オカルトバスター・アルバイターズ

橋本秋葉

【File00】怪異退治のアルバイト

1.地獄


   1



 僕が思うに、たぶん地獄というやつは向かう場所ではなく出迎えられる場所なのではないか。つまり自分の足で地獄に出向くというよりかは、地獄の方が迎えに来ていて、対象を奈落の底へといざなうのではないか。うん。しかもたちの悪いことに地獄というやつはまったく気配もなく、音もなく、気がつけば背後にいる。


 地獄は背後に立っていて、首に手を掛けてきて、振り返ったときには布で顔を覆われている。叫ぶことすら許されない。なにが起きているのか分からない。呼吸すら満足に出来ないような状況で、淡々と肉体を殴打されて戦意が消えていく。腹。腹。顔も一発。また腹。強烈な衝撃と痛み。うげぇっ。なになに? これなに? 頭は白く染まり、そして力を失った身体は引きずられていく。どこかへ。やばい死ぬかも……?


 というか、殺される?


 なんて思っているうちにどうやら車に乗せられたらしく――運ばれること、どれくらいだろうか? あるいは顔に被された布には特殊な薬品でも振りかけられていたのかもしれない。僕は眠っていたのかもしれない。はたまた視界を塞がれているから時間の感覚が薄いのか? とにかく、どれくらいか。僕は車に乗せられ(たぶん後部座席)、両手を後ろ手に拘束された状態でしばらく過ごし、あるところで、降ろされた。


 不思議と恐怖はなかった。諦めがあった。


 布の代わりに目隠しがされていた。両隣をがっしりとした人間(たぶん男たち)に挟まれていて、その熱量で、冬だというのにやけに暑かった。汗ばむほどに。そしてすこし歩き、階段を上り、どこかの部屋へと入らされる。


「靴を脱げ」と囁かれ、言うことに従い、また歩かされて――今度は耳許みみもとで「座れ」と命じられる。


 もちろん断ることはなく、僕は自然と、正座する。


 目隠しが外された。


 光が眩しかった。天井の照明が明るい。僕は状況認識に努める。こぢんまりとした部屋の中だった。僕は正座で座らされている。両隣にはスーツを張り切れんばかりに膨らませた屈強な男たちが立っていた。間違いなく僕を挟んで連れてきた奴ら。そして正面――目に入るのは、紫煙だ。机に置かれた灰皿、そこに横たわる葉巻、煙草よりも線の太い紫煙がくゆり、天井へと、上っていく。


 天井は黄ばみ、小さな換気扇が、からからと音を立てながら回っている。


 そうして紫煙の張っている薄暗い膜の裏側、黒革のソファに浅く座ってこちらを見下ろしている人影があった。紫煙の切れ間、ニコニコと笑う、皺だらけの口元が見える。やがて紫煙が晴れ、現れるのは、まるで骸骨みたいにしわがれた、線の細い老人だった。


 老爺。


 そして僕は老爺の笑みを見て自覚する。自分が地獄に堕ちてしまったということに。そうだ。目の前の老爺も、両隣の男達も、全員が地獄からの迎え人なのだ。


 ああ。


 僕は地獄に迎えられてしまったのだ。


 さて。


 いまこの空間に漂っているのはなんともいえない微妙な沈黙だった。およそ三十分以上、僕も老爺も無言でいた。両隣の男たちも無言だった。空間は無言に支配されていた。ただ僕のこめかみから汗が垂れ、顎に滴り、そして膝に落ちていく音だけがあった。いや。嘘だ。汗の落ちる音なんて存在しない。音はない。


 沈黙。


 汗が垂れるのは熱いからじゃない。痛いからだ。殴られた箇所が遅れて痛み出していた。腫れている感覚もあった。頭、腹、あとなぜか背中も。……喋れない。喋れないのはどうしてか。喋るべき言葉が見当たらないからだ。


 それに、シミュレーションしてみれば僕の発言のすべては滑稽である。たとえば「ここってどこですか」「どうして僕はこんな目に遭っているんですか」「なにが起きているんですか」なんて質問、あまりにもくだらなすぎて自分でも失笑してしまうだろう。


 なにせ自分で分かっている。地獄が迎えに来たという状況の原因を、僕は僕自身でちゃんと理解している。


 自業自得。


 僕はたぶん、悪党だ。これまでに自分が働いた悪事というものを思い出していく。悲しいくらいにたくさんある。涙は出ない。後悔もない。反省は「もっとうまくやれたなあ」というものばかり。主に騙し。「もっとうまく騙せたなあ」なんて。


 相手は選ばなかった。それこそ現状――地獄として僕を迎えに来たヤクザ達だって、直接的にも間接的に、騙したことがある。


 そうだ。ヤクザだ。ヤクザだろう。僕は正座して痺れた足をすこしだけ崩して両隣の男達を窺う。もう顔つきがヤクザだ。次に自然と姿勢を戻し、正面の老爺をまじまじと見る。


 老爺は相変わらず笑っている。好々爺然とした笑みで、それこそ本当に気のよさそうな穏やかな笑みで、もしもここが電車であったならば間違いなく席を譲っていたであろう笑みを湛えている。……気持ち悪すぎる。あまりにも無気味すぎる。


 くゆる、紫煙。


 やがてようやく沈黙を裂いて、いや、それはひとつまみの塩を床に落とすような声音だったから、裂くというよりかは針で突くといった方が正しい。沈黙に小さな穴を空けたのは老爺だった。老爺は色素の薄い唇を開けて、そしてやけに白い歯を見せながら、呟く。



「ゼンタロウくん」



 ああ。名前を知られているのか。いや。それはそうか。



「きみは、地獄にあってもなお、恵まれているよ」



 声は思いのほかに軽い。若くもある。なんとなく僕のイメージから外れる。そしてそれはたぶん老爺がいままで言葉を発する必要性に乏しかったからだろうとも思った。つまり老爺は若いときから偉い立場にあったのではないだろうか? 似非えせではない、本当に偉い立場というものに。声を荒らげる必要すらもない立場というものに。


 僕は答えようとして、けれど咳き込む。喉の奥が乾いてひっついていて言葉が出てこなくて、そして老爺の二の句を耳に入れることしか出来ない。



「わたしは、優しいことで評判なんだ」



 老爺の笑みは崩れない。


 僕は咳の涙で滲む視界に老爺の顔を捉え続ける。両手を後ろで縛られているから目を擦れない。けれど滲んで歪んだ視界、老爺の顔が、真顔に戻ったような気がした。



「最善のを、きみに、用意している」



 声は穏やかで、優しく、まるでゆりかごのようで、もしかすると僕はこの状況においてなにかを捲し立てて、さっきシミュレーションして失笑したような質問を投げかけるべきなのかもしれないのに、なにも言えない。一体どういうことなんですか? なにが起きているんですか? と、せめて、たとえ馬鹿みたいな質問だと分かっていたとしても、問いかけるべきなのに。


 僕のアイデンティティは、人を食ったかのように喋って相手をペテンに掛けたりなだめたり誘導したりすることしかないというのに。


 僕は、なにも言えなかった。


 なにか言うべきなのに。


 僕は、負けていた。


 精神的にも状況的にも。


 老爺は貼り付けた笑みの皮を崩さずに言う。



「きみの負債額は、およそ八百万円。大丈夫。良い仕事先を、紹介してあげるから」



 ――もしも人生に岐路というものが存在するならば、それはやはり今日この瞬間しかあり得ず、きっと十年後も二十年後も五十年後も、それこそ老いて死に果てるそのきわであったとしても、僕は振り返り、思うのだろう。今日この日が人生の岐路であり、僕の人生が決定的に変わってしまった瞬間であると。



 そして僕は怪異退治なる仕事に足を踏み入れることになった。




 

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2024年12月21日 19:03
2024年12月22日 19:04

オカルトバスター・アルバイターズ 橋本秋葉 @hashimoto_akiba

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