第2話

―――2024年、9月


「…………じゃあ、行ってくる」


 そう言って車から降りる俺に「無理しないでね。今日は初日なんだし、午前で帰ってきても良いからね。何かあったら連絡してね」と運転席の母さんが優しい声で言う。


 ありがと、と返しながらドアを閉めまっすぐ校門に向かう。校門に着いてからも後ろから車が発進するが聞こえないことが母さんの心配を物語っていた。



(えっと……どうしたら良いんだっけ)


 現在8:20。8:30には学校に来てくれと言われたのは覚えているが、校門で待ってたら良かったのか、職員室に自分から行くべきだったのか思い出せない。


(校内の地図はもらってるから職員室まではそれを見ればたぶん行けるけど、こっちに先生が来てくれるならすれ違いになってもまずいよな……)


 とりあえず2〜3分待ってみよう、と結論付けスマホで時間を確認していると「うわーマジで!?」「え、ヤバーい!!」と話す数人の声が聞こえた。反射的に声のするほうに視線を向けると俺と違って制服は着ていないものの同じくらいの年代の男女3人がこの校門に向かってくるのが見えた。

 その内のひとりと目が合った瞬間、気持ち悪いほど冷や汗がふきだし、心臓が握りつぶされるような感覚に陥った。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)


 2〜3分待つなんてとても出来ない。俺は3人から顔を背けると逃げるように靴箱に向かった。

 【2-A】と札のついた靴箱に『黒崎 遼』という自分の名前を見つけ靴を履き替える。

すぐそばに階段があるのが目に入り階段下スペースに座り込む。


「………………ッ…………ハァ………」


 誰もいない静かな場所で数回深呼吸を繰り返すと徐々に動悸がおさまってきた。

 

スマホを確認すると8:21。1分も同じ場所にいれない―――いれなくなった自分に涙が出そうになったがぐっと堪え事前に先生から渡された校内案内図を鞄から取り出した。



◆◆◆



(職員室は3階…………このまま階段を上がっていけば――――)


ドンッ!



 案内図だけを見ていた俺は前から人が降りてきていることに気付かず思いきり体ごとぶつかり、やば、と思った時にはバランスを崩していた。


「……っと!!悪い、大丈夫か?」


 痛――――くない、と思い反射的に瞑っていた目を開けるとかなりの至近距離で同じ赤色のネクタイをした男子に顔を覗き込まれていた。俺が後ろに倒れないよう背中を片手で支えてくれている。


「ごめん、ちゃんと見てなくて―――あれ、もしかしてA組の転校生?」


 見たことない顔、と至近距離のままその男子が笑う。


「…………あ、え、」


 ありがとうとかぶつかってごめんとか言うべき言葉はたくさんあるはずなのに、その男子が金髪であることに気付いた瞬間、さっきよりももっと動悸が激しくなる。声が喉に張り付いて出てこない。……本当に倒れそう。


「あれ、黒崎くん?」


 斜め上から聞こえた聞き覚えのある声に弾かれたように顔をあげると、不思議そうな顔の一誠先生と目が合った。


 事前に母さんと行った転入説明会で『君の担任になる一誠優です。よろしくお願いします』と優しい口調で名札を見せてくれた先生を思い出しながら、再び逃げるように一誠先生のもとに走った。助けてくれた男子の金色の髪が視界に入るのが怖くて先生の後ろに隠れるように座り込む。


「――――――今迎えに行こうと思ってたんですが、校舎の中まで来てくれたんですね、黒崎くん」


「………………」


 うずくまって返事も出来ない俺に一誠先生は何があったのか何も聞かなかったし、怒らなかった。

 俺の呼吸が整うのを待ってから「一緒に職員室に行きましょう」と同じ目線で声をかけてくれた。


「………………はい」


 頷く俺ににっこり笑いかけた後、「白上くん、すみませんが昼休みに職員室に来てください」と俺を助けてくれた男子にも同じ優しい口調で声をかける。

 ありがとうも言わずまるで凶悪犯から逃げるような態度をとって最低だという自覚はあったが、どうしても再び視界に入れることは出来なかった。

 トン、トンとゆっくり階段を降りていく音が次第に小さくなり、完全に足音が聞こえなくなるとやっと俺は立ち上がることが出来た。

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恋と多彩な日々 えぬ @nano271210

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