出会う


「よ、ようやく着いた……!」



 目的地は見えていたのに、たどり着くまでにかなり時間を要してしまった。というのも、庭園には衛兵らしき人が複数人見回りしていたのだ。


 梓は黙って部屋を抜け出してきた身。誰かに見つかれば部屋に連れ戻されてしまい、頑張って木に飛び移った努力が水の泡だ。

 道中、何度も身をひそめたり、遠回りしたり。本来なら十分弱あれば到着しそうな距離が倍かかってしまった。


 切れ気味な息を整える余裕もなく、梓はドアの取っ手へと手をかける。



(! あいた!)

 


 びついていてもおかしくないほど古びたドアは、予想に反して軽い力で開いた。金具が嫌な音を奏でることもなかった。

 開け放ったドアを前にして、梓は首を上方へ向ける。


 つたが全体的にまとわりついていて、大樹に間違えてしまいそうな塔だ。

 凄まじい生命力。自然と塔に巻きつき、誰かに手入れてしてもらっている様子はないのに生き生きとしている植物は、ところどころ小さな花も咲かせていた。



「しつれいしまーす……」



 外観の観察を終えると、今度は中へと視線を移す。ドアの向こうには照明などない。だからといって歩けないほど暗いわけでもなかった。

 いたるところにある窓からつた越しに夕陽が差し込んできているためだ。


 なにより塔の一番上、ドームのような天井部分はガラスで出来ていて、そこからも明かりが入ってきていた。きっと昼間であれば、もっと明るいのだろう。



 「誰か、……いますかねぇ?」



 小声で問いかける。もちろん、この塔の中であっても誰かに見つかりたくないからだ。もしも誰かいるのであれば引き返そう、そう決めて息をひそめた。



「いませんよねぇ……? いないなら、はいりますからね……?」



 返事は返ってこない。物音もしない。

 梓の発した小さな声が上に向かって反響するだけ。

 後ろ手にゆっくりとドアを閉める。入口が閉じた分、塔の中が少し暗くなった。



(うん。このまま行けそう。上に行かなきゃ。上を目指さなきゃ)



 梓は目が慣れるのを待ってから歩き出す。

 中は階段が壁伝いに螺旋状らせんじょうとなって上へ上へと伸びており、最上階まで何段あるのかはわからない。


 これはペース配分を気をつけなければ、途中でバテてしまう。だなんて、わかっているのに梓の足取りは早い内から随分と駆け足だった。



(日が暮れてきてる、もっと足を早く動かして……!)



 刻一刻と変化していく夕陽。

 階段を一段、また一段と上がるたびに、日が当たる場所が傾き、範囲が狭くなっていく。


 焦る気持ちが足の動かし方に如実に現れる。

 最初は駆け足ながらも音が出ないよう神経を張り巡らせていたのに、なかばあたりではそんなことなど頭からすっぽりと抜けていて。


 しかし梓の足は柔らかい靴のおかげで極めて小さな音しか出さない。

 履いていたのがローファーであれば大きな音が出て、塔の中でこだましていたはず。

 まさか履いてきた靴がここでも役に立つとは思わなかった。



「はぁ、はぁ、はぁ」



 果てしなく続く階段に肺と脇腹が痛む。少し休みたい、とか思ってしまう。

 そのたびに梓は胸を力強く叩いた。鼓舞するように、叱咤するように。


 そうして何度目かの平手打ちの後、ようやく階段が終わった。待ち望んだ最上階だ。



「と、とびら、だ……! まだ間に合う、はず!」

 


 息はもう絶え絶えで、膝も笑ってしまっている。梓は膝に手をつき、前かがみになると荒れた息を整えた。

 といっても猶予はそこまでないから、「すぅうう~、はぁあああ~」と深呼吸を三回ほど繰り返すのみ。


 暴れたままの心臓を他所よそに、目の前のドアのノブを掴む。そして一気に右へ捻った。最上階のドアは、塔の入口ドア同様に錆びついた音もなく開いた。



「?! ま、ぶしっ」


 

 ドアの向こう側はとても明るかった。あまりの明るさが目に沁みる。

 夕陽を遮るように片手で顔を隠しても、隙間から漏れてくるほど眩しい、強い光だ。



(部屋がオレンジ色……てことは日没までに間に合ったんだ!)



 だが、その光の力強さに安堵あんどする。

 眩しさから閉じかけた目を開き、前を見つめれば、壁にいくつもはめ込まれている大きな窓が視界に入ってきた。


 梓の真向かいが一際強くオレンジ色で染まっている。あそこが西側なのだろう。

 梓はドアを閉めることも忘れ、西日が差し込む窓へと動き出した。


 気持ちがますます焦る。早くあそこに行きたい。あそこへ……!

梓は勢いよく前へ一歩、足を踏み出した。のだが、



「?!?!」


 

 突如、右足が地面に触れる前に何かに引っかり、身体をしたたかに床へと強打する。

 予想だにしなかった衝撃に「うぅ、ぐっ」という声ならぬ声が出た。



「な、なに?! なにに、足をひっかけ、て……」



 咄嗟に受け身は取れたものの、額をぶつけてしまった。痛みに一瞬、視界が爆ぜた。

 肘も打ち付けたゆえにジンジンと痺れる。少しスライディング気味で倒れたのもあり、膝はヒリヒリと痛い。


 敷居にでも足を引っかけたのだろうか。と、痛む箇所をさすりながら振り返れば、目に入ってきた物に梓はすぐさま息を飲む。



「……怪しい人物が登ってきたかと思えば“聖女様”か」



 目の前に男が立っていたのだ。

 男は呼吸を忘れるほど、美しく、かつ綺麗。

 よわいは梓より年上、十八か十九くらいだろうか。



(この人は……)



 夕陽に照らされた男の髪の毛が、艶やかにきらめいている。

 男の持つ金色の髪。それは夕陽のオレンジ色と混ざり、感嘆してしまうほどのグラデーションを作り出していた。

 かたやあおの瞳は夕日の色を跳ね返すほどに深い色だった。海の底を彷彿とさせる。

 

 まるで御伽噺おとぎばなしにでも出てきそうなほどの男が、梓をじっと見下ろしていた。

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