第10話 戻ればいいじゃん


葡萄は、

放心状態だった。


すべてが片付いたら、

杏とデートする気満々だったからだ。


ぶくぶくと泡立つ、

スパの一角でぷかぷかと浮かびながら、

ぽけーっと、間抜け面を晒していた。


みんな、よほど疲れたんだろうと、

さして気に留めなかった。


あの子は、

隅っこの泡風呂がよほど気に入ったんだろう、

くらいにしか思っていなかった。



杏は消えた。

跡形もなく消えた。

諜報部員が、足跡を消すのだ。

コンビ解消。


うう。

柄にもなく、泣いてしまった。

両腕で顔をおおった。


向こうには、

アトラスが居た。

気づかれるのは、絶対にゴメンだと思った。

だから、顔まで潜って涙を誤魔化したりもした。





諜報部員に熱を上げるとか、

いかれてたのは、

俺の方だ。

全部、俺が悪いのだ。








「どこで、間違ったんだろうなあ。」


ひとりごちると、

真後ろには、意外な人物がいた。


子ども、だ。

青いちび竜、

銀色の瞳。


びくっーーー!!っとした。

恥ずかしかった。

でも、彼女はこともなげにこう言ったのだ。


「道、間違えちゃったの?」


…。

葡萄が、

顔を腕で覆いながら、

こくこくとうなづいた。



彼女はぐいっと顔を覗き込んできた。

「戻ればいいじゃん。」


彼女は、

ほんとうに、

信じられないと、

呆れたように言い捨てた。




葡萄はザバーーー!!っとお湯から立ち上がった。


きゃあああ!!


ちび竜の悲鳴が、

スパに響き渡った。




アトラスが血相抱えて、

駆けつけた。

葡萄の頭をべっしん!!!とぶっ叩いた。


そして、

ぷりぷり怒りながら、ナギサに謝りつつ、

ぐるぐる巻きにした彼を引き摺って、

スパを後にしたのだった。



「雨がやんだら、ササッカーだ!いくぞ!」




そして。


五分限りのササッカー!!


なんと、

バス型竜車の着いた会場は、

竜医院のある丘だった!!


レンは叫んだ。

「ず、ず、ずっるーーーー!!!」


これじゃ、昼間の下見が台無しだ!!

他のクラスのやつと、

こっそり根回しもしてきたのにいっ!!

アトラスはニヤリッと笑った。


「ナイターはここしかないんだよ。」


お、

お、

大人って、

大人ってえーーー!!!


そして、ポーラの笛が高らかになった。

試合スタート!!


アトラスは容赦しない。ボールを持ったままゴールへ突き刺さる。早々と一点。


するとだ。

レンの肩を、後ろからぽんと叩くものがいた。


葡萄だ。

紫の精悍な竜の姿だった。


そして尋ねた。


「売店で何か買ってやるのと、


ここで勝つのと、


お前は、どっちがいい?」



レンは、ぱあーーーっと笑った。

サヤナが、アトラスからボールを奪った。

チワが大声で言った。


「どっちもよおーーーー!!!」


会場が、どっと笑いに包まれた。


そして、

彼は素早くボールを受け取ると、

アトラスをわざと横切って、

ゴールに突き刺さってみせた。

あとはもう、彼の独壇場だった。


彼のシュートは、まっすぐに、

何度も何度も、ゴールを突き刺した。



俺は!

俺はーーー!!



目を強く瞑った。

運河の国の、

カーニバルの夜が脳裏に走った。


杏は、いつだってそこに居た。

それは長い長い人生の中の、

ホンの一瞬の閃光。


そんなこと、

当事者の彼には、

わかるはずもなかった。



ぐしゃりと、

地面に膝をついた。

顔中が泥だらけになった。




部屋に戻り、

魔法封緘を、書いた。

自分はこの呪いを、

プライベートの封書に使うことなんて、

めったになかったのだと、ふと気がついた。


魔法封緘は、黒い葡萄の花、

それに満月といったところだろうか?


わからない。



とんとんと、

ゲストルームの扉を叩く人物がいた。


かちゃりと、

扉を開けると、

ぎょっとした。


彼は、

素早く部屋に入ると、

しいっと、

指で指示した。


シオンだった。

ぐるぐる巻きのままの凩も居た。

手短に言われた。


「彼女の痕跡はあるだろ。

今のうちに調べて手に入れておけ。」


「シリウスのところへいくんだ。

天文台にいる。封書は飛ばした。」


「いきなり失踪なんかするわけない。

上に消される。話をつけに行ってるはずだ。」


「すべての記憶を消す、

変容の扉をくぐるか否か、迫られてるはずだ。」


「いいか?

一緒に変容の扉をくぐろうなんて思うな!!

君はきっと躊躇する。

直前で彼女を裏切る。」


ひ、

酷っ!!


こ、

これが、

直感ってやつか?!


そして、紫水晶の眼でまっすぐこちらを見た。

「ムカついたら、魔法映写機の俺を見ろ。」


そう言って、ナナメに頭を振った。

「はるかに酷いものが、見られる。」



つまり。

悪口を言いたいわけではなく、

急げということだ。


葡萄は、

光の速さで、

竜化をすませ、

凩をひっつかみ、

天文台へと飛び去った。





あれが、二十歳そこそこということだ。



立派なもんだと思った。



たとえ、己の身に残っていたであろう、

彼女の痕跡を、

スパで洗い流す間抜けだとしても、だ。


俺のときに比べたら、

遥かにマシだ、

と、

シオンはしみじみ思った。




なぜなら、

赤いハイビスカスのドレスを着たミルダが、

モーブくんのうちわを持ってたことで、

島中の注目の中、

みっともなく叫んだ。



あれは、昨年のことなのだ。



ガワこそ二十そこそこではあったものの。

中身は、

まごうことなき三十六歳。


その、

当事者が言うんだから、

間違いなかった。




夜空には、

南十字星が輝いていた。















































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