呪われた王子とのかりそめ婚〜いつかあなたと本当の結婚がしたい〜

あずま もも

プロローグ



(あ、死んだ)



 あずさは直感でそう悟った。


 白い大理石に黒髪を無造作に広げて、四肢を力なく放りだした自分の顔はとてつもなく青白い。生命が宿っていなさそうなほどに。

 いや、本当に宿っていないのだ。

 生まれた頃から付き合いのある身体だ。その身体がマネキンのような物体になり果てたことなど、自分のことだからこそわかる。

 そして自分が今、魂と呼ばれる状態なのだということも。

 梓はける手で目の前に横たわる身体に触れてみた。しかし触った感覚も、触られた感覚もなく、ただ手が通り過ぎるだけ。

 たしかに梓は



「いやだ、噂は本当だったんだわ」



 恐れがにじみ出た声が聞こえる。声がした方を向けば、年若い女性二人が肩を寄せあうようにして、お互いに聞こえるだけのボリュームで話していた。

 給仕係なのか、使用人なのか。二人とも足首丈まである黒いワンピースに白いエプロンという格好だ。脇に抱えた銀色のトレーは女の動きに共鳴して震えていた。



「わ、私、死体なんて初めて見た……」

「私もよ。怖いわ、王宮での仕事は給金が良いからと聞いていたけど、こんなことって……」



 彼女らが言う死体とは言わずもがな、梓のことだ。

 二人は梓から距離をとるために、少しずつ後ろへと下がっていく。ここに居たら自分たちも死んでしまいそう、とでも言い出しそうな態度だった。

 そうして下がれるところまで下がり、両開きのドアに背中が当たったところで二人の足が止まる。豪華な装飾を用いた重厚なドアは、女たちが当たったことで鈍い音を響かせた。



「……ひぃっ!」



 悲鳴はどちらの声だろうか。もしかしたら両者から出たものかもしれない。



「あ、あの、その、わ、私たち……っ」


 

 声を震わせて言う様は、床に転がる梓の身体よりも血の気がなかった。

 怯えに染まった顔は涙すら零す。



(何に怖がっているの?)



 最初は梓に対して恐怖を見せていたのに、二人は今は違うものに目を向けている。

 梓は立ち上がって彼女たちへと近づく。魂ゆえに足音すら発生しない。そして魂ゆえに彼女たちの側に立っても、怖がられもしないし悲鳴もあがらない。

 四つの瞳の前で手をヒラヒラさせても、気が付いてもらえなかった。



(貴方たちが怖いって言ってた死体の中身がここにいるのになー。変なの)



 死に直面しているのに梓がこうも他人事なのは、あまりにも突拍子のない事象だからだろう。

 魂状態になって抜け殻と化した自身の身体を眺めるなど、生きてきて体験したことがなく。もちろん想像だってしたことがない。現実味がないからこそ、こうも落ち着いているのだ。

 誰にも気が付いてもらえないことに梓はなげくこともせず、ゆっくりと周りを観察してみた。

 部屋には怖がる使用人二人の他に、白い服装に身を包んだ男女がいるのに気がつく。

 男女は怖がることはしないが焦った顔をしていた。



「だ、誰にも言いません! 言いませんから!」



 使用人の片方がそう言うと涙を流し、もう片方は腰が抜けたのかその場にうずくまる。ぼそぼそと呟いている名はきっと父と母の名なのだろう。

 うずくまった彼女の頬に指を沿わせて涙をぬぐってやろうと試みるが、触れることなく手は通り抜けた。彼女もやはり梓の優しさに気が付かないまま、ただただ涙を流すばかりだ。



(困ったなぁ)



 魂の状態だと本当に何もできない。自分がいますべきこともわからない。

 さて、どうしたもんか。

 梓は困った末に天井を見上げてみた。天井も豪華な造りだ。友達に借りてた漫画に出てきた中世の城に似ている。



(あ、花だ)



 天井には花の模様がついていて、窓から差し込む陽の光によって輝いて見えた。

 手を伸ばして触ってみようとする。しかし、梓の身体は浮かない。魂は浮遊出来ないらしい。



(うーん、どうしたもんか)



 悠長な梓を他所よそに、未だに使用人二人の悲鳴じみた声は聞こえてくる。

 梓は使用人を見て、白い服を着た男女を見て、次に自分の身体──を見た。


 相変わらず横たわったままの身体は、誰かに救命措置を取ってもらえている様子もない。

 だからだろうか。少し先ほどよりも顔色が変化してきている。

 青ではなくくすんだ茶色みたいな……と思ったところで、カツンッという音が耳に届く。

 靴が床に触れる音だ。音がした方に振り向けば、男が淀みのない動きで靴を鳴らして歩いてくる。

 部屋には梓を除いて全部で五人いたようだ。男はその最後の一人だった。

 なぜこの男に今まで気が付かなかったのだろう、と思うほどに目を離せない。



「……」



 男は歩みを止めると、黙ったまま使用人二人に視線を向ける。その視線は強く、鋭い。

 見えてないはずの梓も見つめられているような錯覚さっかくを起こしてしまうほどに。

 男の深いあおの瞳は何を考えているのだろうか。綺麗な瞳だからこそ、冷たく、恐ろしかった。



「お、お許しください……っ」



 どうやら使用人たちはこの男を見て身体を震えさせていたようだ。涙で濡れた顔で懇願こんがんする姿は恐怖に染まり切っていた。

 男がゆっくりと口を開く。形の良い口だ。いや、口だけではない。

 男は眉も鼻も、顔の大きさも。首から足先に至るまで実に見目麗しい姿をしている。


 そんな男が発する声はどんなものだろう、とありもしない固唾かたずを飲んだ時。

 梓の視界はブラックアウトした。



 

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