偽装結婚は昨日でおしまい。聖女である私が呪いを解いたので、今日から私たちは本当の夫婦です!

東もも

第一章

はじまり

1.偽装結婚、そして主人公の死


 目の前の光景は圧巻で、壮観だった。


 クライツ王国の王都・ティアード。そのティアードは王都というだけあって文化も経済面もとても栄えた都市だが、斜面や坂道が多いことでも有名な都市だった。

 

 小高い山を切り出して発展した都市は、低い位置から平民街、貴族街と位が高い者ほど標高の高いところに住み、その最たる者が王族の住むティアード城だ。

 一番高い位置に聳え立つティアード城のバルコニーに立つと、王都が見下ろす形で一望できる。


 正午を知らせる鐘が鳴った。上空を白い鳥が何羽も飛んだ。バルコニーに面した中庭には王都の人々が多く押し寄せている。だが中庭に全ての王都の人々が入れるわけではない。中庭に入れなかった国民は沿道に連なって、皆が皆、ティアード城を見上げていた。


 国民が持つクライツ王国の国旗が揺れる、国民が舞いあげる花びらがフラワーシャワーとして王都を彩る。

 彼らはみな口々に言う。「クライツ王国万歳!」「ご結婚おめでとうございます!」と。響き渡る声は空気だけでなく、大地にも響いた。


 今日はクライツ王国にとって良き日、めでたき日だ。なぜなら、第一王子の十八歳の誕生日であると同時に、結婚式――成婚の儀であるのだから。



「もう少したおやかに手を振れ」

「やってますよ」



 バルコニーにて国民に向かって手をふる男女。

 新婦は青い生地に白い糸で丁寧に刺繍を施されたウェディングドレスを身に纏い、レースをふんだんにあしらったトレーンに、これまた上質なベールが重なる。


 新郎は白い生地に金の刺繍を施した婚礼衣装を着こなし、赤いサッシュを右肩から左わき腹に向けて斜めにかける。

 国民の喝采を受け、笑顔や手を振り返す二人は、誰がどうみても幸せそうな新郎新婦だ。



「手の位置が下がってきている。気を抜くな」

「わかってます」



 だが、それは虚実。この二人の間に真実の愛などない。それのいい例として、上記のように男が女に吐く言葉は、結婚式にそぐわないほどに淡々としたものだった。


 もちろんあずさの笑顔も作り物。圧倒されるほどの国民の熱気に、梓の足はウェディングドレスの中で小刻みに震える。


 梓は自身の隣に立つ男――キラを横目で見た。突如この異世界にやってきて、付け焼刃的に貴族らしく振舞う練習をした梓に比べ、キラの立ち振る舞いは完璧だった。


 彼のサラリと流れる癖のない髪の毛は、光り輝く麦の穂のように金色で。

 美しい睫毛が添えられた濃淡のある瞳は、果てしなく広がる大海原のような碧い色で。



(いつ見ても、彫刻のような顔立ち)



 見目麗しいだけでなく、体躯も整った彼は彫刻のようであり、絵画のようであり、御伽噺から出てきた王子そのものみたいだった。



「キラ様、そろそろ」

「わかった。アズサ、部屋に戻る」

「はい」



 そばに控えていた秘書官がキラに耳打ちする。そして彼は梓に手を振るのをやめて部屋に戻るよう言った。

 バルコニーの掃き出し窓を秘書官が開く。城の中、廊下では梓に付き従う使用人と、今日この日のために駆り出された複数の使用人や衛兵が控えていた。


 城の中へと戻る二人に、更に国民が大きな声で祝いの言葉を投げかけた。二人はその声を聞きながら、廊下へと突き進む。すると廊下に控えていた使用人たちが一斉に頭を垂れた。



(キラ王子は元々王子だから平気なんだろうけど、こんな恭しい扱い……やっぱり慣れない)



 先陣を切るキラはやはり王子らしく、堂々と歩いていた。対する梓は慣れぬ空気に気圧されてしまって。必死に澄ました顔を作る梓の心臓は過去最高に早鐘を打つ。



「この後は少しお休みしていただいた後、馬車にて教会に向かいます」

「あぁ、わかった」



 全身を駆け巡る血液がドッドッドッという大きな音を立てる反面、頭からは血の気が引いていくのを感じた。

 控室の前にて、キラが秘書官と今後の流れを話している姿を見つめる梓。そんな梓はずっと、早く休みたい、と思っていた。可能ならヒールもドレスも脱いでしまいたい、と。


 控室のドアが開き、室内が視界に入る。どうやらバルコニーで国民に向けて挨拶をしていた間に誰かが部屋を整えておいてくれたらしく、部屋を出発した時にはなかったお菓子やお茶の類がテーブルに並ぶ。


 その匂いは張りつめた気持ちをホッと緩めてくれる。だからだろうか。梓は控室に入ろうとした瞬間、ドレスの裾を踏んでバランスを崩してしまった。



「あっ、」

「?!」



 そして目の前にいたキラに身体がぶつかり、彼の手を触ってしまい――梓の呼吸は瞬く間に止まった。

 床に倒れた梓の心臓はあんなにも早鐘を打っていたのに、もう動くことすらない。遠ざかる意識の中、誰かが息を飲む音が聞こえてきた。

 


「早く起きろ」



 そう耳打ちするのは梓を殺した張本人、キラだ。

 ブラックアウトしていく視界に、彼の深い碧の瞳が梓を見下ろすのがわずかに見える。彼の耳飾りが左右に揺れるのも。



――早く生き返らなければ。



 身体が一気に体温を失っていく。なのに梓の思考は、自分が死んだにも関わらず随分と落ち着いていて。


 というのも、梓が死ぬのはこれでなのだ。梓はクライツ王国に来て一ケ月、すでにキラの呪いによって。そしてそのたびに


 今もほら、多少の時間は要するものの、止まったはずの梓の心臓と脈拍が戻ってきた。

 無事に目を覚ました梓にキラが言う。



「聖女の力は健在だな」


 

 相変わらず淡々とした声で。

 葦原あしはら あずさ、十七歳。ただの女子高生だった少女は、異世界に来てしまったがゆえに聖女となり、呪われた王子に請われて偽装結婚することになってしまったのだ。

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