第10話

 映画館占拠事件は世界各地で報道され、人質に死者が出なかったものの、スヴャトスラフの伯父が殺されたという情報が近隣住民からマスコミにリークされた事で、保安局は国民から批判にさらされた。

「国民からの批判が相次いでいるが、お前達は気にせず訓練を続けろ。マスコミ対応は局が行う」

 隊長を通し局からの通達を受けた隊員達は、事件後も通常通り訓練を続けていた。その日も訓練が終わり帰途につくジェミヤン達を、マスコミが取り囲んでスクープの争奪戦を繰り広げてくる。


「首謀者の伯父を殺害した隊員がいると聞いていますが!」

「犯人ではない身内を殺害した事をどう思っているんですか!」


 上層部から「マスコミには一切反応するな」と通達されている。隊長は勿論、ジェミヤンや他の隊員も全員が口を噤み、何を言われても反応せずやり過ごしていた。




 ある日の休み、ジェミヤンが朝起きて新聞を取ると、繁華街に新しく開店した日本料理店のチラシが目につく。オーナーも料理人も日本人で、スタッフも日本人留学生をそろえており、ロシア語のまま注文できると書いてあった。

「今日からオープンなのか」

 よくある日本料理屋は日本料理もどきしか出せない店が殆どだが、料理人が日本人であれば、これは期待できる。ジェミヤンはここで昼食を摂ろうと思い、出かけることにした。


 店につくと予想より盛況で、少し店外で並ぶことになった。その間、日本人学生が注文を聴きに来るので、お品書きを見ながら何を食べるか悩むジェミヤン。

「お待たせして申し訳ありません、ご注文を先に伺います」

 二十歳ぐらいの男性店員がジェミヤンの注文を訊きに来る。ロシアに来てまだ日が浅いのだろう、少したどたどしい発音だった。

「ああ、随分と盛況なんだね。私はこのてんぷらの盛り合わせうどんと、それから茶碗蒸しをいただきたい」

 ジェミヤンの流暢な日本語に驚いた店員は、嬉しそうな顔で席に案内する。料理を楽しみに待っていると先程の店員が料理の配膳に来たが、申し訳なさそうな顔をしている。

「お客様申し訳ありません、相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「私は構わないよ。混んでいるから大変だね」

 店員の申し出を快諾すると、ジェミヤンの向かいに入ってきた客が着席した。


「偶然だねアベルチェフ君。君がここで食事をしてるのは意外だったよ」

「なんだ……私に何の用ですか?」

 ジェミヤンの正面に座ったのは、防諜局のイゾールダ・アリビツカヤ主任。年齢不詳の典型的なロシア美人で、かなりジェミヤンに関して融通を利かせる様働きかけている。

「いやね、君の上官であるセリョ……失礼、バトゥーリンにはもう許可を取ってあるから、断る事はできないよ」


「手短にお願いしますよ、せっかく日本人が打った本物のうどんなのに、のびてしまう」

 アリビツカヤは蝋で封をした封筒を差し出してきた。随分と古風な事をするな、と思いながら開封すると、それはある組織についての調査要請。

「この組織……中東ですか。誰か私のサポートにつけてくれますか?」

「君程の使い手には必要ないと思うけどね。ただ一つだけ注意点を上げるとしたら、この組織には他国も潜入捜査をしてる、という情報が入っている。さすがにどこなのかまではわかっていないけど、君もそうだとバレない様に気を付けて欲しい」

 ジェミヤンはため息をつきながら、まずはかき揚げに箸をつけて口に運ぶ。サクサクとした軽い食感が堪らなく美味い。珍しく嬉しそうに食べる顔を見たアリビツカヤは、

「私も同じものを食べる!」

 と店員を呼び、同じものを注文し一緒に食べていた。普段ミステリアスで隙を見せないアリビツカヤも、何故かジェミヤンと一緒の時は自然体でいられる。


「主任、いい加減隊長とくっついたら如何ですか? 主任だけですよ、隊長をセリョージャと呼ぶのは……この舞茸のてんぷらは美味いな」

「な、何を言う! 女性のプライバシーに口出しするなんて、君らしくな……本当だ美味しい!」

 顔を真っ赤にし、どもりながら諫言するアリビツカヤだが、見抜かれていた事に諦めて、箸を置き白状する。


「た、頼むから……セリョージャには言わないで。彼にこういう話をすると怒るから……」

「怒りはしませんよ、どうすればいいのかわからないだけですから、隊長は。貴方方の状態はまさしく両片思いですな」


 ジェミヤンは何度か自分の上官で隊長のセルゲイ・バトゥーリンから相談を受けた事があった。隊長もアリビツカヤに好意があるものの、武骨で戦闘しかしてこなかったせいで、女性とどう接していいのかわからなかった。他の同僚も似た様なもので、

 「お前はいいなアベルチェフ。脚が不自由な妹さんの面倒をみていたからだとは思うが、女性の機微に聡い。女性を喜ばせる術を熟知している。女性と関わろうとしないお前には無用の長物なのにな」

 女性と近づきたい同僚達からは必ずそう言われてきた。しかし隊長はジェミヤンを羨ましがるのではなく、「教えて欲しい」と頼んできていた。


「俺は男兄弟で育ったせいで、女性との接し方がわからん。お前が上から女性諜報員をあてがわれるのも、お前が女性への対応に長けているからだろう。すまんが、どうしたら女性とうまくやっていけるのか、教えて欲しい」

 勿論隊長に対して恩義を感じているジェミヤンは、快く引き受ける。


「そうですね、相手を自分と同じだと思わない事ですな。女性はか弱いと思ってください。例えそれが、リュドミラ・パヴリチェンコでもです。いいですか、女性は貴方よりか弱いのです。本人が楽しんでいない限り、疲れる様な事には誘わない。様子を見ながら要望はないか声をかけ、手を差し伸べる。まれに声だけかけて満足してる男もいますが、それは口だけ男だと思われて嫌われます。実際に行動に起こさねば意味がありません」




 翌日出勤すると、廊下で要請の件で来ていたアリビツカヤに会った。彼女はジェミヤンを視認すると近づいてきて、耳元で囁く。

「君のおかげで、セリョージャと上手くいったよ。感謝する。返礼として、潜入捜査のサポートは私が同行しよう」

 心強いサポートではあるが、隊長の女と一緒に行動するのは気を遣うから勘弁してほしい、と思うジェミヤンだった。


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