第9話

「ここに置けば、同僚の誰かが見つけてくれるだろうな」

 施設内の目立つ場所に気絶したスヴャトスラフを放置し、エカテリーナだけを運び出すジェミヤン。ちょうど施設から出た扉の近くで待機していた救急隊に、エカテリーナを引き渡していると、隊長とワーニャも出てきた。

「アベルチェフ! お嬢様は無事か!?」

「ええ、特にお怪我などはされていませんでした」

 ワーニャが抱えてきたスヴャトスラフは、鼻が折れ顔が血塗れの状態だ。隊長は簡単な応急処置をし、撤退の準備を全隊員に命ずる。


「隊長! こんな奴に応急処置なんて」

 隊長の行動に反対意見を持つ隊員もいたが、取り調べで吐かせなければいけない事もあり、答えられない状態のままでは連れていけない。

「最低限の事には答えさせないといかんからな」

 これからスヴャトスラフに対して行う尋問は、彼の命や精神を破壊しかねないもの。少しでも多くの情報を引き出さねばならないのだから、簡単に死なれては困る。

 自分達が乗ってきた車にスヴャトスラフも乗せ、現場の後始末を保安局から派遣される職員達に任せ、隊員達はその場を去っていった。


 その日、報道は映画館占拠事件の事で持ちきりだった。とあるテレビ局は、首謀者であるスヴャトスラフが利用しようとしていたエカテリーナを独占取材等していた。彼女は入院中であり、マスコミのこの行動は批判を浴びる行為だが、本人は嫌がらずに答えている。


「先に解放された人質によりますと、首謀者があなたに銃を突きつけて、あなただけ連れ出していったと聞いています」

「確かにその方のおっしゃる通りです。ただ他の方にはそういう事はしていませんでしたし、ちゃんと食料を皆に分け与える様指示を出していました」

「随分と庇っていらっしゃる様に見えますが……?」

「……彼がこんな事をしたなんて、実は今でも信じられません。それまでは、勇気があって優しい人だったから……」

「ずっと首謀者がついていたという事ですが、どうやって抜け出せましたか?」

「アルファ部隊が突入する時、私達は見捨てられた、と死を覚悟しました。ですが、彼に連れられて部屋を出た時、シャーシュカを携えたアルファ部隊の人が来て、私を救出してくれました」

「アルファ部隊の隊員がシャーシュカを、ですか……? 珍しいですね」

「はい……ただ、素人の私でもわかる程に強い方でした」


 直接エカテリーナからこの話を聞いていた大臣は大層喜んだ。

「シャーシュカを帯刀してた隊員を娘の面会に来させなさい。その間マスコミなんかは人払いしておこう」

 ジェミヤンは隊長から「大臣からその様な打診があった」と伝えられ、目立ちすぎたなと反省する。あまり目立たぬ方が任務に専念できるのだが、今回はどうしてもスヴャトスラフの行動が許せなかった。コサックとして生まれ戦士となった男が、武装して弱者を盾にし要求を通そうとする、見苦しく情けない姿が、普段自制している感情を表に出させてしまった。


 色よい返事をしないジェミヤンの心情を察した隊長。

「とりあえず、大臣に行くか行かないかの報告だけはしておけ。その前に、上層部がお前を呼んでいる。まぁ賞詞だろう」

 隊長の予想通り、上層部から「大臣がお喜びだった」と賞詞を賜る。そして隊長と同じく、大臣の娘に面会してこいと指示をされた。




「待っていたよ、アベルチェフ君!」

 満面の笑みでジェミヤンを迎える大臣。事件当時は感情的に隊長に怒鳴り散らす様な態度だったが、現在は娘が無事戻って来たことに安堵したのか随分と機嫌がいい。

「いやー、君が娘を救出してくれたそうじゃないか。うちは妻が病気で早世しているからね、私にとって娘は何よりも大切なんだ」

 嬉しそうに話す大臣だが、一瞬表情が曇る。

「それにしても、まさか娘の交際相手がテロの首謀者だったとはな……一度私の所に挨拶に来てるが、追い返して正解だったよ。あんな反逆者が娘と結婚だなんて、私は認めんぞ」


「閣下、何故彼を認めなかったのでしょうか?」

 勿論現在スヴャトスラフがテロの首謀者だとわかっているから理解はできる。しかしそうだとわからなかった時に、何故交際を認めなかったのか不思議だった。テロなど起こさず、普通に暮らしてさえいれば、そんなに悪い男ではなかったのではないか、とジェミヤンは考えていた。

「それは勿論、あの男が田舎出身の無教養な貧乏人だからだよ。数年前のシェルミツィで好成績を修めたらしいが、それを軍や警察で生かせばよかったものを、なんだかよくわからん仕事をしてたらしい」


 娘がいる病室につき、入る前に大臣はジェミヤンに頼みごとをしてきた。

「アベルチェフ君、君が娘の婿になってくれたら大いに嬉しいのだがね」

 さすがのジェミヤンも困惑する。エカテリーナがそんな要望を出すとは考えにくい。大臣がスヴャトスラフと結婚させない為の手段として言っている、としか考えられない。

「申し訳ありません閣下、そのご依頼にはお応えいたしかねます」

 断られると思っていなかった大臣は一瞬間がぬけた様な顔になったが、聞き入れない理由を聞き出そうとする。


「いえ、私も首謀者と同じく、田舎出身のコサックです。閣下のお眼鏡にかなう筈もありません」

「何を言うんだ、君はFSBのアルファ部隊だろう。娘を任せられるエリートだ。それに君の上官からも聞いたが、君は弱冠十七歳の時に、スタロチェルカスクのシェルミツィで優勝していたそうじゃないか」

 娘の意思などどうでもいいのだろうか。大切だと言っていたのに、先程迄見下していた田舎出身の貧乏人だった私を婿に迎える等、正気ではない……ジェミヤンは少し呆れ始めた。


「それはお嬢様のご意思なのでしょうか? 私がお嬢様と少し話しました限りでは、お嬢様は首謀者の男が釈放される迄、彼を待つご意思がある様に見えました。お嬢様のご意思を無視なさってはいけませんでしょう」

 大臣は「いやしかし」と合点がいかない顔をする。

「君は独身なんだろう? 娘は二十四歳だ、家事も一通りできるし、フランスへ留学にも行かせた。親バカかもしれんが、良い娘だ。君になら任せられるんだ」

 

 どうあっても、スヴャトスラフとの結婚は認めないらしい。しかしジェミヤン自身も、相手が良い娘であればある程、絶対に断らなければならない、という強い意志が働いた。

「いえ、お断りいたします。私の仕事は少なからず人から恨みを買います。私自身が恨まれるのは已むを得ません、私自身それをわかってこの世界におります故。しかしもし私に妻子があった場合、私に向けられるべき憎悪が、罪なき妻子に向かうでしょう。私は戦士として、力を行使する者として育てられました。力を持たぬ者を守らねばなりません。それであれば、最初から家族を持たぬのが最適解と言えましょう。恨まれるのは我々当事者だけであるべきなのです」


 ここで何としてでも断らねばならない。

「私は今回、首謀者スヴャトスラフ・ポポフを制圧する為、彼の伯父を拷問殺害して彼に揺さぶりをかけました。ポポフの伯父は普通に暮らしていた、逮捕歴も何もない一般の田舎出身の老いたコサック戦士です。私は罪のない者を、罪のある者の逮捕の為に殺害しました。……それが我々の任務なのです」


 大臣もさすがに躊躇の姿勢を見せ、説得を諦めた。

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