成長しない二人

誠 杏奈

成長しない二人

『925日目』


「今日も暇だね。」


 京泉凛きょういずみ りんは窓側の最後列の席に座り、後ろを向いて机越しに冴島渡さえじま わたると対面している。そして椅子の背もたれに肘を置き、指をさすっている。冴島は特に何も言うことなく頬杖を突きながら、ただ開いている窓から外を眺めていて、ただただ茫然としていた。二人はいつもどおりそこに座り、いつもどおりになんの変哲もない会話をしている。ただ異なる点は二人の服に少しだけ、けれど5メートル離れていても気づくことができるような血が付いていた。のだろう。異様な光景のはずなのにもはや当たり前のこととして受け入れることができるようになっていた。

 天高くに輝く太陽は教室に光を注ぐ。照りつけるような暑さも、肌を震わせるような寒さもなく、いつもどおり人にとって過ごしやすい温度である。木造の校舎だから外の気温もそんな感じなんだろう。変わらず教卓があり、変わらず生徒の座るべき椅子と向かうべき机があり、そして変わらず教室の窓と扉は開いている。相変わらず窓から風が吹く様子も、教師が窓や扉を出るときに閉めるように注意することもない。そもそもこの校舎の中に人の気配すらほとんどない。


「ちょっと聞いてんの?」


 京泉はしびれを切らしたのか冴島に対して顔をしかめて怒ったようにそう言った。冴島は本当に聞こえていなかったのか驚いた顔をして京泉のほうを向いた。京泉は冴島が顔を向けた瞬間、うれしそうに破顔した。手遊びも止めて目を輝かせたその姿は太陽のようだった。


「ごめん、聞いてなかった」


「暇だねって言ってんの」


「なんだ、そんなことか。いちいちそんなこと聞いてくんなよ」


冴島は呆れながらも笑って見せた。冴島と京泉は二人ともこの状況を楽しんで、暇をつぶしていた。なんの変哲もないこの状況を。


「また太陽見てたの?」


京泉は冴島に聞く。冴島は「うん」とだけ答え頷いた。一気に二人は神妙な面持ちとなってしまった。ただ京泉が携帯を取り出し、冴島の写真を撮った。「勝手に撮るな」と怒る冴島を意に返さず京泉はもう一度写真を撮った。再び京泉の笑顔が輝く。冴島はあきらめたのか「もう好きにしろよ」と言いながら腕を組み、口角を少し上げた。京泉も遠慮なく写真を撮った。「敢えて、フラッシュ」と言って、携帯のカメラレンズが光出した。その光は太陽の光よりも輝き、熱を帯びていたのはたぶん気のせいだ。「眩しい」と冴島が目を覆っているうちに京泉が写真を撮る。滑稽なようで、美しい。


「寝る時間まだかな」


京泉は先ほどの表情から一変してまた不安そうな顔をした。冴島はそんなことを気にする様子もなく「寝るなら勝手に寝ればいいだろ」と鼻で笑いながら言った。京泉は携帯を眺めてその画面を冴島の方に向けた。


「まだなんだよ。今寝たら生活習慣が崩れるって」


「なんでそんな時間のこと気にすんだよ。さっきみたいに好きに写真撮るのと同じで、寝たいときに寝ればいいだけだろ」


冴島は京泉を避けるように廊下側に顔を向けた。冴島の後頭部に太陽の光が降り注ぐ。


「渡くん、何回も言ってると思うけど生活リズムを一定に保つかどうかって命にかかわることなんだよ。それは渡くんも気づいてるでしょ? 寝る時間が決まってなきゃ、いつ寝ればいいかわからないじゃん」


冴島は下を向く。


「渡くんさ。現実みようよ。あんなことがあってもう二年半が経ってるんだよ。もう諦めたらどう? 希望持つの」


冴島はため息をついた。顔を上げたものの目線の焦点は全くあっていない。


「俺たち二年半、何してんだろうな」


顔をゆっくりと京泉のほうへ向けながら小言を囁く。ただこんな会話も珍しくない。冗談抜きにしても五十回はほとんど同様の会話を聞いている気がする。何もしていないことを再認識する会話。それ自体にも価値があるものとは言えない。


「とりあえず今を生きる。私たちにできるのってそういうことなんじゃないかな。生きてたらいいことあるんだから、それを邪魔するのを楽しむの。」


冴島はまたため息を、しかし今度は声を出すほど大きく吐いた。


「お前はなんでそんな前向きなんだよ。いつも言ってるけど、お前頭おかしいんじゃねの? 毎度毎度スゲー腹が立ってくる。」


「だったら私を殺す? カッとなって殺すところなんて渡くんもいっぱい見たもんね。それに私と一緒に居たいって言ったのは渡くんの方じゃん」


冴島は両手で自分自身の頭を抑えた。深々と深呼吸をして手を降ろす。そして何事もなかったかのように再び頬杖を付いて窓の外を見た。


「なんで太陽なんか止まったんだよ」


冴島は太陽を見ていた。決して微動だにしない太陽を。


「いつか動くとか思ってるわけ?」


「俺も半分あきらめてる。けど、やっぱ期待はしてる。」


太陽の方を向きながら冴島は言う。


祐二ゆうじも期待してたと思う。でもきつかったんだろうな。リストカットで死ぬなんてさ。せめて首を吊るして死ねよ。血の処理とか面倒なのあいつわかってんだろ。そんなことやるんだったら前から俺に相談すればいいのにさ」


「相談しても無駄だったと思うよ」


京泉は無慈悲な一言を添えた。それでも冴島は窓の外をみたままである。




 自殺。

 

 太陽が止まるだけであれば決してそんなことにはならなかったはずだ。およそ二年半前のある日、太陽が止まった。それだけでなく大勢の人が消えた。親も消え、教師も消え、街の住人も消えた。残ったのはこの学校の生徒のみ。ほかの学校の生徒もおそらく消えている。

 それは突然の出来事だった。目が覚めると真っ昼間で、周りの大人が一斉にいなくなった。にも関わらず電気も通っていた。テレビはノイズが出るがつけることができたし、携帯もつけることができた。学校に行かない理由ができたが、それでも不安のためか多くの生徒が学校に集まった。特になにをするわけでもなくただ集まり、そして多くの生徒が他愛のない会話をしていた。ほかの学校がどうなっているのかとか、本当に大人も消えているのかとか、何かのドッキリなんじゃないかとか。


 そんな会話も二週間もすれば次第になくなった。ある者は今起こっていることを確認するといいそれに賛同する数人の生徒を率いて学校から離れ、ある者は文明の復興を目指すと一人山に入ったと聞いた。ある者は楽観的に太陽が再び動くことを願い続け、ある者はこの謎を解明しようと勤しみ、ある者は騒いで踊りだし、ある者は何の計画も立てず失踪した。そしてとうとう自殺する者が現れた。その風潮を感ずるものはいたが、いざ死んだ人を見ると耐えられなかったのか吐き出す者もでた。

 そこからというもの学校の生徒の統率が、もともとなかったも同然ではあるものの、崩れ去り暴動がおきた、人を殺すものが現れ、それに怯えて疑心暗鬼になりまた人を殺すものが現れる。そんなのが嫌になって自殺するなんてことは日常茶飯事となり、学校に近づかなくなる生徒も多くなった。


 この生活を楽しむもの、そうじゃないもの、そもそもどうでもいいもの。


 家に帰っても出迎える者もおらず、そのくせ太陽がむき出しのままでいるから容易に眠ることもできない。しかもなぜか植物も枯れることもなく、砂漠にすらならない。まさに自然とかけ離れた、神が必ずつくることがない世界が広がっていた。それに疑問を抱く者も当然いた。けれどそんなことがどうでも良くなる程に皆、狂気に身を任せ、享楽を他に求めていた。死体の腐敗も進み、残されたものは否応なくその処理をすることになった。

 死体は穴を掘ってその中に集め、火葬する。まるでキャンプファイヤーでもやっているかのごとく死体処理を行ったものの、一部は突然笑いだし、踊りだすこともあった。


 こうしてこの学校にはほとんど人がいなくなった。





 冴島の沈黙は長かった。京泉の一言に返せずにいる。そればかりか身体が震えているように見えた。やっと冴島が京泉の方へ向いたと思ったら、冴島が泣いていた。

冴島渡は泣き虫である。二年半、幾度となく泣いていた男である。肩を震わせ、鼻をすすり、そして嗚咽をあげて、流れた涙を手で拭う。京泉の方を見たかと思えば、机に突っ伏し、顔を手で隠す状態でまた泣く。もちろん泣いていることに意味なんてない。泣いても死んだ人間は戻らない。慰めてくれる人なんかも目の前にいる京泉しかいないわけである。それに京泉がそれを拒否すれば誰も救ってくれない。


 冴島は二年半を通して成長していない。


 成長していないことに甘えて学校からも抜け出せない。現実を直視せずに生きている。死ぬこともせずのうのうと生きている。なぜ京泉が冴島のことをそんなに気にかけるのだろうか。とても理解しがたい。

 京泉が冴島の頭を撫でた。太陽が反射して映る京泉の姿はまさに聖母マリアである。冴島の泣き声がうるさくて聞こえづらいが、おそらく小声で「よしよし」と言っている。冴島は机に突っ伏したままだった。それでも京泉は冴島の頭を撫でるのをやめなかった。

 しばらく冴島の嗚咽が教室に響き渡った。泣きつかれたのか冴島が顔を上げて京泉の方を見た。目頭が赤くはれ鼻を未だにすすり続けていたが、気持ちを切り替えることができたのか泣くことを止めた。京泉は「もう大丈夫?」と一声かけたが冴島は小さな声でああと言ってうなずくだけだった。今度は一変して教室中がまるで誰もいないかのように静かになった。


「どうしてこうなったんだろうな」


冴島が沈黙を破った。


「バカだから……」


京泉は間髪入れずにそう答えた。


「私たちの高校ってもともと偏差値低いじゃん。勉強できないし、頭に入っても耳からすぐ出るし、おまけに先生とか親に助けられてばっかだったじゃん。それを急に助ける側に回れって言われてもできこないって。もう太陽が止まったときにあきらめて楽しめば、祐二も生きてたんだと思うよ。そうやって成長した後に太陽が動かなくなった原因を探す。そうやって生きてたら、今よりは絶対マシになったって」


京泉はまっすぐな目をしていた。その目つきは覚悟を決めたような、恨みを込めたような、希望に向かって歩みだそうとするようだった。

 今日の京泉はいつもと少し違っていた。いつものような気楽さも楽観さも冴島が泣いた後からすっかり消え去った。

嫌な予感がする。

そう思ったのも束の間、京泉が突然立ち、机の上に座った。そして椅子の座面に足を載せた。冴島も不思議そうに京泉を見る。


「あのさ……」


京泉が口を開く。


「私たち、付き合って……もう二年ぐらいなんだよ」


……


「…………やっちゃおうよ…………今日…………」


そう言うと同時に京泉が…………



 服を脱いでいた。

 『925日目』と言う題名の通り僕は京泉の様子をいつも後ろから見ていた。ある時は京泉が帰路についている時に、ある時は学校の廊下で密かに泣いている様子を見る。そして今日は教室の掃除ロッカーの隙間から覗いていた。

京泉と冴島は血で汚れた高校のカッターシャツと学生ズボンを着ている。京泉はそのカッターシャツのボタンを取って上着が露出しその上着すら脱いだ。京泉の乳房が冴島を誘う。

「私たちだけじゃ……もう無理なんだよ。子ども…………つくらないとね」

 冴島は京泉がそう言う前から京泉の前に立っていた。冴島自身すらそのことに気づいていないようで冴島が困惑の顔を浮かべているようだった。掃除のロッカールームから少しずつ冴島の顔が見えづらくなる。

「胸触って…………大丈夫、私がリードするから」

京泉がそう言うと冴島は溢れ出る乳房をもみだした。とうとうその表情は見えなくなっていた。


 …………あぁ、愛しの京泉が…………


教室に京泉の声が響きだす。


 …………あぁ、僕の太陽が…………


カッターシャツすら脱いで、スカートにも手を出す。


 …………成長もしないあんなやつのせいで…………


「私、痛がらないからさ…………好きにして…………」


 ……………………


京泉が靴下を脱ぎ、パンツも脱いだ。足を開脚して机に無理やり乗せる。


 …………もう、止まらなくなってしまった…………


冴島も性器を出していて、それをゆっくりと…………ゆっくりと…………


…………もうやめてくれ…………


京泉の中に入った。


 

 そこからはもうあまり覚えていない。僕は性行為をまじまじと見せつけられた。彼女が馬乗りになったこともその時の彼女の声もほとんど覚えていない。携帯の日記にそのことを付け足すことも忘れていた。この行動に意味があるのかすらももうわからない。

 時間という概念は元来、太陽の位置によって定められた。それが時を追うごとに技術の進歩が進み、数字の羅列を見るだけで人は時間を知ることができた。太陽の位置を確認する文明の利器は時代を追うごとに消え去りそんな苦心を知ることなく我々は生きている。時間というものをより正確に、より効率的に把握するためにはたとえ昔に発明されたものでも犠牲にする。そんな風に人間は生きている。それは今も昔も変わらない。ずっと変わらないのかもしれない。


 だから根本をたどれば925日という数字そのものは単なるまやかしでしかない。携帯が生み出した偽物の時間だ。


…………そう、…………


 二人が出た後の教室はやけに暖かく風が強く凪いている気がした。絶対に有り得ないのにそう思った。今は深夜のはずなのに教室の外の太陽を見てそう思った。


 この日記が噓じゃないことを示すには誰かに見てもらうしかない。偽物の時間じゃなくて本物の時間を過ごしたことを誰かに見せる。


 こうして僕はこの学校を後にした。

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