも、もう戻れないし」

 


 梓はゆっくりと後方、自分が先ほどまで立っていた窓の方へと振り返る。

 またも目眩が起きて、幹を抱きしめている腕に力をこめた。


 枝と窓までの距離がここから見ると一メートル以上あるではないか。さらに枝は随分と細い。

 飛び越えられたのが奇跡だ、これは。随分と無謀なことをしでかしたと思い始める。



「~っ、降りよう! 降りるしかない!!」



 あんな細い枝を渡って部屋に戻るだなんて、出来っこない。

 ならば地面に向かって降りていく方がまだ成功率が高いはず。そう思い込んで、震え始めた足を奮い立たすように靴の中で握ったり開いたりさせた。

 


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」



 あえて声を出しながら一歩ずつ降りていく梓。ちなみに靴はリシアが部屋にあるのを教えてくれた靴を履いている。


 くったりとした生地で出来ていて、靴底はそこまで厚くない。初めて履いた靴で木登りならぬ木下りなど不安が大きかったが、靴の裏が薄いことで幹のコブを感じ取りやすかった。



(そういえば、私のローファーどこにあるんだろう。鞄も、スマホは電池切れてるだろうなぁ。って、雑念だめだめ! 集中!)



 れてしまった思考を頭を振って戻す。

 こんなところで余計なことを考えていたら、足を踏み外してしまう。

 梓は気合いを入れ直すと、服が汚れることも気にせず、幹にしっかりとしがみついたまま慎重に下っていく。


 そうして長い時間をかけ、ようやく靴先が地面の草に触れた時には、空の大部分がオレンジ色に染まっていた。



「っ急がないと……!」



 地面に無事に辿り着けたことを喜ぶ暇はない。服についた汚れを軽くはたき、一目散に走りだした。

 日が暮れてるまであと少し。もつれる足を梓は前へ前へと必死に動かした。



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