第一部

はじまり-1



 葦原あしはら あずさは至って普通の女子高校生だ。

 勉強は得意なのもあれば不得意なものもある。友達は多い方だが、相性の良くない相手だっている。

 所属している陸上部ではほぼ毎日練習をしているが、自分には秀でた才能はないのだと悟った上で活動している。際立った特技も持ち合わせていない。


 本当に平々凡々な人間だ。だが、平々凡々なりに毎日は充足している。

 新しいお菓子を友達と食べるのは楽しいと思うし、テストでヤマが当たると嬉しい。

 昨日と今日の差がそんなになくても、不満を持つことはない。過去が平凡な人生なら、今後も平凡な人生だ。

 楽しいと思えることがあるなら問題はない、そう思っている一女子高校生が梓だった。



「ここ、どこ?」



 なのに。一体なぜ。

 


「どうしてこんなところにいるの?」



 ポツリ。梓の呟きが誰に拾われることもなく消えた。

 自室でもない、保健室でもない、梓は見知らぬ場所で目を覚ました。



「っつ……。頭、痛い」



 脈打つような頭痛に不意に襲われて顔をしかめる。視界が痛みに呼応して明滅を繰り返した。米神がおでこが眉間が、頭のあらゆるところが痛い。

 ここまでの頭痛、初めての経験だ。

 梓は努めて深呼吸をする。痛みを遠のけることを意識して、ゆっくりと。

 すると徐々にだが頭痛が引いていく。といっても完全には消えず、頭痛の尾鰭おひれが片隅に残った。

 痛みが強かった部分を手でさすれば、手がじっとりと湿る。

 


(うわー、脂汗出た。なにこの痛み。頭、怪我してるの?)



 もしかして外傷による痛みか?、と頭を両手で確認するも、傷跡といった特筆すべき違和感が指先に伝わることはない。どうやら痛みは外傷起因ではなく、血管系が原因のようだ。

 梓は次に手を目の前まで持ってくると、グーパーと何度か握ってみた。



(手には異常はないか……)

 


 手に痺れなどはなく、動きもぎこち悪くない。至って普通。

 裏、表と確認するが、色等の見た目的な変化もなかった。



(って、え?! 何この服?!)



 だが、変わり映えのない手に安堵したのも束の間。手のひらのその先、腕が違っていることに大きく驚く。

 なぜか知らない服を着ているのだ。

 梓は布団をはぎ、慌てて下半身を確認した。

 やはり下半身も知らない服を着ている。

 いわゆるワンピースと呼ばれる、白い一枚着。

 着て、とわれても速攻で拒否しそうなほどフェミニンな服は、ふんだんにレースやフリルがあしらわれていて。こんな服、梓のクロークには存在しないものだ。それに梓の服の趣味でもない。

 


「待って待って。どういうこと?」



 ますます状況が掴めなくなった梓は、寝具の確認もしてみた。

 つい先程まで寝かせられていたベッドのシーツを撫でる。肌がひっかかる様子が一切なく、とてつもなくなめらかで、自分の部屋のベッドのゴワゴワしたシーツとは全く違う。

 もちろん保健室のシーツとも違っていて。ひと触りしただけでわかる高級シーツは、きっと病室でも使うことはないだろう。

 改めてここは自室でもなければ保健室でもなく、更に言えば病院でもない。

 では。どこなんだ、ここは。



「いった、」



 またも頭痛がこめかみ辺りを走り抜け、梓は顔を歪ませる。起き抜けの時ほど巨大な痛みではないが、頭をとっさに抱え込む程度には痛い。

 今度もまた呼吸を繰り返し、痛みが引くのを待つ。



(ほんっと、痛い、この頭痛……。頭痛薬欲しいけど、頭痛薬なんて持ち歩いてないよ)



 梓の身体は元々頑丈な方だ。頭痛や発熱が起きることは滅多にないので、薬は持ち歩いていない。まぁ、持ち歩いていたとしても知らない服を着ているし、スクールバッグが手元にないから飲みようがないのだが。



(あー、上向いてる方がちょっと楽かも)



 呼吸をする際に下を向くよりも上を向いた方が楽なことがわかり、梓は頭を上に向けて動かすと深く息をした。

 ズキンズキンと痛みが頭の中で響くのに耐えながら、所狭しと花のレリーフが刻まれている天井を眺める。



(あれ? なんか、この天井に見覚えあるな……)



 豪華なベッドにふさわしく、豪華な天井にはなぜか見覚えがあった。

 でもやはりここがどこかなのかまではわからない。

 


「……学校に行く前に裏山のおやしろに寄り道して、それで、」



 痛みがある中、梓は必死に記憶を掘り返す。

 朝ごはんの内容。出掛ける前に家族とした会話の中身。道中、友達に送ったスタンプの絵柄。



(そこから先が全く思い出せない――)



 しかし、毎朝の日課となっている裏山のおやしろへお参りしたところで記憶がぷっつり途絶えているのだ。

 まるでもやがかかったように、特定の箇所だけがぽっかり欠如していた。



「とにかく、帰らなきゃ」



 梓はベッドから足を下ろす。すると靴下を履いていない足に床の冷たさが伝わった。

 部屋全体に絨毯は敷かれておらず、中央に置かれたテーブルの真下に設置されているのみだ。

 それ以外は大理石に似た床で、あまりの冷たさから裸足で歩いていい床ではないと理解した。

 家を出る時に履いていたローファーはベッドの近くにない。一瞬で冷たくなった足先を手で温めてながら梓は考える。


 降り積もる雪のように不安が募っていく。

 自分の記憶にはない場所。どうやって来たのか、どうして来たのか。手段も経緯も原因もわからないということが、こんなにも怖いだなんて。

 “帰らなきゃ”。

 そう口にしたが、帰り道などわかるわけがなかった。

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