クーガー、趣味の修練

 アハティンサル領北部――


 シチリ氏族が多く住むこの地域は、山地が多く鉱物を産出する。必然的に鍛冶が盛んになり、アハティンサル領の戦士たちが使う武器、防具の類はシチリ氏族が手掛けることになっていた。


 そういった武器――「刀」を作り出してきたシチリ氏族は、刀を扱う事に関しても一日の長があったのだろう。所謂、達人を多く生み出している。


 そして現代の達人であるヘイブは、今一人の客人を道場に迎えていた。

 客人の名はクーガー。このアハティンサル領の代官である。


 二人は道場の板間の上で向かい合って座っていた。アハティンサル領独特の座り方であるあぐらを組んでおり、リラックスしているようで、同時に緊張感が満ちている。


 新年を迎えてから一月ほどであるので、まだまだ寒い時期だ。

 道場の格子戸から入ってくる陽の光も冴え冴えとしており、逆に冬の厳しさを伝えるような清冽さが満ちている。


 道場はさほど広くは無い。

 アハティンサル領の神であるフーツに捧げる祭壇を北側にあり、一目で両方の壁を確認できるぐらいであろうか。玄関は祭壇とは反対側に設えられている。


 道場の主であるヘイブは質素な前合わせの衣服。だがその藍色は丁寧に染め上げられており、決して代官であるクーガーを侮っての事では無い事は一目瞭然だった。

 下半身は、動きやすいように裾が広がった墨色のズボンを身につけている。


 クーガーは、まず普段着と言ってもいい出で立ちである。王国でよく着られているゆったりとしたチュニック。その上から、防寒対策なのだろう、身体だけを覆う服をもう一着。


 これには緑地に白い海鳥の姿が染め抜かれており、アハティンサル領で作られたものだ。代官としてかなり馴染んできているクーガーである。


 そして座る二人の傍には、木製の剣。合図もなく、二人は同時にそれを掴むと、やはり同時に立ち上がった。

 そのまま剣を構えて対峙する二人。


 クーガーを知る者なら、この対決の結果を「クーガーの勝ち」と予想するだろう。何故ならクーガーは異能の持ち主。相手の「攻撃する」という意思を察知し、それを上回る動きで機先を制してしまうからだ。


 しかし――


 ヘイブの剣が――その切っ先がクーガーの喉元に突き付けられている。

 一瞬、という時間も経過していない。修練を欠かさないヘイブの卓越した「技」がそれを為し得たのだ。


 ただ、こういった動きはクーガーも出来る。修練に加えて、実戦の積み重ねが身体の動かし方を自然に悟らせてきたのである。

 それに何よりクーガーの異能が、その動きの根底にあることは言うまでもない。


 しかしヘイブの剣に、クーガーは反応することが出来なかった。反応出来なかったからこそ、喉元に剣を突き付けられてしまう。

 つまり――クーガーの敗北だ。


 その結果が道場に満ちた時、二人は揃って剣を下ろし、そのまま先ほどのように向かい合って座り込む。

 それと同時にクーガーが屈託のない笑みを見せた。ふわふわしている白い髪が揺れている。どうにも子供っぽさが抜けない代官であった。


「凄いな! 完全に俺の負けだ!」


 躊躇い無く、ヘイブの力量を称えるクーガー。ヘイブもまた深い笑みを見せた。


 ヘイブの年齢は四十代半ば。髪を短く刈り込み、修練によって刻まれた顔の皴は深い。そういう厳めしい相貌でありながら、笑うと随分優し気な表情になる。


「なんの。ご代官様に気取られぬようにするのに随分苦心しました。技を極めんと志した若い頃の想いが蘇りましたぞ」


 アハティンサル領独特の言い回しで、ヘイブもまたクーガーを称える。

 王国と言葉が違う事で、はじめは多少苦労したクーガーであるが、今では不自由なくアハティンサル語を聞き取ることが出来ていた。


「そうなのか? こんなに見事にやられたことは……覚えがないな。戦場で戦う事になれば――」

「ご代官。戦場であれば、それは即ちそれがしの敗北です」


 クーガーの分析を遮って、ヘイブが断定する。


「お互いが向かい合って、呼吸を整え心を落ち着かせる。――そんないとまが戦場にあるはずがない」

「戦場……か。確かにそれはそうかも。だけど、全然予測できないトラブルが起きることもある――ああ、ヘイブの技はそれに近い、のか?」


 疑問符付きのクーガーの言葉に、苦笑を浮かべるヘイブ。


「恐らく違います。ご代官様が思われているのは偶然そうなった、という現象ですが、某がやったのは……そうですね、お遊びみたいなものです」

「遊び、か」

「そうです。今、某はご代官様に剣を突き付ける事だけに専心した。ですが戦場でそんなことをすれば――」

「周りから攻撃されて終わり、だな」

「ましてや、最近では銃というものもありますから」


 ヘイブは「時の流れ」というものを意識せざるを得なかったのだろう。銃の出現で、自分たちが受け継いできた技が無意味なものになることについて、ある種の覚悟を決めているようだ。


「いや、それでもヘイブの技は大したもんだと思うぞ」


 しかし、クーガーはそれに棹差した。理屈も何もなく、絶対的評価としてヘイブの技は凄いのだ、と。

 ヘイブは改めてクーガーを説得しようとはせずに、居住まいを正しつつ、話を変えた。


「新年にはシンコウたちを、王国の……『湖の宮殿』でしたか。彼らの同行を許可していただき、ありがとうございます」

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