窓の外は知らない国
(暇だな)
時間を潰す物がない部屋で、少女が戻ってくるのをただ待つ、というのは随分と難しい。
梓はベッドの上で、部屋の中を色々と眺めていた。
(暖炉……ドア……机……鏡……)
部屋に置かれている家具、備えつけられた建具、全てが豪華だ。部屋の中を見渡すなんて作業、もう何週繰り返しただろうか。
目を瞑れば配置図が描けそうなほど、見て覚えてしまった。
「……よし」
空になったグラスをデカンタの横に置いた梓は、極力音を立てないように細心の注意を払いながらベッドから這いだす。
もしかしたら部屋の外に誰かがいて、物音を聞き次第入ってくるかも、と考えたからだ。
慎重に足先を地面につける。今度は爪先だけじゃなく足裏全体に床の冷たさが襲ってきた。
「つ、めた……!!」
両手を口にあてて、声が漏れでないようにする。
暇を持て余した梓は結局、ベッドから降りて部屋の中を歩くことした。さっきまでは歩くことを躊躇していたが、歩き出してしまえばなんてことはない。
もっと早くから歩けば良かったと思う。
ぺた、ぺた、という音が豪華な部屋にとても不釣り合いだ。ちなみに通学のために履いていたローファーは降りてすぐ探しものの、やはり見当たらなかった。
鞄や制服も簡単に見た限りでは、部屋の中にはなかった。
(すごい。やっぱり本物だ)
手始めに暖炉を触ってみる。
梓は暖炉に上半身を入れて上を覗いてみた。煙が抜けるのであろう筒は、もっと焦げ臭かった。
(次は……窓にでも行こう)
ありがたいことに部屋は清潔そのもので、埃やゴミ、異物等は床に落ちていない。
裸足で歩いても怪我などしそうになかった。床の冷たさも時間が経てば徐々に慣れてくる。もう冷たいと喚くことはなかった。
中央に敷かれた絨毯を横断し、梓は窓へと向かう。外が見える窓に触れれば、ガラスの
(今は昼なのかな)
窓からは太陽光が入ってきており、おおよそ昼間であることはわかった。
額がくっつくほどの距離まで近寄って窓の向こう側を見ようと注視する。緑色だとか、黄色だとか、色とりどりの光が目に入って眩しい。
というのも、窓は複数の色ガラスを使用した、いわゆるステンドグラス風の窓なのだ。
梓の顔だけでなく、床も色ガラスを通った光によって鮮やかに照らされている。実に綺麗だが、窓の向こう側が見えにくくて仕方がない。
それでもなんとか目を凝らして奮闘していれば、窓の向こうには立派な庭園が広がっているのが見えた。
(! まるで……、漫画やアニメみたい。ここは、外国──?)
左右対称の庭は壮大で、世界史の史料集に載っていた中世ヨーロッパを彷彿とさせる優美さだ。
果てしなく広がる草花。動物などをモチーフに剪定された木々。悠々と流れる人工的な川と噴水。庭を十字に横切る舗装された道。そこに兵隊やら馬やらが通る。
「──っ、」
予想外の景色に声が出そうになり、梓はまた口元を咄嗟に手で塞いだ。
目の前に広がる日本らしからぬ景色の衝撃はなんたるか。庭を見つめただけなのに頭を殴られたような錯覚を起こす。収まっていた動悸も復活して。
梓は咄嗟に大きく息を吸って止める。そうしないとその場に倒れる、と直感的に思ったからだ。
(いまここで見るのを止めちゃだめだ)
無意識に窓から遠ざかりそうになる足に必死の思いで力を込める。
梓は尚も窓に顔を近づけて、もう一度庭園をよく見た。すると、
(あんなところに塔がある)
塔らしきものが建っているのを視界の端で捉えることが出来た。
近くまで行って確かめなければ実際の大きさはわからないが、それなりの高さはありそうな古びた塔だ。最上階まで登ればきっと遠くまで見渡せるだろう。
(もしかして、あそこからなら違う景色が見えるかもしれない)
まだここが日本である、という可能性はゼロにはなっていない。例えば──ここがどこかのスタジオであるということもあるわけで。
あの塔に登れば、
「どうやったら、あそこに行けるかな」
「何の話ですぅ?」
「?!?!」
そう考えて不意にこぼれた独り言に、唐突に問いかけをされる。
聞き覚えのない低い声が耳元で聞こえ、梓は驚きから飛び跳ねた。
と同時に数歩、横へと移動した。
「いやぁ、いつ見ても
窓のすぐ側。ガラスの向こう側の景色を梓が見ていた時と同じように、背の高い男が庭を見ていた。男の顔がガラスと太陽光によって色鮮やかになっている。
カチャン、という音がした。どうやら男がつけている眼鏡の金具が窓に当たったようだ。
男が「おっとっと」と
「集中して見ていたところをすみませんねぇ」
「あ、いや、その」
眼鏡の奥の細い瞳が笑う。口元も弧を描いていて
背丈も高く、ヒョロッとした細い骨ばった体躯がより一層男の雰囲気を悪い方向に上乗せする。
(歩いていたことが怒られる?! でも部屋からは出てないし、そもそも歩いちゃ駄目とは言われてないし……。あ、裸足なのがいけないとか?!)
あらゆる考えが梓の脳内で飛び交う。梓の動揺具合は伝わっているだろうに、男は笑みを携えたまま何も喋らない。
しかも不気味な笑顔を崩さず、梓の方へと一歩近づいてきた。
梓はその分だけ後ろに下がり、男から距離を取る。また一歩、男が近づく。すぐさま男から遠ざかる。それを数度繰り返し、背中が壁に触れた時、
「兄さん!」
「うぐぅっ……!」
可憐な声と共に空気を切る音が聞こえた。そして追随して耳に届いた鈍い音。
いわゆる打撲音に梓が目を
「聖女様に失礼でしょ!」
「リシア……すごい良い打撃だったよぅ……」
「人の話を聞いて!!」
そう言って男を詰めるのは、目が覚めたばかりの梓の様子を見に来た少女だった。
少女は床の上で
(見た目に反してすごい声量だ)
彼女は一体、どこで息継ぎをしているのだろう。華奢な身体のどこにあそこまでの声量を出す筋肉があるのだろう。
男に降る言葉の数々は豪雨のように激しい。背の高い男は身体を精一杯小さく縮こまらせて、言葉の雨に耐えるように頭へと手をやった。
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