第15話

 シャッテンと名乗っていた景山は、ジェミヤンには目もくれずターリブこと、カイス・マンスールに突進してきた。無駄な動きは一切なく、正確にマンスールの心臓めがけてナイフを突き出してきた。

 今ここで景山にマンスールを殺させるのは、非常に都合が悪い。ジェミヤンは阻止すべくキンジャールで景山のナイフを弾く。が、景山は前回り受け身の要領で姿勢を低くし、マンスールのアキレス腱を切り裂くと、ジェミヤンに向き直る。


「おいテメェ邪魔すんじゃねぇ」

 そう言ったが早いか、閃光の如き上段回し蹴りがジェミヤンの側頭部を襲う。

 ジェミヤンはこの一撃で意識を失い、蹴られた頭は景山の脚と同じ方向へ回転し、床へ叩きつけられた。




 景山達政3等陸佐。陸上自衛隊幹部レンジャー課程格闘教官、そして通称「別班」と呼ばれる特務班に所属する指揮官の一人。既婚者で愛妻家、子供は二人。妻と娘を溺愛する一方、格闘の実力は陸上自衛隊随一でありながら、仲間からすら「戦闘バカ」と揶揄される程の戦闘狂で、防衛庁どころか内閣府ですら手を焼く、超危険人物(作者注:本ストーリー時系列でこのエピソードは二〇〇四年であり、当時は防衛省ではなく防衛庁でした。防衛省になったのは二〇〇七年である事にご注意ください)。

 そこで「別班」の総責任者である統合幕僚長は、景山のお目付け役に、互角の実力を持ち、且つ文武両道の近衛啓示3等海佐を指名した。


 景山と近衛以外にも、別班には各幕僚監部から選りすぐられた精鋭中の精鋭のみが所属し、各幕僚監部からの推薦を受けた後、一定の試験に合格しないと所属ができない。また、各幕僚長が特に優れていると太鼓判を押した、各二名計八名の隊員は通称「ヒットマン」と呼ばれている。景山と近衛は通称「ヒットマン」に選ばれた、名実ともに自衛隊の頂点に君臨する実力者だ。

 世間一般では「架空の組織」と思われている「別班」だが、実在している可能性が高い。そもそも軍を持つ国家において、特務を任務の主体とする組織がない、という事はあり得ない。それは日本においても例外ではなく、「別班」は与えられた任務を、現在も人知れず遂行している。




 床に頭を叩きつけられた衝撃で意識を取り戻したジェミヤン。視界が歪み、今迄感じた事のない脱力感に襲われる。

「ちっ」

 景山は「今ので殺せなかったか」と言いたげに、追撃のナイフでジェミヤンを殺しにかかってきたが、ジェミヤンはフィギュアスケート選手の様なコサック舞踏の跳躍で回避、音もなく着地する。


「景山3佐……とんでもない難敵だ」

 ジェミヤンは考える間もなく、キンジャールの変則的な軌道で景山に斬りかかる。これだけ接近していたら、銃の撃鉄を起こす刹那に、頸動脈を持っていかれてしまう。相手は今迄遭遇した事がない程の強者なのだ。


「いってぇぇ!」

 景山は一歩飛び退き、ジェミヤンと距離を取った。しかし先程の機械的に襲いかかってきた無表情な様子から一変し、心底殺し合いを楽しんでいるかの様な、満面の笑みを浮かべている。

「マジか、俺を六回も斬りつけるとはな……おいコサック露助野郎、テメェFSBだな? スペツナズが単独で来るわけねぇもんな?」

「お粗末ですな、景山3佐。私が本当にFSBだとしたら、名乗るわけがありません。正解など永久に得られませんよ」

 皮肉を返したつもりだったが、景山は何がおかしいのか、知性を全く感じさせない大笑いをし始めた。


「バァーカ! 引っかかりやがった! やっぱテメェFSBじゃねぇか! なんでもねぇただの露助が日本語なんか話せるワケねーだろぉーが! ギャハハハハハ!」

 一頻り笑った後落ち着きを取り戻した景山は、一呼吸おき神妙な顔つきでナイフを持ち直し、ジェミヤンに向き直る。


「ま、正直別にテメェを殺すのは任務に入ってねえが、まさか俺様の一撃で死なねぇ上に、ここ迄強い野郎がこの世に二人も存在するとは思ってなかったぜ。マジですんげー楽しかった。だから今回は生かしといてやる。だが次は殺すからな」

 景山はナイフを収め、ふんぞり返って得意気に言い放つが、その顔は宝物を見つけた少年の様に嬉しそうだった。

「そうですか、私は二度と御免こうむりますがね」


 そう返そうとした時、ジェミヤンと景山は無言で同時にナイフを投げる。そのナイフは同じ方向に向かって飛び、アキレス腱を切られ、床を這いずり回っていたマンスールに突き刺さる。ジェミヤンのキンジャールは盆の窪に、景山のナイフは心臓を貫き、マンスールは絶命した。


 図らずとも組織を壊滅させ、持っていた小型カメラで証拠を撮影していると、景山が何か騒ぎ始めた。

「冗談やめろよ! まだ俺様が退出してねぇんだぞバカヤロー! ……え、あと五分!? おい待てよ止めろマジで! 頼む!」

 話し終えたのか、景山は襟元に着けていたマイクとイヤホンを床に叩きつけ、荒れている。


「……まさかとは思いますが、ここの爆破まであと五分という事ですかな? でしたらイリヤが乗っていたバイクが裏に隠してあります。脱出しましょう。私もこんな場所で死にたくはない」

 言うが早いか二人は同時に駆け出し、建物裏手にあるイリヤのバイクに飛び乗り、アクセル全開で拠点を離れる。


「お前よく俺様を連れて脱出しようなんて言ったな。一人でも逃げられたんじゃねぇの?」

「私一人で逃げても、どうせあなたが私を追って同じ事をなさったでしょうな。私もあなたも、そういう生き物ですから」

 後方から聞こえてくる爆発音を聴きながら、何故か親近感が湧く。ロシアと日本は敵対しているが、今回の衝突で相手に大義名分を与えるわけにはいかない。それは二人にもよく分かっていた。


「それより3佐は、真っ先にイリヤを始末されましたね」

「はぁ? たりめーだ、女のガキいじめて泣かせるクソを生かしておけるワケねぇだろうが!」

「礼を言いますよ、私もあの男をどう殺そうか考えていましたからな」


「よくわかってんじゃねえか。じゃ、俺様がこれから何するかもわかってんだろぉ!?」

 景山はハンドルを握るジェミヤンに切りかかった。が、ジェミヤンは景山の視界から消えている。

「……あれ?」

 ジェミヤンはコサック馬術【ジギトフカ】の曲芸技で景山のナイフを回避し、車体の側面から蹴り上がったついでに、景山をバイクから蹴落とす。景山が「うぉあぁぁぁ!?」等と雄たけびを上げ、転がりながら遠ざかるのをバックミラーで確認し


「あの程度で死ぬ様な男ではないな」


 と腹の底から嬉しそうに、久しぶりに大声で笑った。




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