第二夜

 血の味がした。口内がぬるぬるとして不愉快だ。なんだか噛み合わせが悪い。きちんと歯を閉じると右側の奥歯がズキズキ痛む。顎の広さが足りないような気がする。


 進学せずに働き始めた妹が実家から出ていって、私一人になったばかりの子ども部屋だった。寝ていた体を起こすと、古い木製のベッドがミシミシと音を立てる。床がいつもより散らかっている。具合が悪い。

 外は明るかった。南東を向いた大きな窓からたっぷりと日が差している。遮光機能の無いカーテンなんか開ける必要も感じなかった。


 何度唾を飲み込んでも、口内の不快感は無くならない。車酔いをしたときのように気分が悪い。ついに吐き気を感じて小さいプラスチック製のゴミ箱を手繰り寄せる。珍しく中身が空だった。

 私はフローリングに膝を立てて座り、膝の間にゴミ箱を抱えた。そのまま中を覗き込むように背中を丸めて、意を決して大きく口を開ける。気持ちが悪くて狂いそうなぐらいなのに、口の中からは唾液の一滴も落ちなかった。代わりに漏れる呼気が血なまぐさい。ああ、やはり具合が悪い。


 一度、諦めて口を閉じる。上を向いて背伸びをしたあと、必要以上にゆっくりと深呼吸をした。その程度のことで気分が楽にはならなかった。


 せめて血の出処が、鉄の味の原因が知りたかった。口を閉じたまま、恐る恐る舌を動かして口内を探る。上顎についた舌が裏から歯列をなぞったとき、歯並びに違和感をおぼえた。

 端的に言えば、歯が多かった。元々ある上の歯の内側にもう一列、ガチャガチャと歯が生えているようだった。上の歯を二列並べるには上顎の広さが足りないようで、特に犬歯があるあたりの歯は抜けてしまいそうな気配がする。それを舌でつつくとぐらぐら揺れる。歯の根元からじわりと鉄の味が広がる。


 膝に抱えたままのゴミ箱にもう一度向き直る。先程よりやや控えめに口を開けて、ぐらぐらとしている歯を舌で思い切り押し出した。微かにちぎれるような音がしたあと、カラコロと三本の歯がゴミ箱に落ちた。痛みは感じなかった。

 歯が抜けたことを確かめるために、再び上顎から歯列の裏を舌で辿る。内側の列に三本分のスペースが空いているはずだが、その隙間を見つけることはできなかった。上顎には歯が抜ける前と同じように所狭しと歯が並び、やはり犬歯と周辺の数本が不安定に揺れていた。


 私は繰り返し不安定な上の犬歯を舌で押し出した。押された歯が抜けてゴミ箱に転がる。舌を口の中に戻す頃には、また抜ける前の不自然な歯が揃っている。また同じ場所の歯を押し出す。抜け落ちる歯は一本だったり二本だったり三本だったりした。バラバラ、カラカラ、コロコロ。ゴミ箱の底に同じ形の歯が溜まっていく。口内のいらない歯は一切減らない。

 歯の根元から滲む血の味が、舌に染み付いて離れない。噎せ返るような血の匂いが口の中に充満している。抜け落ちる歯と同時に滴った唾液が、普段通りの無色透明であることを不自然だと思った。


 そんな夢を見ていた。

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ある日の夢の話 流石海 @umi_umi_umi_

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