第12話

 朝食を摂り拠点に向かう。少し早いかと思っていたが、昨日案内してくれたアジア人が既に来ていた。

「おう、お前早いな。俺も随分早く着いたつもりだったがよ」

「……ああ、俺も早く来るのが習慣だから」

 アジア人、特に日本人は時間に正確だと聞く。きっと彼は日本人か日系人なのだろう。しかし日本人なのであれば、こんな組織にいる理由が理解しにくい。

「お前日本人なのか? 何でお前ここに入ったんだ?」

「いやまぁ……色々有って……」

 警戒されているのだろうか。日本人であるという質問に否定はしていないが、かと言って肯定でもない。このアジア人も要注意だ。


 他のメンバーも到着し、ターリブが今日の予定を伝えると、未経験者の訓練が始まる。予想通り彼らの戦闘技術は、ずっと第一線にいたジェミヤンからすれば目も当てられない程にひどいもので、このままでは敵対勢力や正規軍・警察隊の格好の的でしかない。

 それ自体は勝手に自滅してくれるのだから、ジェミヤンにとって楽な話ではある。ただターリブの人の判断力を奪う話術が、有能な人物を抱き込む場合を考えねばならない。


「今日は商談だから客人と会う。悪いが同行してもらうぞ、アンドレアノフ」

「構わねぇが、警戒が必要な相手なのか?」

 ジェミヤンはここではアンドレアノフと名乗っている。顔も変装で変えており、普段のジェミヤンと見比べても同一人物とはわからない。

「いや、商談相手自体は女だから問題ない。問題はその女が連れている男共だ。女の信奉者だからな、何をするかわからねえ」


 女性との商談をすると言い出したのは想定外だった。アリビツカヤに情報を送ると、心当たりが一人だけいるという。資料を送ってもらうと、見知った相手だとわかった。

「ああ……この女なら納得ですな。悪さできん様に、少しだけお灸を据えますか」

 ターリブがイリヤや他のメンバーにも声をかけると、大体の男は喜んでついていくと反応しているが、あのアジア人だけは乗り気ではない様だ。


「お前なんで行きたくねぇなんて言ったんだ? タダでだぜ?」

「女房がいるからな、俺は……」

「嫁さんにゃ黙ってりゃわかんねーよ、せっかくだしよ……」


 男ばかり、それもこんなテロ組織に応募する様な連中が集まれば、こういった下世話な話で盛り上がるものだ。

「まったくくだらんな……」

 口には出さないものの、目先の欲に囚われて浮足立つ様では、戦場では死にに行く様なものである。ここがどういう場所かわかっていない。テロの準備をしている組織は、その段階で各国の諜報組織や軍、警察から監視されているという事を。


「この部屋が使える様に掃除をしておいてくれ。相手は夕方に来る」

 ターリブの指示で、ジェミヤンやイリヤ等経験者以外のメンバーは、商談に使う部屋の掃除を始める。その中にはあのアジア人もいた。


 ジェミヤンが警戒している人物は、現状三人。

 首魁ターリブは勿論の事、まずは側近のイリヤ。ベラルーシ人を自称しているが、独り言ですらベラルーシ語は全く話さない。ロシア語で話しかけても、ロシア語が返せない。本当にベラルーシ人であれば、ロシア語がわかるにも関わらず、だ。恐らくこの男はベラルーシ人を名乗っている、別のスラブ系国籍を持った人間。

 そしてあのアジア人。他人と関わろうとしない。話しかければ多少の会話は返してくるが、余計な事を言わない様に相当気を遣っている。また、顔を見せようとしないのも気になる。それは恐らくジェミヤンの様な変装はしていないからなのだろう。


「ターリブ、掃除が終わった」

 アジア人がターリブに声をかけてきた。

「は? いくらなんでも早すぎるだ……おお!」

 ターリブが商談に使うと言っていた部屋は、一般のオフィス程度に片付けられていた。しかもゴミも分別されてまとめられており、床・テーブル、ソファも普通に使える。

「すごいじゃないか!」

「掃除は得意なんで」

 ジェミヤンもあれだけ荒れていた部屋が、一般のオフィス程度に綺麗になっている様を見て驚きを隠せない。大したものだ、と感心する。


「うーん……清掃業者というのは考えにくいが、こういう場合もあるよ。日本では戦働きをする者を掃除屋とか清掃業とか呼ぶこともある。もしかしたら、そのアジア人は日本人かもしれないね」

「十中八九日本人か日系人でしょう。実力の程は全くわかりませんが、もし私を尾行していた人物であれば、とんでもない強さですからね。警戒は続けます」



 

 夕刻になり、ターリブが言っていた交渉相手が到着した。この治安が悪い地域では珍しい、高級車に乗り、おつきの男に手を引かれて降りてきた美女。

「ターリブとの商談に来たわ。早く案内しなさい」

 顔立ちはヨーロッパ系とアラブ系の中間に見えるが、服や髪型等の装いは完全にヨーロッパ系。だが上品さはなく、金に物を言わせた娼婦の様に、意図的に男の本能を刺激するしぐさを見せつける。

 他のメンバーは彼女の強調された胸元や生脚に釘付けだが、ジェミヤンは彼女の腕や太腿にある注射痕、そして顔に現れた「薬物中毒者」の相に注目した。


 商談はすぐに終わった。ターリブは武器といくつかの薬物を買い、武器はメンバー全員に見せた。

「ヤクはうちで使う為の物じゃねぇ。これは主に北米に売る物だから、お前ら手を出すなよ」

 ターリブはイリヤに発送の為の梱包をする様命じ、女との会話に戻る。すると女は何人かの男を指名し、「今日は彼らがいいわ」とターリブに伝えた。


「イリヤ、アンドレアノフ、シャッテン、ついてこい」

 ターリブにそう言われ、彼らが乗ってきた車とは別の車に乗り、同行していく。その道中でターリブは女の素性を説明する。

「あの女はファリダ・ツィマーマン。出身はアルバニアだが、現在の国籍はオーストリアだ。現在は薬物と売春を斡旋している。あんな服装してるのは、偽装棄教【タキーヤ】ではなく、本当に改宗しているからだ。父親がコソボ解放軍一師団の司令官という出自のおかげで、誰からも咎められていない。お前らにはこれからファリダが連れてきた新顔の水揚げをしてもらう」

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