第10話 戻ればいいじゃん
◇
葡萄は、
放心状態だった。
すべてが片付いたら、
杏とデートする気満々だったからだ。
ぶくぶくと泡立つ、
スパの一角でぷかぷかと浮かびながら、
ぽけーっと、間抜け面を晒していた。
みんな、よほど疲れたんだろうと、
さして気に留めなかった。
あの子は、
隅っこの泡風呂がよほど気に入ったんだろう、
くらいにしか思っていなかった。
◇
杏は消えた。
跡形もなく消えた。
諜報部員が、足跡を消すのだ。
コンビ解消。
うう。
柄にもなく、泣いてしまった。
両腕で顔をおおった。
向こうには、
アトラスが居た。
気づかれるのは、絶対にゴメンだと思った。
だから、顔まで潜って涙を誤魔化したりもした。
諜報部員に熱を上げるとか、
いかれてたのは、
俺の方だ。
全部、俺が悪いのだ。
◇
「どこで、間違ったんだろうなあ。」
ひとりごちると、
真後ろには、意外な人物がいた。
子ども、だ。
青いちび竜、
銀色の瞳。
びくっーーー!!っとした。
恥ずかしかった。
でも、彼女はこともなげにこう言ったのだ。
「道、間違えちゃったの?」
…。
葡萄が、
顔を腕で覆いながら、
こくこくとうなづいた。
彼女はぐいっと顔を覗き込んできた。
「戻ればいいじゃん。」
彼女は、
ほんとうに、
信じられないと、
呆れたように言い捨てた。
葡萄はザバーーー!!っとお湯から立ち上がった。
きゃあああ!!
ちび竜の悲鳴が、
スパに響き渡った。
アトラスが血相抱えて、
駆けつけた。
葡萄の頭をべっしん!!!とぶっ叩いた。
そして、
ぷりぷり怒りながら、ナギサに謝りつつ、
ぐるぐる巻きにした彼を引き摺って、
スパを後にしたのだった。
「雨がやんだら、ササッカーだ!いくぞ!」
◇
そして。
五分限りのササッカー!!
なんと、
バス型竜車の着いた会場は、
竜医院のある丘だった!!
レンは叫んだ。
「ず、ず、ずっるーーーー!!!」
これじゃ、昼間の下見が台無しだ!!
他のクラスのやつと、
こっそり根回しもしてきたのにいっ!!
アトラスはニヤリッと笑った。
「ナイターはここしかないんだよ。」
お、
お、
大人って、
大人ってえーーー!!!
そして、ポーラの笛が高らかになった。
試合スタート!!
アトラスは容赦しない。ボールを持ったままゴールへ突き刺さる。早々と一点。
するとだ。
レンの肩を、後ろからぽんと叩くものがいた。
葡萄だ。
紫の精悍な竜の姿だった。
そして尋ねた。
「売店で何か買ってやるのと、
ここで勝つのと、
お前は、どっちがいい?」
レンは、ぱあーーーっと笑った。
サヤナが、アトラスからボールを奪った。
チワが大声で言った。
「どっちもよおーーーー!!!」
会場が、どっと笑いに包まれた。
そして、
彼は素早くボールを受け取ると、
アトラスをわざと横切って、
ゴールに突き刺さってみせた。
あとはもう、彼の独壇場だった。
彼のシュートは、まっすぐに、
何度も何度も、ゴールを突き刺した。
俺は!
俺はーーー!!
目を強く瞑った。
運河の国の、
カーニバルの夜が脳裏に走った。
杏は、いつだってそこに居た。
それは長い長い人生の中の、
ホンの一瞬の閃光。
そんなこと、
当事者の彼には、
わかるはずもなかった。
ぐしゃりと、
地面に膝をついた。
顔中が泥だらけになった。
◇
部屋に戻り、
魔法封緘を、書いた。
自分はこの呪いを、
プライベートの封書に使うことなんて、
めったになかったのだと、ふと気がついた。
魔法封緘は、黒い葡萄の花、
それに満月といったところだろうか?
わからない。
とんとんと、
ゲストルームの扉を叩く人物がいた。
かちゃりと、
扉を開けると、
ぎょっとした。
彼は、
素早く部屋に入ると、
しいっと、
指で指示した。
シオンだった。
ぐるぐる巻きのままの凩も居た。
手短に言われた。
「彼女の痕跡はあるだろ。
今のうちに調べて手に入れておけ。」
「シリウスのところへいくんだ。
天文台にいる。封書は飛ばした。」
「いきなり失踪なんかするわけない。
上に消される。話をつけに行ってるはずだ。」
「すべての記憶を消す、
変容の扉をくぐるか否か、迫られてるはずだ。」
「いいか?
一緒に変容の扉をくぐろうなんて思うな!!
君はきっと躊躇する。
直前で彼女を裏切る。」
ひ、
酷っ!!
こ、
これが、
直感ってやつか?!
そして、紫水晶の眼でまっすぐこちらを見た。
「ムカついたら、魔法映写機の俺を見ろ。」
そう言って、ナナメに頭を振った。
「はるかに酷いものが、見られる。」
◇
つまり。
悪口を言いたいわけではなく、
急げということだ。
葡萄は、
光の速さで、
竜化をすませ、
凩をひっつかみ、
天文台へと飛び去った。
◇
あれが、二十歳そこそこということだ。
立派なもんだと思った。
たとえ、己の身に残っていたであろう、
彼女の痕跡を、
スパで洗い流す間抜けだとしても、だ。
俺のときに比べたら、
遥かにマシだ、
と、
シオンはしみじみ思った。
なぜなら、
赤いハイビスカスのドレスを着たミルダが、
モーブくんのうちわを持ってたことで、
島中の注目の中、
みっともなく叫んだ。
あれは、昨年のことなのだ。
ガワこそ二十そこそこではあったものの。
中身は、
まごうことなき三十六歳。
その、
当事者が言うんだから、
間違いなかった。
◇
夜空には、
南十字星が輝いていた。
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