第8話

 隊長や他の隊員が犯人グループを制圧していた頃、最初からスヴャトスラフが大臣の娘を連れ混んでいた映写室に向かっていたジェミヤン。いつでも対応できる様、扉が見える位置につき、暫く出てくるのを待っていると、静かに扉が開き、スヴャトスラフが大臣の娘を連れて出てきた。

「ゴーグルを外すな、暫く目が見えなくなるからな」

 言動から推測するに「強行突入」があっても、大臣の娘だけには対応出来るようにしていたのかもしれない。スヴャトスラフは大臣の娘を片腕で抱きかかえつつ、周囲を警戒しながら静かに歩みを進めている。ジェミヤンは彼の歩みと反対方向に、あらかじめ売店のゴミ箱から持ってきていた空き缶を放り投げる。


 廊下に響く、軽い金属音。スヴャトスラフは間髪入れず、空き缶に向かってアサルトライフルを放つが、発射音と空き缶が転がる音しか聞こえない。

「出てこい、腐れ政府の犬めが!」

 誰かいる事だけには気付いており、大臣の娘を自分の後ろに隠し様子を伺う。

「ねえ、誰もいないんじゃない……?」

「いや、いる。俺の影から出るな」


 一瞬娘に振り返り、すぐ警戒に正面を振り返ると、ガスマスクを装着した隊員……ジェミヤンを確認した。

「人質迄殺す気か!」

 ジェミヤンに向かって発砲するが、既にジェミヤンは物陰に隠れている。照準を合わせ直そうとした途端、古いスチェッキンから放たれた弾丸が間髪入れず、スヴャトスラフの右肩を掠めた。


「自分を愛してくれる女性に銃を突きつけて、何が人質迄殺す気か!だ。笑わせるな若造」

 静かな憤怒を孕ませた声。物陰からスッと出てきたジェミヤンは右手にスチェッキン、左手にキンジャールを持ち、自分の姿をスヴャトスラフに視認させる。と同時に一足飛びでより近い石柱へ移動し、距離を詰めてきた。


「テメェ……伯父貴を殺しやがった野郎かぁぁ! 伯父貴は関係ねぇだろぉぉ!」

「非武装の弱者を盾にしてよく言うよ。スヴャトスラフ・ポポフ、貴様はコサックの風上にもおけん」

 ジェミヤンがキンジャールを鞘に収め、右手に持つスチェッキンだけで戦う姿勢を見せると、虚仮にされたと思い込んだスヴャトスラフは激昂し、あたり構わず撃ち始めた。

「きゃぁーっ!」

 荒事に無縁だった大臣の娘は、耳を塞ぎその場に座り込んでしまう。我に返ったスヴャトスラフが彼女に振り返ると、持っていたアサルトライフルのエジェクションボードカバーを正確に撃ち抜かれ、使えなくされた。


「ふざけやがって、そんな古い拳銃一丁で応戦だと!? 俺を馬鹿にしてるのか!」

「そんな腕前しか無いくせに、随分と大胆な行動に出たな。老いた野良犬にすら当たるまいよ。私が自動小銃を使うまでもない。無駄な抵抗はするな」

 事実、スヴャトスラフではジェミヤンの射撃技術に遠く及ばない。「シャーシュカなら勝てるかもしれない」スヴャトスラフはそう思い立ち、自身も持ってきていたシャーシュカを抜く。


「……ならばコサックらしく、シャーシュカで決着をつけよう」

「私は一向に構わんぞ」

 ジェミヤンがスチェッキンをホルスターにしまい、互いに抜刀を確認したと同時に切合が始まった。


 遅い、太刀筋も不正確、防御が疎か過ぎる。


 それがジェミヤンがスヴャトスラフの剣技に下した評価。殺した彼の伯父は正統なコサックの剣技を継承していた。それはただ手元にあった果物ナイフを持っただけでも、彼の実力を如実に物語っていた程に。

 だがスヴャトスラフのそれは、見た目の派手さに囚われた我流を加えてしまい、コサック剣技の長所を消してしまっている。


「残念だ。貴様の伯父は正統なコサックの剣技を継承していた……それが貴様はなんだ! くだらん我流で伯父からの教えをドブに捨ておって!」

 スヴャトスラフのシャーシュカを弾き飛ばし、心底残念そうなため息をつく。

「うるせぇ! 俺はシェルミツィで準優勝してんだ!」

「私も十七歳の時にスタロチェルカスクのシェルミツィで優勝したがね。当時は貴様の様にバカげた剣技をふるう者など存在しなかった」

 ジェミヤンは言い終わると同時、瞬き程の時間でキンジャールをスヴャトスラフの膝に刺した。崩れ落ち苦悶の呻き声を上げるたスヴャトスラフに近づき、トドメを刺そうとするジェミヤン。しかし彼を止める人物がいた。


「お願い、彼を殺さないで……」

 震える手でジェミヤンを制する大臣の娘。

「エカテリーナお嬢様、お下がりください。私どもは貴方様のお父様より、この男を連行しろと仰せつかっています。その意味がおわかりになりますね?」

 ロシア女性にしては小柄で痩せ気味な大臣の娘・エカテリーナは、それでもスヴャトスラフを庇い、ジェミヤンに懇願する。

「わかっています……でも生きてさえいれば!」

 釈放後に一緒になる夢を捨てきれないのだろう。残酷な事だが、ジェミヤンは現実を伝える事にした。


「お気持ちがわからぬわけではありません。ですが生かしておく方が、彼をより苦しめる事になりますよ。私どもはそれを職務として実行する迄なのですから」

「そんな……」

 打ち拉がれる大臣の娘に、極力優しく語りかける。

「一刻も早くここから出ましょう。お一人の体ではないのでしょう? この男は今ここで死ぬか、刑務所で死ぬより苦しい目に遭わされるかですが、貴方様はお子さんと共に生きなさい。お子さんの父親が生きて釈放されたら、三人が一緒に生きられる様に」


 エカテリーナの意志に迷いが生じ始めた。我が子が宿っているお腹に手を当て、スヴャトスラフを見つめる。

「カーチャ……その男と一緒に外へ出るんだ……」

 スヴャトスラフがエカテリーナに声をかけたと同時、ジェミヤンは彼の顔面に容赦なく殴打を浴びせる。

「貴様に発言権等無い。我々の質問に答える以外は口にするな」

 ジェミヤンの一撃のみで気絶したスヴャトスラフ。同時に眼前で激しい暴力を見てしまい、意識が遠のいたエカテリーナを右腕で抱え、刺さなかった左脚を引きずりスヴャトスラフを連行する。



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